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温泉卓ゲ部の奇妙な日常  作者: 宵宮祀花
STORYⅠ◆沼への入口
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お忍びデートの構図

 電車が都心から北西へと進み、とある大きな乗り換え駅に着いたときのこと。大量に人が降りていき、それと同じだけの人が乗り込んできた。その中の一人が迷わず二人の元へ歩み寄ってきて、つり革に捕まりながら前屈みになると小さく囁いた。


「久しぶり、羽月ちゃん。そっちの子は初めましてだよね? よろしく」


 帽子にサングラスという、人によっては不審者にもなり得る格好をしたその男性は、二人にだけ聞こえる声で『成神千景なるかみちかげ』と名乗った。

 驚く風月の横で、羽月が満足そうに笑っている。一瞬視線が風月から外れたような気がしたが、すぐに目を合わせて微笑んだので気のせいだろうということにして、それより気になることを隣でにこにこしている羽月に訊ねる。


「えと……ほ、本物?」

「ふふ、勿論よ。でも、あまり大袈裟に反応しないであげてね」


 風月の端的な問いに、羽月はくすくす笑いながら答えた。

 というのもこの男性、成神千景は、いまをときめく舞台俳優なのだ。所謂2.5次元と呼ばれる舞台を中心に、ミュージカルなどに多く出演している。SNSのフォロワーは六桁に届くほどで、同業の中でも群を抜いて人気がある。それゆえかプライベートは殆ど謎に包まれており、SNSの記事も仕事の内容ばかりが並び、ファンのあいだでは本当に二次元の人物なのではと、多大な愛と少々の揶揄を込めて囁かれていた。

 そんな人物が目の前に、しかもこれから温泉旅行を共にするメンバーとして同行していることに多少なりとも動揺したが、風月は全身の胆力を総動員して息を飲み、羽月に頷くのみに留めた。

 幼馴染ゆえに忘れがちだが、隣で平然と座っている羽月も有名人に分類される人種なのだ。もし風月が騒いで周りに知られれば、どうなるやら想像するまでもない。

 それから暫く、北上するうちに空席が増えていき、譲り合わずとも充分座れる程度になった頃。羽月の隣に千景が腰を下ろした。


(あれ……? そういえば……)


 彼が風月たちの傍に来てからというもの、いつもなら僅かなりとも見えるこの世ならざる人影や視線を感じない。それどころか、視界の明度が三段階くらい明るく感じ、風月は心の中に疑問符を浮かばせていた。


「その子が紹介したいって言ってた新入りさんだよね? 名前を聞いてもいいかな」

「あ……綾織風月あやおりふづきです。初めまして」


 先ほどは驚くばかりでろくに挨拶も返せていなかったことに気付き、慌てて頭を下げる。千景は朗らかな笑みで「よろしく」と返すと、膝に抱えていた鞄から手製と思われる小冊子を取り出して風月に差し出した。


「羽月ちゃんが入ったときと同じものなんだけど、僕らが主に遊んでるゲームを纏めたものだよ。良かったら参考にして」

「わ……ありがとうございます」


 小冊子を受け取り、表紙をめくる。

 中身は、TRPGがどういうものかという簡単な解説に始まり、今日遊ぶ予定のシステムに軽く触れた内容だった。


「すごい……わかりやすいです」

「そう? 良かった。それ作ったのは風祢かざねくんって子だから、あとで紹介するね」

「はい。お会いするのが楽しみです」


 笑顔で答えつつ小冊子を返そうとすると、千景は「邪魔じゃなかったらあげるよ」と言った。


「いいんですか? じゃあ、お言葉に甘えて」


 クリアファイルの類は持ってきていないので、折れないよう鞄の内ポケットにしまい込んだ。

 それから数十分電車に揺られて、別の列車に乗り換えること、また数十分。車窓の景色が自然と田畑の連なりへ変わってきた頃。羽月は風月の肩を叩いて扉のほうを指し示した。

 話に聞いていた最寄り駅の名を窓の外に見つけ、慌てて鞄を抱え直す。停車と同時に席を立ち、風月は羽月に手を引かれて降車した。


「この辺はあまり暑くないね」

「そうね。真夏に最高気温を叩き出す地域からは離れているし、山のほうだものね」


 都心で乗車したときは空調の効いた車内との気温差を感じたが、降車時には然程感じなかった。寧ろ電車が発する熱のほうが強いくらいで、それもホームを離れるまでのこと。

 駅舎を出ると、行き先である温泉宿周辺を通るバスが駐まっていた。


「バスに乗ったら十分くらいでつくよ。皆はロビーで待ってるはずだから」

「はい」


 千景の自然なエスコートを受けてバスに乗り込むと、羽月と風月は二人掛けの席に座った。その傍に千景が立ち、他に数名が乗り込んだところでバスが発進した。ディーゼル車独特の駆動音が、床下から低く響く。大袈裟な振動を伴い、バスが徐々に加速する。山道を器用に縫って進む最中、旅行者が大半を占める車内は穏やかな賑わいに満ちていた。


『間もなく、松陽閣しょうようかく前。松陽閣前です』


 車内アナウンスとほぼ同時に、誰かが降車ボタンを押した。風月の隣で、羽月が少し残念そうにしながら「私たちも降りるわよ」と囁く。

 バス停に止まると数人の乗客に続いて風月たちも降り、無意識のうちに深く息を吐いた。


「長かったね」

「ふふ。これから石段もあるのよ」

「そうだった……もうちょっとがんばらなきゃ」


 顔を上げると、数十段の石段が見えた。石段の左右には飲食店や土産物屋が並んでおり、地元の特産品が観光客に向けて愛想良く整列している。

 それらを横目で気にしつつ、風月たちは他メンバーの待つ旅館を目指し、石段を登った。

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