三
急いで行ったところで、苫前アイラの役に立つことはないだろう。
それでも、見届ける義務が有るような気がしていた。
いや、多分悔しかったのだろう、ミノリの強さが。
格闘家として嫉妬したに違いない。
「引きこもっているから大丈夫って、どういうこと」
苫前ヤヨイの言葉を思い出して不安になる。
諫早ミノリが苫前アイラに出会わないことを、ただ祈った。
とても嫌な気分だった。
銀行にはすぐに着いた。
そして思い出す。
諫早マサミが起こした事件を思い出す。
いつの間にか殺されていた事実を思い出す。
それらの記憶をかなぐり捨てて、建物の中に入って行った。
店内は、諫早マサミの時と同じ惨劇に見舞われていた。あの時と違うのは、犯人が諫早ミノリだけあり、苫前アイラがそこにいない事だった。
「遅かったですね、先輩」
諫早ミノリはすでにカウンターの中に踏み込み、奥の金庫の扉の前に立っていた。
「先輩も一緒に行きましょうよ」
サッカー場での出来事が夢であるかのように彼女は笑った。
その可愛さに、見とれてしまう。
「何があるの?」
その扉の向こうに一体――。
「苫前アイラの本当の秘密があるんですよ」
秘密という言葉に惹かれたのは間違いない。
だから誘われるまま着いて行くことにした。
「わかった、行くよ」
「では、ご一緒に」
諫早ミノリが扉の鍵に手をかざす。
「カシャン」
大きな音を立てて、鍵は開いた。
大きな丸い扉をゆっくり開いていく。
扉の中は思ったより広い空間で、建物の中なのに真っ白だった。壁も床も天井も、全てが白く、雪のようだった。まるで現実とは違う世界に入ったみたいだ。
「どうやら仮想空間ですねぇ。さすが姫様」
ミノリは楽しそうに微笑んだ。
「仮想空間?」
「すでに私たちは、あの人の世界に取り込まれているのですよ」
ミノリは簡単な説明だけをして歩き始める。
空間は広く、先は見えなかったけれど、ミノリは行き先が見えているかのように力強く進んでいった。
「そこまでです。止まりなさい」
しばらく進んだところで、三つの人影が現れた。
真ん中の少女は、ドリル系ツインテールだ。
「杉並さん?」
それは杉並ミカとその仲間だった。制服姿だからすぐに分かった。
「あら、あなたも居たの。まさか姫様を裏切ったんじゃないでしょうね」
杉崎ミカがあざ笑う。
「べつに、そんなことは……」
いちいち腹が立つ物言いだったけれど、ミノリと並んで歩いている姿を見て、そう思わないほうがどうかしている。それでも、彼女は冗談でそう言ったに違いない。
裏切ることが出来ないことぐらいお見通しなのだ。
「それよりあなた達は、どうして此処に?」
彼女たちがこの場にいる事の方が不思議だった。苫前アイラを守る立場に居るのだとしても、少しばかり予想外だ。
彼女たちはどう答えようか考えあぐねている様だった。
「そうですか、先輩方がお姫様のファイアーウォールというわけですか」
諫早ミノリはその意味に気づいたのだろう。一人で納得して頷いた。
「ファイアーウォール?」
それは、特定のコンピュータネットワークとその外部との通信を制御し、内部のコンピュータネットワークの安全を維持することを目的としたソフトウェアあるいはそのソフトウェアを搭載したハードウェアの技術概念だ。
けれど諫早ミノリの言葉は、その意味からするといささか不可解だった。
「此処から先は、関係者以外立入禁止よ。すぐに引き返しなさい」
杉崎ミカは警告する。
「嫌だと言ったら」
ミノリは挑発する言葉を発した。
「強制排除するだけです。行くわよ」
それから三人揃って左手を目の前にかざした。まるで、アイドルのステージのように息があっていて眩しかった。
「「「ダーレ=フォルザ」」」
円状の紋章が彼女たちの左手の正面に現れる。手の平より一回り大きい紫色で、円の中には複雑な模様が描かれている国章だ。
同時に、彼女たちの手にそれぞれの武器が具現化した。杉並ミカのは雛見沢村特産の大きな鉈だった。松陰サキは槍を構え、宮前マヤは身の丈ほどもあるナイフ状の武器を持っていた。
「行くわよ!」
杉崎ミカが叫ぶと同時に、他の二人は瞬時に諫早ミノリに襲いかかった。
「マギーヤ・オトクリーティエン」
