第二話
自室を出た美咲はリビングを渡り、対岸の同居人の部屋へ向かう。
同居人を紹介する上で気を付けたいのが、彼女の怪力だ。
中学の頃から付き合いのある美咲ですら驚いたほどだ。
興奮のあまり真ん中からへし折れたゲームコントローラー。くしゃみついでに握りつぶしたマグカップ(これは本当に危なかった)。
二度と浮かび上がらなくなったエンターキー。変形した冷蔵庫の取っ手。
そして丁番ごと引きちぎられた開き戸。これで普通に開けただけというのだから恐ろしいものだ。
犠牲となった扉は、申し訳程度に立てかけられているだけで、役割を果たすことはもうない。
開放的な入口の同居人の部屋。
これでも一応プライバシーはあるらしいので、美咲は軽く縦枠をノックする。
「春香~、はいるよ~」
相手からの反応がないのはいつものこと。
美咲は無遠慮にずかずかと中に入っていく。
入ってすぐ目の前にはきれいに整頓された勉強机あり、その隣には特撮物のフィギアやおもちゃがずらりと並ぶ棚がある。
そしてそれらの持ち主である春香は、その大きな体をベッドへ存分に広げて気持ちよさそうに寝ていた。
伊野 春香。
美咲と同じ袋叩木高校の1年であり普通科。
まだ幼さを残したかわいらしい顔をしているが、高1とは思えないスラッとした高身長と、寝間着から覗くくっきりとした二の腕や割れた腹筋が、彼女が扉を破壊した犯人だとひしひしと訴える。
「おーい、朝だぞー」
真横で鳴る美咲のモーニングコール。
しかし眠れる筋肉姫には届かないらしく、大口を開けて寝ている。
「こりゃ目覚めのキスが必要だな」
そういうと春香の上着をめくり、丸出しになった腹へ口をつけ思いっきり息を吹きかけた。
ブーっと音が鳴ると同時に、ひやぁ!、と気の抜ける声を春香があげ、赤面しながら腕を振り回す。
美咲はそれをひらりと避け、悪戯な笑顔を口元に浮かべた。
「グッドモーニング、お嬢さん」
「もう全然グッドじゃない! その起こしかたやめてよ!」
「ならアタシより早く起きればいいんじゃない?」
「ムー……それが無理なの知ってるでしょ」
「まぁね」
アラームごときでまったく目を覚まさない春香。
実家なら家族に起こしてもらえばいいが、ここではこの悪魔に頼るほかない。
「とりあえずおはよう春香」
「おはようミッちゃん。へけ太郎もおはよ」
いつの間にか美咲の頭の上まで登っていたへけ太郎は、春香のあいさつを気にもせず、クシクシと顔を両手で掻くばかりだった。
「今日絶対学食混むから早めに行こ」
美咲の提案に、春香は長い黒髪をヘアゴムでポニテにまとめながら首をかしげる。
「え、なんかあったっけ?」
「朝練誰もやってないんだよね。……ちょっと失礼」
美咲はベッドに上り、春香の横を通るとカーテンを開ける。
「ほら、誰もいない」
「ホントだー」
2人と1匹は顔を並べて、横から朝日に照らされるがらんどうのグラウンドを窓から眺める。
「今日って行事あったけ?」
「一応部活動紹介が5、6時間目にあるけど、そんなことで朝練休みになるかなぁってアタシは思うんだけど」
「確かに」
「……あとでさっちゃんにでも聞くか」
ここで考えても答えが出るわけでもないし。
美咲はポケットから取り出したスマホに視線を落とし、朝食の相棒を取りにリビングの冷蔵庫へ向かう。
今日の天気予報を見つつ、片手で冷蔵庫を開ける。
漂う冷気に頭のへけ太郎は身震いした。
「これこれ♪」
美咲が取り出したのは、はちみつ専用ポリ容器だった。
パンパンに詰まった琥珀色の蜜が宝石のようだ。
それを一旦冷蔵庫上に置くとまた別のものを探し始める。が
「ラムネがない!」
すぐに目的の物が品切れだと分かった。
「ちぇ……めんどいけど放課後買うか」
ため息とともに冷蔵庫を閉めるころ、準備を整えた春香が部屋から出たきた。
準備といっても、スマホを持ちウォレットチェーンのようなものにハリセンをつないで腰につけただけだが。(ハリセンチェーンとでもいうべきだろうか)
古い人間には、ハリセンを持ちあることを不思議に思うかもしれないが、現代においては至極当たり前のことだった。
「いつでもいけるよ~」
春香の声に美咲はうなずくと、一緒に玄関で足に靴を通し、部屋を後にした。