二
高校生は例外なく部活動に所属するのがこの国のルールだった。それ故、部活の種類は多種多様だ。当然カラテ部もある。すでに師範だと知られていたから、入学式の日にカラテ部にスカウトされた。
けれど、それではつまらない。
だから同じ武道であるケンドウ部に入部した。
ケンドウとは、竹製の刀で剣術を極める武道である。剣術を学べば、自分の攻撃に幅がでるとか、そんな真面目なことを思っていた訳ではなく、自分のスタイルと違うから単に興味があっただけだ。
だけど入部してがっかりした。
高校の部活だからだろう。片手間にやっていた道場での剣術よりレベルが低い。いまの部長はそれなりに力はあったけれど、一年のうちから教える側に回された。
放課後はいつもどおり更衣室で道着に着替えてからケンドウ場に向った。
「おはようございます」
入口で礼をしてから、上履きを脱ぎ、裸足のまま中に入る。
足の裏が冷たくて気持ちよかった。
道場には部長を含めた三年生が五人全員揃っていた。それに二年生の七人を加えて全員だった。一年生は少し遅れて来るらしい。
準備体操を終えてから、竹刀を握って素振りを始めようと構えたとき、道場の入口が盛大に開け放たれた。
「おはようございます」
大きな音とともに、大きな声とともに、少女が一人ケンドウ場に飛び込んできた。
彼女は遅れて来たにもかかわらず、悪びれることなく笑顔を振りまく。それに対して他の一年生は、申し訳無さそうに、その後から入ってきた。今年の一年生は三人だけだ。
最初に飛び込んできた一年生は、高校生にしては背が低かった。ベリーショートの髪の毛は金色に輝き、青く透き通るような瞳は、吸い込まれるかのように輝いていた。
彼女の名前は諫早ミノリ。高校進学と同時にこの町にやって来た。
「あ、先輩おはようございます」
彼女が元気よく駆け寄ってくる。無駄に元気がいいのも彼女の魅力だ。
「そうそう先輩、聞いてくださいよ」
そう言ってミノリは今日起こった他愛もない出来事を語リ始める。
彼女は普通の女の子で、
本当に女の子で、
可愛い女の子だった。
だけど彼女が入部してから変化があった。
諫早ミノリは高校に入って初めて竹刀を握ったと言うのに、なぜかとても飲み込みが早く、一ヶ月で他の部員の誰よりも強くなった。そればかりか、部で二番目に強いはずの現部長を打ち負かすまでに力をつけた。
ミノリは実に竹刀の扱いが上手かった。横からの攻撃さえうまく竹刀で受け流し、そのまま懐に飛び込んでくる。その動きには感心した。ただ、彼女に竹刀は長すぎるようで、いつも剣先が邪魔をして、上手く技を決めることは出来なかった。彼女の動きには短剣の方が合っていると思った。
「今日こそは一本取りますよ、先輩」
対戦結果は彼女の零勝七十四敗。今度こそという意気込みがいつも眩しい。
ミノリが防具に身を包んで素振りを始めた。
「そう簡単には負けないよ」
同じように防具をつけて彼女の前で竹刀を構える。
「行きます」
ミノリはすぐに仕掛けてはこなかった。
タイミングを見計らって小刻みに位置を変えていく。
「じゃあこっちから遠慮無く」
そう言って攻撃を開始した。
真上から振り下ろした竹刀は正面で彼女に受け止められる。何度向かっていっても、彼女は挫けたりしなかった。
打ち込む場所を変えながら、ランダムに攻撃を続ける。時には体当たりで相手のバランスを崩すのも有効だ。だけど彼女はその全てを受け止めた。
「やりますね、先輩」
彼女は、終始ごきげんだった。
「そろそろ終わりにしようか。ミノリちゃん」
受け止めているだけでは勝ち目はない。攻撃に転じるその瞬間だけ、わずかに彼女が隙を見せる。そのチャンスを逃さなかった。
竹刀を振りかぶって、大きく前へ飛び込んだ。
「メン!」
きれいな音を立て、竹刀が頭を直撃すると。彼女はその場で座り込んだ。
「あちゃー」
「勝負あり、だね」
頭の防具を外すと、汗だらけの顔に冷たい空気が当たって気持ちがいい。
ミノリも座ったまま防具を外す。彼女はふくれっ面をしていたけれど、それがまた可愛いかった。