対する諫早ミノリも、人差し指と中指を揃えた左手を額に当てて、呪文を唱える。
地面に魔法陣が現れ、諫早ミノリは魔法少女へと変身した。
「無駄ですよ。先輩方には止められません」
チーム杉並の連携は神がかり的だった。その上あの力を持っていれば、大抵の相手なら簡単に倒せるだろう。
「そんな武器じゃだめですよ、先輩方」
左右から挟み込むように二人の攻撃がミノリを襲う。ミノリはその攻撃を交わすことなく受け止めた。何箇所か切られて血が吹き出していたけれど、ほんのかすりキズ程度でしかなかった。
「まあ、『魔女と契約せし乙女』が相手では、簡単には行かないでしょうね」
松陰サキも、ミノリに対抗して小さく笑った。
二人は再び攻撃を仕掛けるが、ミノリに対してあまり効果は無いようだった。それよりミノリのトンファから受けるダメージのほうが深刻だった。
健闘はしていたけれど、諫早ミノリを相手にしてこの二人では役不足だ。せめて杉並ミカが加われば、そこまで差は生じない。だけど彼女は動かなかった。
見るからに劣勢だというのに、杉崎ミカは落ち着いていた。
「そろそろ終わりにしましょう先輩方」
ミノリの振り回したトンファが、二人の脇腹に順番にヒットする。
「松陰さん、宮本さん!」
二人は攻撃を受け、勢い良く吹き飛ばされると、壁に激突した。
「いや、宮前だから」
宮前マヤは、壁に打ち付けられた後、その言葉を最後に気を失った。
「残念です」
後を追うように松陰サキも戦闘を終了した。
「さあ、残っているのはあなただけですよ、先輩。そんな武器一つでは、どうにもなりませんよ」
諫早ミノリは、正面を向いてトンファを構え直す。
「貴方はひとつ勘違いをしてるわ」
仲間が二人とも戦闘不能になったというのに、杉崎ミカは余裕だった。
「残念ながら、私の武器はこの鉈なんかじゃないのよね」
そう言いながら、手に持っている鉈を地面に突き刺す。
「コンバシオーネ」
彼女の武器を国章が包み込み、大型の鉈に姿を変えた。ミノリに倒された二人が無意識のまま立ちがり、彼女たちの武器も杉崎ミカと同じ鉈へと変化する。
「私の本当の武器はね、そこの二人なの」
杉崎ミカは、自ら鉈を振り上げ諫早ミノリへと振り下ろす。諫早ミノリはトンファでその攻撃を受け止めた。他の二人も諫早ミノリへの攻撃を再開した。
「あんた、何でそんな力を持っている」
予想外の攻撃に諫早ミノリは後ずさる。
確かに二人を操りながら戦うなど、精神力が尋常じゃない。さすが苫前アイラの取り巻きだけのことはある。どうやら彼女の力を、過小評価していたようだ。
「悪いわね。これでも霙の一族だったりするのよ」
その噂は以前に聞いたことがあった。
この国で、姫を守る一族が存在すると。
とてつもなく強い少女がいると。
でもそれは都市伝説だと思っていた。
そんなものはありえないと思ってた。
「まさか実在したとは、驚きです」
目の前で対峙している諫早ミノリも、その言葉に驚いていた。
「では、それが真実かどうか、試してみましょう」
気を取り直して、ミノリはトンファを構え直す。
「望むところです。貴方も力を開放しなさい、黒猫さん」
杉並ミカと彼女の武器は、ミノリを囲むように身構えた。
「「「さあ、戦争をしましょう」」」
そして三人が同時に口を開いた。
杉並ミカは楽しそうに笑った。本当に楽しそうだった。
武器である二人が素早く諫早ミノリに攻撃を仕掛ける。さっきまでとは違い、スピードも早く、攻撃力も格段に高くなっていた。
いくら強いとは言え、そのままで三人を相手にするのは無謀すぎた。それも諫早ミノリははよく解っていた。何度かの攻撃をそれこそ紙一重で受け流しなが、彼女は機会を伺っていた。
「ドゥビック」
三人の攻撃をすり抜けて、諫早ミノリは呪文を唱える。体を黒い紐状のものが螺旋状に包み込み、『魔女の右腕』と呼ばれる戦闘形態へと変身した。
ミノリを追いかけていた二人が、あっけなく弾き飛ばされた。
「そう来なくっちゃです。それでは私も、本来の力を見せてあげましょう」
杉並ミカは鉈を投げ捨てると胸の前で手を組んだ。鉈は粉々になって姿を消した。
「姫を守りし我ら霙の血の契約に従いて命ずる」
そしてそれを頭上へ伸ばした。
「アベント」
彼女の足元におおきな国章があらわれ、電撃が杉崎ミカの腕に落ちた。
