熱烈な勧誘
東京は神田の古書店街。その一角に、風景に溶け込むようにして一件のカフェがあった。
大正時代に建てられたこのカフェは、改装や近代化をせず当時の面影をそのまま残したレトロな内装と、決して多くはないが拘り抜いた古き良きメニューが人気で、地元のお年寄りだけでなく、レトロ趣味の女性も多く訪れている。
そんな落ち着いた雰囲気のカフェで、綾織風月は幼馴染の紅染羽月から、あるサークルの勧誘を受けていた。
「――――それでね、女子が私一人だけだから風月も入ってくれたらうれしいなって……」
他の客に迷惑とならないよう声量は限りなく落としているが、しかしその真剣な表情と声色は、彼女の本気ぶりをこれでもかと表していた。
羽月が熱心に勧めているのは『温泉卓ゲ部』なる、招待制のサークルである。何でも全国各地の温泉宿を訪ね、其処でテーブルトークRPGをするという贅沢な趣味の集まりであるらしい。
風月は元々温泉や旅行が好きではあるが、肝心のテーブルトークRPGは全くの無知だ。しかも他のメンバーは全員男性と聞いては、若干の抵抗がある。しかし、さすがは勝手知ったる幼馴染。風月の躊躇いを察して、すぐさま「安心して」と続けた。
「私も一年くらい所属しててなにも起こってないもの。ていうか、風月が心配するようなヤリサーだったら抑も勧誘なんてしないわ」
「それは……まあ……」
風月自身、なにも自分が誰彼構わずそういった目で見られるとは思っていない。なにより羽月のほうが圧倒的に女性としての魅力に満ちていることは自覚しているし、そんな彼女が勧めるのなら本当にただ純粋にゲームを楽しむ集まりなのだろうとも思う。
風月が本当に心配しているのは、寧ろそちらのほうだ。
「でも、わたし、そのTRPG? ていうのは全然知らないよ?」
「大丈夫よ。私も最初は全然知らなかったもの。ちゃんと教えてもらえるから、心配いらないわ」
羽月曰く、とある同人誌即売会イベントに参加した際、普段は行かないゲームジャンルの一角にTRPGブースを見付けて寄ってみたところ、サークル主に優しく解説してもらったことが興味を持つに至ったきっかけなのだそうで。とはいえ現在の活動ジャンルもあり、すぐに飛び込む気にはなれず、古の掟に従い半年ほど外から観察してみたところ、面倒臭い古参やマナーのなっていない新参などの何処にでもある問題はありつつも、一定の盛り上がりを見せていることを知った。
「お待たせ致しました」
会話の合間で、濃い緑色をした炭酸飲料に自家製バニラアイスが合わさったクリームソーダと、ふかふかな生地にたっぷりのバターが載ったパンケーキが届けられた。メイプルシロップは好みでかけるらしく、手のひらにも収まりそうな小さなポットが添えられた。
二人とも冷めないうちにと食べ始めるが、潜めた会話は続く。
「部の皆はいい人ばかりだし、雰囲気もいいんだけど、さすがに寝る部屋は別じゃない? それでいつも私だけ独りぼっちで……だからって男性の皆さんと同じ部屋がいいですなんて言ったら私が危ない人になってしまうもの……」
「う、うん……」
「それに、風月にもあの楽しさを知ってほしいの。風月は読み専だから、最初はわからないことでいっぱいでしょうけど、私も風月なら大丈夫だと思うから誘っているのよ」
付属のパフェスプーンでクリームソーダのアイスを掬って口に運びながら、風月は考えた。
抑も、『あの』羽月が一年所属していて、その上で勧誘してくる場所が悪いところだとは端から思っていない。きっと勧誘文句も、一から十まで本音なのだろう。
羽月に勧誘、推薦されたものは、同人誌即売会イベントと声優の舞台イベントと2.5次元舞台イベントとコスプレフェスに続いて、五つ目だ。細かいお勧めを上げたらキリがないくらい様々なものを薦められてきたが、全て楽しかったことも事実。
「うーん……じゃあ、そこまで言うなら」
「ほんとっ!?」
思わず声が上擦り、羽月は慌てて口を押さえる。
二人が身を縮めながら周囲を見れば、驚いて此方に視線をやっている老夫婦と目が合った。軽く頭を下げ、これまで以上に気を遣って声を落とす。
「羽月は声が通るんだから、気をつけてよ」
「ごめんなさい……」
羽月は幼少期から演劇に携わってきて、中高では演劇部と放送部の兼部、そして現在は事務所に所属するプロの声優である。元から良く通る声がプロの鍛錬によって磨きが掛かり、ちょっとした騒音の中でも聞こえるほどの声を手に入れてしまった。
プロの声優という肩書きの上、大学のミスコンで殿堂入りを果たしてしまうほどの容姿を持った彼女が、言い方は悪いが『オタサーの姫』状態になったりしていないのだ。ならば見た目も性格も特別な才能もない自分が入ったところで、お世話になることは多かろうとも面倒事の中心になってしまうことはないだろう。
最後の最後に残った、一番気に病んでいる問題は別として。