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第十五話 アステカの決戦

 白い壁に押しつぶされる寸前、俺は全力を解放した。

 まばゆい光が視界を覆い――次の瞬間、世界は反転した。


 完全なる暗闇。

 上下左右の感覚すら消失するほどの、虚無の空間。

 俺はあの白い部屋に圧殺されたのか? それとも、別の場所に飛ばされたのか?


 思考を巡らせようとした、その時。


 ドガッ!!


 見えない何かが、俺の体を強烈に打ち据えた。


「ぐっ……!」


 反射的に腕をクロスさせ、直撃を防ぐ。

 重い。まるで鉄球を投げつけられたような衝撃だ。

 ステータスを確認すると、HPが100ポイントほど削られていた。


「衝撃は強烈だったが、今の俺の耐久力なら致命傷にはならない。……だが、一体何なんだ?」


 音もなく、気配もなく、ただ暗闇だけが広がる世界。

 足元がどうなっているのかすらわからない浮遊感の中で、俺は警戒を強めた。


 ◇ ◇ ◇


 この暗闇にのまれて、一日ほど経っただろうか。

 一切の光がないため、目が慣れることすらない。


 わかったことが一つある。

 じっとしていると、衝撃に襲われることはない。

 だが、少しでも移動しようとすると、稀に見えない「何か」に衝突する。


 敵の姿は見えず、攻撃の予兆もない。

 まるで地雷原を目隠しで歩いているようなものだ。


「これは……長期戦になるな」


 俺は自身の精神力を確認した。数値は『162』。

 常人の百六十二倍の精神的タフネス。

 人間は完全な感覚遮断空間に置かれると、三日ほどで幻覚を見始め、精神に異常をきたすという。

 だが、今の俺なら一年は正気を保てる計算だ。

 レベルアップに伴う肉体強化のおかげで、食事や睡眠も最低限、あるいは一年以上摂取しなくても生命活動を維持できるはずだ。


 俺は覚悟を決めた。

 ここから出るまでは、絶対に折れない。


 ◇ ◇ ◇


 一週間が経過しただろうか。

 相変わらず、動かなければ安全だが、出口を探して動けば衝撃が走る。

  「まさかこんな、精神を削るような攻撃を仕掛けてくるとはな」


 未だに敵の正体は不明。

 外部との通信も途絶したままだ。


 ◇ ◇ ◇


 一ヶ月は経過しただろうか。

 そろそろ、ここに居続けることへの焦りが生まれ始めた。


「このままじっとしていても解決しない。動くしかない」


 意を決して移動を開始する。百メートルほど進んだところで、再び衝撃が襲った。


 ドゴッ!


「くっ!」


 攻撃が当たった瞬間にガードする。

 反射神経だけで対応しているが、これではジリ貧だ。


「なんとか攻撃が来る前に、避けることはできないだろうか?」


 俺は神経を極限まで研ぎ澄ませた。

 光はもちろん、音もない。物理的な五感には頼れない。

 もっと違う感覚……「第六感」のようなものが必要だ。


 魔物が現れる瞬間。

 魔物が消える瞬間。

 あの時感じる、独特の「青い光」の気配。

 視覚情報としての光ではなく、魔力の揺らぎのようなものを感じ取ることができれば……。


 俺は目を閉じ、心の眼を開くイメージで、暗闇の中をゆっくりと進んだ。


 ……そこだ!


 何かが「ある」のを感じ、俺はとっさに身を固めた。


 バシッ!


 ガードを固めた腕に衝撃が走る。

 だが、今までとは違う。直撃ではない。衝撃を殺しきった。

 消費HPは「1」。ほぼノーダメージだ。


「よし! ……掴んだぞ、この感覚!」


 ◇ ◇ ◇


 二ヶ月が過ぎただろうか。衝撃を完璧にガードできるようになった。

 三ヶ月が過ぎただろうか。衝撃を事前に察知し、回避できるようになった。

 半年は過ぎただろうか。半径一メートル以内の空間の様子を、肌で感じるように把握できるようになった。


 ◇ ◇ ◇


 一年は過ぎただろうか。


 今の俺は、達人の領域にいた。

 周囲十メートル以内の様子は、目で見ている以上に鮮明に知覚できる。

 そして意識を集中すれば、その感覚は無限の彼方まで届く気がした。


 俺は改めて、自分を攻撃してくる「見えない何か」を知覚してみた。

 その正体に気づいた時、俺は驚愕した。


「……なんだ、これ?」


 衝撃の正体は、魔物の攻撃ではなかった。

 

 大量のサンマ。

 そして、猿田が逃がした金魚たちだ。


 それらが、空間の中に無数に漂っている。

 

 理解した。この空間内は、時間がほぼ「停止」しているのだ。

 対して、俺だけがその影響を受けずに、外界と同じ時間を生きている。


 物理の授業で習ったことがある。停止している物体に、高速で動く物体が衝突すれば、それは強烈な衝撃を生む。

 つまり、俺が動くことで、空中に固定された「停止したサンマ」にぶつかり、その相対速度の差が衝撃となって俺を襲っていたのだ。


「なんだよ……敵じゃなかったのか」


 停止した空間に浮かぶサンマに、指先でそっと触れてみる。

 バチッ!

