二
第五行政区の中心地であるエストルまでは、距離にして約八十キロメートルほどで、特急に一時間も乗れば着くからそう遠くはなかった。朝の列車で出掛ければ、たっぷり遊んでも夕方には帰って来ることが出来た。交通費もさほど高くはないから、週末は街に繰り出すのが、中高生の間での一般的なイベントとして定着している。
「おはよう」
八時三十分に、上坂カスミはやって来た。
「おはよう」
玄関先には気合の入った女子高生が立っていた。やや青み掛かった白を基調としたゴシック風のワンピース。おとなしめなピンクの髪留めをしていたけれど、髪は伸ばしたままだった。彼女の私服姿を見るのは久しぶりだ。
今日は化粧さえも抜かりがない。
「なんか、変」
無意識にそんな言葉が口から出てきた。
「それ非道くない?」
カスミは頬をふくらませて抗議する。
「そんなことよりさ、何なの、その格好」
いつも通り、TシャツにGパンという姿を見て、彼女はその格好を非難した。
「何かおかしいかな」
まだ寒いからTシャツの上にはジャンバーを羽織っている。何かあった時は、動きやすい格好が一番だと思っていた。それはもはや職業病といっても良い。
「いや、それはない。女子高生のブランドが泣いているっしょ」
そのブランドがどの程度の価値なのだろうと、そんなものは必要ない。
「大丈夫だよ。問題ないし」
はやりの服は嫌いじゃないけど、私服はこれしか持っていないので、しかめっ面のカスミを押し出すように、揃って出かけた。
「まるで自警団の見回りだし」
彼女は諦めたかのように、ため息を付いた。
最寄りの駅まではカスミの車で送ってもらった。もともと彼女の家は裕福で、使用人も沢山いる。乗ってきた車はもちろん、運転手付きの黒塗りのリムジンだった。
駅で車を下ろしてもらい、往復きっぷを購入してからホームに向かう。こうやって電車で行くのも楽しみの一つだった。
特急は九時丁度に駅を出た。土曜日の朝だからビジネス客がメインだけれど、高校生も多かった。
進行方に向かって右側の席を選んだのは、海が見えて眺めが良いからだ。
「ねえ、その左腕のブレスレット。前から気になっていたんだよね」
座席で一息ついたとき、カスミが目ざとくそれを見つけた。
「あ、いや、これは」
咄嗟に上着でそれを隠す。余計な事を聞かれたくなかった。
「あれれ、何で隠すかなぁ。分かった、彼氏からのプレゼントっしょ」
「ち、違うよ」
どもりながらも全力で否定する。
「怪しい」
カスミは、明らかに面白がっている。
「彼氏なんて居ないこと、知ってるくせに」
「本当かなぁ」
膨れ面で抗議をしたけれど、彼女はとても楽しげだった。
彼女とのそういったやりとりは、嫌いじゃない。
諫早ミノリの事も、今日は忘れて楽しめそうだ。
カスミの配慮に感謝した。
十時を少し回った頃、室内に音楽が流れ、続けて車内アナウンスが始まった。
「本日は特急カエデ一号にご乗車ありがとうございました。まもなくエストルに到着致しします。お降りのお客様はお忘れ物ございませんようご用意下さい。次のエストルには約十分停車します」
そのアナウンスで目が覚めた。発車してすぐは色々と話しをしていたけれど、いつの間にか話し疲れてふたりとも寝てしまった。
「着いたね」
カスミが大きく伸びをする。
そのとなりで、目をこすりながら列車の窓から外を見た。
駅の前にはいくつかの高層ビルが建ち並び、それが都会色を表していた。エストルには何度も来てはいるけれど、この景色を見るとワクワクする。高校卒業したらすぐに家業を継ぐと決まっていたから、都会に住む事にとても憧れていた。
「さあ、行きますか!」
駅のホームに進入したのを見計らって、カスミが席を立って通路に出た。彼女は何時でもせっかちだった。
「あ、待って」
慌てて彼女の後を追う。
特急を降りると、ホームは人でいっぱいだった。さすが都会だ。エストルは第五行政区の中心地ではあるが分岐点ではない。集まっている人はみな、この街に用事がある人ばかりだった。
「どこに行こうか」
改札を出ると左手に第五行政区の区役所が聳え立つ。六四階建ての超高層ビルだ。バスレーンを横目に、まずは正面の歩行者天国を目指して歩きだした。今回は特に目的がなかったから、全くのノープランである。
「そうだね。まず、あんたを何とかしないとね」