「やっぱり強いですねぇ、先輩。何度やっても勝てないですよ」
それから笑った。額から滴り落ちる汗が、彼女のかわいらしい笑顔を引き立てる。
右手を差し出し、彼女の手を取って引き上げた。
「ミノリちゃんも強くなったよ。この調子だと、すぐに追い抜かれちゃうかもね」
それは素直な感想だった。
確かに脅威を感じていた。
「そんなことはないですよ」
彼女は日を追うごとに成長していて、本当に気が抜けなかった。
ミノリは壁際に移動すると防具を置いて、スポーツドリンクを手にとると、わずかに残っていたその中身を一気に飲み干した。
「そう言えば、先輩はカラテの師範なんだって聞きましたけど」
それから遠慮がちに尋ねてきた。
「ああ、まあね」
照れ隠しに小さく笑った。
うちの道場はとにかく強い。その強さを活かして自警団の手伝いをしたり、警備会社の訓練を請け負ったりしている。だから、他の町からやって来たばかりのミノリでさえ、その事を知るのは容易なのだろう。
「ケンドウでもこんなに強いんですから、カラテなら、もっと強いんでしょうね」
ミノリは可愛らしく首を傾けた。
「そんなこと無いよ」
一応軽く否定をした。別に自慢する事でもない。
「そんな事ないですよ。うん。そうに決まってます」
彼女は大きく頷きながら、勝手に納得していた。
「だったら先輩……」
それから決心したかの様に顔を上げる。
問いかけるような眼差しで、
抑揚のない言葉を吐いた。
「人を殺した事とかありますか?」
聞き間違いだと思った。
彼女は相変わらず可愛くて、美しくて、だけどその目は真剣だった。
冗談で言っている様には思えなかった。
「どういう意味かな」
普通の人間なら、人を殺したりはできないだろう。
だけどカラテを極めればそれだけの力は手に入る。それは道場の先生から何度も注意されていた事だった。自警団に参加した時、窃盗犯を半殺しにして、一週間ほど謹慎をさせられた事もある。
だけど殺ってない。
それなのにすぐに否定は出来なかった。
銀行での出来事を思い出し、言葉に詰まる。
ミノリの眼差しが突き刺さるように痛かった。
黙ったまま、彼女は答えを待っていた。
けれど、なぜか答えられない。
その理由を、説明するこはできなかった。
それでも何か言わなければと口を開きかけた時、彼女は不意に視線を外した。
「何でもありません。忘れて下さい」
一呼吸置いて、彼女は再びこっちを向いた。
「そんなことより、もう一試合お願いします」
いつもと同じ明るい声で。
いつもと同じかわいい笑顔で。
「あ、うん」
だからやっぱり何も言うことは出来なかった。
「先に行ってますね、先輩」
部活が終わると、ミノリは足早に道場を後にした。
でも、すぐに彼女を追うことは出来なかった。
「どうかしたの?」
部長が心配そうな顔で声を掛けてきた。彼女は三年生で、この弱小ケンドウ部では、ミノリが来るまで二番目に強かった。
「あの娘すごいわよね。きっと何かやっていたのよ、わたしやあなたと同じ様にね」
部長もケンドウは初心者だったけれど、中学までアイキ道をやっていたそうだ。だからそう感じたのだろう。
「そうなんですかねぇ」
そう考えれば、あの上達速度は頷ける。
「さあ、あなたももう帰りなさい。もう道場閉めるからさ」
部長に背中を押されて、道場から追い出された。
部活の後は、汗を流してから帰るのが日課になっていたから、そのままシャワー室へと直行した。
部活動は必須科目だから、下校時間が近いと人が多い。やっとの思いで開いているシャワーブースを確保して蛇口をひねった。
適温に調整されたお湯がシャワーヘッドから噴き出してきて汗を流していく。
それでもモヤモヤとした気持ちは流れて行かなかった。
『人を殺したこととかありますか?』
彼女のセリフと銀行でのあの出来事がリンクする。
返り血を浴びた苫前アイラの姿を思い出した。
彼女が殺した犯人と、犯人に殺された人たちの姿が浮かんでは消えていく。
「あるはず無いよ」
熱めシャワーを頭から浴びながら独りごちる。
シャワーの音と隣のブースの大きな笑い声が、その言葉をかき消した。