六
指から外した途端、ガラスのように粉々に砕け散ったナックルバスターは、雪のように地面に降り注いで消えていった。
警備会社の社員が駆け込んで来たのはその直後だった。
この国には警察という組織がない。そう言った事件の時には、国から委託された民間の警備会社が事件の解決にやってくる事になっていた。
店には、返り血をあびたままの苫前アイラと、一部が剥ぎ取られた制服を纏っている女子高生のほかに、死体が十体転がっていた。
ライフルを持っていた男は、蹴り飛ばされる前に、苫前アイラが投げつけたナイフで絶命していた。他の三人も彼女が始末したのだろう。やはり彼女は普通じゃない。
駆け込んできた社員のうち一番偉そうな男は、苫前アイラに気づくと、その目の前で姿勢を正し、最上級の敬礼をした。
「お遅くなりまして申し訳ありませんでした。さあ、こちらへどうぞ」
苫前アイラはただ頷いて、彼と一緒に店を出ていった。
「お疲れさまでした。これどうぞ」
警備会社の女子社員が、着替えの制服を持ってきた。手回しが良すぎて気持ち悪い。
「着替えが終わったら帰っていいですよ」
「あ、はい。……え?」
てっきり事情徴収を受けると思っていたから、彼女の言葉に拍子抜けした。
「本当に、帰ってもいいんですか」
制服を着替えてから、もう一度さっきの女子社員に確認する。
「はい、後のことは任せておいて下さい」
敬礼する彼女に背を向けて、仕方なく銀行を後にした。
帰り道では何も考えることが出来なかった。頭のなかが混乱していて、途中の景色も覚えていなかった。ただふらふらと歩き、帰巣本能に従い家に向かった。
「ただいま」
一応お使いの最中だったことを思い出して一階の扉を開けた。持って行ったお金がどうなったのか心配だったけれど、そんなこと考えても仕方がなかった。
「おかえりなさい、お嬢さま」
いつもどおり斎藤さんが出迎えてくれた。その優しげな表情に癒やされる。他の社員はまだ帰ってきていないようだ。斉藤さんに軽く会釈をしてから、事務室に入り社長席へと向かった。
「大丈夫か」
疲れきった表情の娘をみて、父親は心配そうに声をかけてくれた。
「ごめんなさい、お金が……」
取り敢えず謝った。お使いを無事に済ませなかった事を負い目に感じていた。
「ああ、それなら大丈夫。さっき銀行から電話が来てたんだ。お金はちゃんと受け取ってくれたそう
だ。だから心配するな。部屋に戻ってゆっくり休みなさい」
父親は強盗の事は、すでに聞いているようだった。でも気を使ってくれたのだろう。どこまで知っているのかは解らないけれど、何も聞かないでくれたことは嬉しかった。
「ありがとう、少し休むね」
父親に手を振って二階に上がり部屋に入る。母親はまだ帰ってきていなかった。居間のソファーから鞄を拾うと、奥にある自分の部屋に戻って、ベットに身体を投げ出した。
仰向けになり、左腕を持ち上げる。
手首にはめられたリングを見た。
「従刀か」
苫前アイラとは何者なのか。
この町の支配者で、およそ生きる気力さえ感じられない学級委員長。それ以外のことはよく知らない。
自分で見た事は疑いようがないけれど、それでも信じられない事だらけだ。
『この国の半分はナノマシンで出来ている』
その言葉を思い出し、部屋をぐるりと見回した。
今までの見慣れた光景が、なにか別のもののように感じてくる。
まるで違う世界に来たような、そんな気分に襲われた。
「やめ、やめ」
それ以上考えても無駄だと分かった。
分からない事は分からない。
考えたって答えは出ない。
ただ――。
「苫前アイラのために、この国のために働いて、そして死ぬ」
それだけは確かなことに違いなかった。
それが、これからの人生だということは分かっていた。
家に帰ってきて安心したのもあるだろうけれど、思いもかけない出来事のせいで、今日はとても疲れていた。
そのまま目を瞑ると、着替えもせず眠りに落ちた。