 静電気のような衝撃が走る。俺の時間と、サンマの止まった時間の摩擦だ。


 この空間を作り出している元凶がいるはずだ。

 俺は研ぎ澄まされた感覚を、無限の彼方へと飛ばした。

 闇の奥底に、異質な存在を感じ取る。


――――――――――――――――――――


【アステカの祭壇】


 ・討伐推奨レベル:120

 ・スキル:空間内時間の極限低下


――――――――――――――――――――


 見つけた。

 レベル120。一か八かだったが、魔物のレベルは今の俺より遥かに低い。

 俺だけが時間停止の影響を受けずに動けるのも、圧倒的なレベル差(抵抗力)があるからだろう。


「つまり、こうすれば……」


 俺は意識を集中し、自分自身の「時間」の影響範囲を、無限の彼方まで広げるイメージを持った。

 俺の支配領域で空間を塗り替える。


 ズズズズズ……。


 空中に停止していたサンマや金魚が、次々と動き出す。ビチビチと跳ねる音が響き始める。


「うおおおおおおおお!」


 俺の影響範囲が、世界を覆い尽くしていく。


「ここだッ!」


 俺は闇を切り裂き、本体の元へとたどり着いた。

 目の前に実体化したのは、禍々しい装飾が施された赤い木製の祭壇。


「お前ごと、貰っていくぞ!」


 俺は『アステカの祭壇』を鷲掴みにすると、強引に自分の道具袋へと突っ込んだ。

 

 カッ!!


 空間の核を奪われ、世界が崩壊する。

 周囲がまばゆい青い光に包まれた。


 ◇ ◇ ◇


 光が収まると、そこは元の公園だった。

 夕暮れの雑踏。焼きそばの匂い。祭りの喧騒。


「ヒサシ!」


 ドンッ!

 いきなり誰かに抱きつかれた。柔らかい感触と、懐かしい香り。ミキだ。


「うおおおおおおん! ヒサシィィィ!」


 目の前には、顔をグシャグシャにして号泣している猿田がいる。汚いな。


「アンタ……やっぱり戻ってきたのね。猿田が『ヒサシは犠牲になった』とか泣き喚くから、アタシも少しは心配したわよ」


 ミコトが腕を組んで立っている。皮肉っぽい口調だが、その目は少し赤くなっているように見えた。

 屋台の店主や、猿田の兄弟たちも無事だ。


「ほら、これ」


 俺は道具袋から、元気な金魚を取り出して猿田の弟に渡した。


「おお! 兄ちゃんすげえ! 金魚生きてる!」 「すまんな! ボウズ!」


 猿田の一番上のヒコが、偉そうに、でも嬉しそうに受け取った。


「なあ……猿田がこっちに戻ってから、俺が出てくるまでにどれぐらい時間経った?」


 俺は胸元で泣きじゃくるミキの肩を、そっと離して聞いた。

 体感では一年以上経っている。浦島太郎状態になっている覚悟はしていた。


「一時間ぐらいかしら……。でも、すごく長く感じて……心配したんだからっ!」


 ミキは涙を拭いながら答えた。

 たった一時間?

 あちらでの一年が、こちらでは一時間。時間の流れが歪んでいたおかげで、人生の大半を失わずに済んだようだ。


「そうそう。店主さん」 「おう! なんだボウズ! 生きててよかった!」 「これ、みんなに振る舞ってやってください」


 俺は道具袋の口を屋台の水槽に向けた。


 ドサドサドサッ!


 あちらの空間に漂っていた大量のサンマが、水槽に溢れかえった。


「うおおおおお! ボウズ! これはすげええぞ!」


 今まで何年にもわたって生贄に捧げられ、時が止まった空間で鮮度を保っていた歴代のサンマたちが、一気に放出されたのだ。

 その数、数百匹。


「今日はサンマ祭りだ! 食い放題だぞー!」


 店主の掛け声に、歓声が上がった。

 この日は、皆が喜び、本当の意味での「お祭り騒ぎ」となった。


 そして俺は、こっそりとステータスを確認した。

 『アステカの祭壇』を取り込んだ俺の道具袋は、とんでもない進化を遂げていた。


――――――――――――――――――――


 入手アイテム 【拡張・道具袋】

 ・効果:内部空間無限拡張

 ・付与スキル:『アステカの時空間』(内部の時間を停止状態で保存可能)


――――――――――――――――――――


 ほぼ無限の物量を収納でき、中では時間を停止して鮮度を保てる。

 俺は、世界最強の冷蔵庫……もとい、最強の道具袋を手に入れたようだ。

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