カスミは手を引いて、ファッション関係の入ったビルに向かった。
「ちょっと待ってよ」
彼女の行動は、何時でもいきなりで強引すぎた。
「だめ!」
抵抗は虚しく空振る。
彼女は昔からそんな感じだったのを思い出し、楽しくなった。
ビルの中にはファッショナブルな洋服を揃えた店が所狭しと並んでいた。其のうちの一つに入ると、Tシャツを脱がされ、やや大きめで∨ネックの長袖の上着を着せられた。チェニックというらしい。Gパンは相変わらずだったけれど、靴はおしゃれなショートブーツに変わっていた。
最後に一階の化粧品コーナーに連れて行かれた。
「誰これ」
簡単な化粧を済ませ鏡を見た時、思わずそう呟いた。
「可愛いっしょ。元が良いから。もっとおしゃれすれば良いのに。モテるよ絶対」
そう言われて照れてしまった。今までまったく必要ないと思っていたけれど、こういうのもちょっと楽しい。
「じゃあ、次行こうか」
彼女の目がキラリと光る。
ビルを出ると、駅とは反対方向に進路をとる。信号を幾つか渡った先の細い路地を右折して、奥に進んだ所にそれはあった。
上平カスミの本来の目的地。
アニメショップ。
日本発祥のアニメーションは、この国でもとても人気があった。
「うひゃあ」
店に入るなりカスミはいつもどおり奇声をあげる。
でも、それを気にする人は一人もいないかった。その場に居いるのは全員そんな感じだからだ。
「あ、私、あっち見てくるし」
そう言い残して、彼女は一人で同人誌のコーナーへ消えていった。彼女は本当に腐っている。それは彼女自身認めている事だった。
カスミの趣味には付き合いきれないので、仕方なく一人でアニメ化コミックのコーナーに向かった。最新アニメの原作が所狭しと置いてある。ほとんどが日本語で書かれているから、買ってまで読む気にはなれなかった。アニメは確かに好きだけど、ここにいる多くの人より熱心なファンでも無かったから、すぐに飽きた。
「いつものところで待っていようっと」
この店には、そういう一般人の連れ添いの為の休憩場所が設置されていた。それほど広くはないけれど、椅子とテーブルが備え付け荒れていて案外居心地がいい。
休憩所の自動販売機でペットボトルのミルクティーを購入してから、唯一空いていた椅子に座って蓋を開けた。他の椅子は、同じような境遇の同伴者で一杯だった。
「あなたも、お友達の付き添いかしら?」
ミルクティーを一口飲み終えた時、隣りから声を掛けられた。そんな事は滅多に無いから驚いて振り向いた。座るときには気にしていなかったけれど、制服姿の女子高生だ。しかもそれは、この国の国民なら誰もが知っている超有名な制服だった。
フリルの付いた濃紺のワンピースに白いワイシャツ。紺色の上着には白いラインが袖と腕の部分についていた。
「そ、そうなんですよ」
取り敢えず返事をしてから視線を逸らした。
『出会ったらすぐにに道を開け、その進むべき道を妨げることなかれ』
『声をかけられたら誠実に答え、決して嘘をつくことなかれ』
『喧嘩を売られたらとにかく謝まり、相手に立ち向かおうとすることなかれ』
そう言った四十二の戒めは、すべての国民に叩きこまれている。
この国で最も権力のある私立の女子高校。
彼女が身にまとっていたのは如月女学院高等部の制服だった。
彼女が隣にいるというだけで、山の中で熊に出くわしたかのように恐怖した。対応をしくじれば、命はない。それは都市伝説などではない真実だった。
「腐女子の方々に付き合うのも楽じゃありませんよね」
そんな心配もよそに、彼女はまるで普通の女子高生のように、それでも幾分丁寧な言葉で話しをつなげた。
「そ、そうですね」
おもいっきり吃ってしまった。
本当のお嬢さまとはこういう人を言うのだろう。
とにかく其の存在自体が禍々しい。
しかし無視する訳にはいかないから、恐る恐る視線を戻した。
髪の毛は若干紫のかかった黒のロングヘヤーで、やや斜めに束ねたポニーテールだ。顔立ちは美しく、紫に輝く瞳も綺麗だった。
それなのに彼女の表情はとても冷たく、暖かみが全くなかった。
そう感じた。
「苫前アイラさんは元気かしら」
彼女は店の中を眺めたまま、何気なく、さらりと言った。
「ええ、元気ですよ」
あまりにも普通にそう聞かれたから、何の疑いもなく普通に答えた。答えてから気づいてしまった。
この人は何故、苫前アイラを知っている?