眩しく輝くと同時に霧状のものが彼女を覆い、その姿が見えなくなる。
その間中攻撃していた他の二人の友人は、その時点で諫早ミノリに打ちのめされ、攻撃不能になっていた。それだけ「黒猫」は強かった。
霧が晴れると同時に、諫早ミノリは一人だけ残っていた杉崎ミカに向かていった。
振り下ろされたトンファが彼女の頭上に落下する。そのまま当たれば、ミノリの勝ちは確実だった。
けれどそれは止められた。
鉈ではなく、細長い日本刀に。
彼女は片手だけで、ミノリが力任せに振り下ろしたトンファを防いでいた。
完全に霧が晴れた時、その姿に驚いた。
杉並ミカが居るはずの場所に、別の少女が立っていたのだ。
真っ白いゴシック調のワンピース。
その顔には見覚えがあった。
「ちょっとばかり、やり過ぎじゃありません」
無表情ではあったけれど、少し怒っているようにも感じた。
「柏崎サツキ?」
そこに居たのは杉並ミカではなく、第五行政区の守護神である柏崎サツキだった。
「どうもはじめまして、柏崎サツキです」
諫早ミノリはあわてて距離をとった。それもそうだ、柏崎サツキの戦闘力は、明らかに諫早ミノリを凌駕している。初めて諫早マサミと対峙した時、初めて苫前アイラが戦ったとき、その時感じた彼女たちの力など、全く足元にも及ばなかった。
街を一つ消滅でるほどだった。
それでも、かなり力を抑えているようにも感じた。
「どうしてあんたがここにいるのかなぁ。あなたたちは自分の街を出られないんじゃなかったのかなぁ」
たしかにそうだ。
苫前アイラも以前そんなことを言っていた。
「そうですね、一般的にはそういうことになっています」
だから、柏崎サツキも、そう答えた。
「だけど私は特別なんですよ。依代があれば、どこへだって行けるんですよ。国外でも宇宙でも何処へでも、ね」
ガーディアン。
カスミがそう呼んでいたのを思い出した。
この人は、苫前アイラ以上に特別なのだ。
「霙の一族」
それは姫を守る一族と言われていた。
その意味するところにやっと気づいた。
彼女たちは、ガーディアンの依代として存在していたのだ。
「杉並さんは、ほんの一例なんですけどね」
それは、他にも依代となりうるものがあると言う事だろう。
「あんたを倒さなきゃ、苫前アイラに辿りつけないのかなぁ」
ミノリは諦めたようにそう吐き捨てる。
目の前の相手が、自分より強いと分かっていても、そう言うしか他にないのだ。
「そういうことです」
「だったら」
ミノリは、両手の武器に力を加えた。
「あんたを倒すだけ」
そう言ってトンファを一回させ、右足を踏み込もうとした。
「ごきげんよう」
柏崎サツキはその場を動かなかった。
右手の刀をただ一振りしただけだった。
振り切った刀は、すぐに粉々に砕け散って消えていった。
諫早ミノリは全身を切り刻まれ、体のあちらこちらから血が吹き出してた。
耐え切れなくなって膝をつく。
両手の力が抜け、トンファが地面に転がった。
それもすぐに消滅した。
「な、なんで、どうして」
変身が解け、ミノリは元の制服姿に戻っていった。
「あなた程度の力では、まだまだ私の相手にはなら無いようですね。黒猫さん」
柏崎サツキは、体のこちらに向けてから言葉を続ける。
「止めは貴方がやるべきだと思うのよ」
もちろん、彼女に逆らえるはずなどない。
それに、こうなる前から決めていた。
だからただ小さく頷いた。
「ダーレ=フォルザ」
右手に具現化した日本刀を持ちながら、ゆっくりとミノリの前に近づいた。
彼女は座り込んだまま顔をあげる。
目からは涙と血の両方が流れ出ていた。
「ミノリちゃん。ごめんね」
その時になっても、彼女のことが好きだった。
好きで好きでたまらなかった。持っている刀を投げ出して抱きしめたかった。
だけど、だからこそ……。
自然と涙が流れ落ちてくる。
「いいんですよ先輩。私の負けです。でも、最後が先輩でよかった」
彼女は笑った。
その表情は、以前の彼女と同じだった。学校での彼女と同じだった
その笑顔を見て最後の未練を断ち切った。
すべての感情を飲み込んだ。
もう涙さえも出て来ない。
両手で逆手に持ち替えると、
日本刀を、
彼女の眉間に、
突き刺した。