いや苫前アイラは有名人だ。一応「姫」と呼ばれる身分である。国内で最も優秀であるところの如月女学院の生徒が、苫前アイラの名前を知っているのは、別段おかしいことじゃない。むしろ知らないはずがない。彼女たちはそういう人種だ。
だけど――。
「あの」
だから聞き返した。
無謀にも。
恐れを忘れて。
「なにかしら」
彼女は、興味有りげな表情を浮かべていた。
「どうして、それを聞いたのですか」
それでも苫前アイラとの関係を、この少女が知っているはずはない。いや、少し調べれば同じクラスと言う事くらい分かるだろう。
それでも――。
「何のこと」
彼女は小さく首を傾げた。だけど彼女には、すべて分かっているはずだ。
「うちのお姫様の事ですよ」
相手が特別な学校の生徒である事も忘れてその少女を睨み返す。
彼女は、それを見て笑った。
「だってあなた、彼女の従刀なのでしょう」
そう言われて、とっさに左腕のブレスレットを右手で隠した。
その動きはとても不自然だったけれど、彼女は気に止めたりしなかった。
「私はなんでも知っている」
例の詐欺師の先輩よろしく、したり顔で彼女は答えた。
同時に彼女の瞳が青く光った。
何も言えなかった。怖かったわけでも、恐ろしかったわけでもない。
この少女はとても危険だ。直感でそう感じた。
だから、一刻も早く逃げ出したかった。
それなのに、体はいうことを全く聞かない。席を立つことさえ出来なかった。
「おまたせ」
重苦しい空気に包まれて、どうしようもなく身動きが取れなくなっていた所に、都合よく、両手一杯に紙袋をぶら下げた上平カスミが戻ってきた。
「は、早かったね」
その瞬間、掛けられていた呪縛が解けた。
「今日も大量でした」
カスミはごきげんだった。この店に来ると、いつも最高の笑顔になる。
「あれ? サツキさん」
彼女は隣の少女に気づいて声をかけた。どうやら面識があるらしい。如月女学院の生徒相手にもかかわらず、彼女は気さくに話しかけた。それが少し意外だった。
カスミはあまり社交的とは言えないからだ。
「お連れさんはあなたでしたか、上平カスミ。ところで、瑞希さんはお元気ですか」
それは聞いたことのない名前だった。二人の共通な友達か何かだろう。
「たぶん元気ですよ。最近あっちには行ってませんけど、あの人が落ち込むことなんかあるんですか」
「あまりないわね」
サツキはなんとか思い出そうとまゆをしかめていたけれど、無駄だった。
「でしょう。あの人はそういう人です」
「そうね。まあそれはどうでもいいんです。あなたに言っておくことがあります」
「何でしょう、ガーディアン」
カスミは彼女のことをそう呼んだ。
「私達の邪魔だけはしないでくださいね」
守護神と呼ばれた少女は、警告するように言葉を吐いた。
「解っていますよ、サツキ様。では、ごきげんよう」
カスミは怯むこと無く、別れの言葉を彼女に告げるとその場を離れた。
慌てて彼女を追いかけた。
一瞬振り返ると、その少女は笑っていた。
とても冷たく笑っていた。




