六
「おはよう」
翌朝、食卓に顔を出すと、母親が朝食を作っていた。
「おはよう。あら、目が赤いんじゃない?」
娘の不調に気付くとは、さすが母親だ。
家に帰ってからも涙は止まらず、夜はほとんど眠れなかった。ひと通り泣き終わってからも、目を瞑るたびに、ミノリの姿が浮かんでくる。
そしてまた泣いた。
そんなことを繰り返して、結局一晩中泣いていた。
悪くはないと思っても、すぐ罪悪感に襲われる。
「そうかな。気のせいじゃない」
ソファーの脇にあった朝刊を広げながらテーブルに座った。
昨日の公園での出来事は、新聞の記事になっていなかった。巻き込まれた市民が一人も居ないからだろう。その事に少し安心した。これ以上、ミノリが晒し者になるのには耐えられない。
誰にも知られずに死んだほうがマシだと思った。
「ところでさ、あんた今日は暇?」
今日は土曜日だから学校は休みだった。休みの日に練習するほど部活も熱心ではなかったし、特にやることも、行くところも無かった。第一、そんな気分にもなれなかった。
「悪いけど、お使い頼まれてくれないかしら」
目の前に、焼きたてのトーストと目玉焼きが用意された。何も付けずにトーストにかぶりつく。食欲だけは無くならなかった。
「お使いって、何?」
嫌な予感しかしなかった。
「お城にお届け物なんだけど」
思ったとおりだ。
町全体が見渡せる高台の上に大きな屋敷がある。その屋敷は「城」と呼ばれていた。実際に外観がお城なわけではなく、ただ普通に大きな屋敷だった。そのお屋敷の所有者は苫前アイラ。高校生にしてこの町を治めている支配者だ。
だから町の人達は彼女のことを「姫様」と呼んでいた。
「あ、うん」
そのお使いは、正直言って気が重い。
苫前家のお屋敷は使用人が多く敷地も広いから、訪ねて行ったところで本人に会える可能性は極めて低かった。だけど、なんとなく彼女と会いそうな気がして嫌だった。
今は彼女と会いたくない。
あんな事の後では、どういう風に接したらいいか解らなかった。
「いいよ」
それでも、母親の頼みを断る事は出来なかった。断る理由が見つからなかった。
「じゃあ、よろしくね」
何も知らない母親は、嬉しそうに微笑んだ。
苫前アイラの屋敷までは、徒歩で行くにはかなり遠く、自転車で行くには坂道が急すぎた。効率的な方法として、駅まで自転車を使い、駅から路線バスに乗る事にした。
通勤時間は終わっていたし、買い物には早い時間だったから、駅前の人通りは少なかった。自転車を駐輪場に置いてから三番のバス停に向う。
その途中で信じられないものを見た。
「どうして?」
そんなはずはない。
だって彼女は――。
その少女は、はじめから気づいていた。
そしてこっちへ向かってきた。
「おはよございます、先輩!」
少女は手を振ってから走りだす。
とても聞き慣れた声だった。
身長は百五十二センチ。
髪型はベリーショートで襟足だけ少し長い。
そして見事な金髪だ。
初めて見る彼女の私服は、黒が主体の可愛らしいワンピースだった。
「どういう、ことなの?」
驚きを隠すことができなかった。
「だって、昨日――」
その続きを声にする事はできなかった。
「昨日どうかしたんですか、先輩」
諫早ミノリは、そう言って首を傾げた。
「いや」
彼女は確かに目の前で死んだはずだ。
頭に浮かんだそんな疑問を否定することは出来なかった。
彼女はここにいる。
確かにここに存在する。
こんな非現実的な事、あるはずがない。
あれは幻覚だったのだろうか。
それとも夢だったのだろか。
「今日は何処に行くんですか、先輩」
それなのに彼女は、何事もなかったかのように体を寄せてくる。
「あ、うん。ちょっとお城まで」
上ずった声でそれに答える。
「そうなんですか。気をつけて行って来てくださいね」
彼女は腕を絡めてくる。
顔と顔とが近づいて緊張した。
「でも先輩」
ミノリは、耳元に口を近づけ静かに言った。
「私は別に、先輩を許したわけじゃないんですよ」
彼女は腕をほどいて距離をとる。
そして笑った。
「ごきげんよう。先輩。苫前先輩にもよろしくです」
彼女はその場で一回転してから駅へと向かった。スカートがふわりと舞い、白い素足が顕になってどきりとした。
駅の入口に吸い込まれ、彼女の姿が見えなくなるまで目で追った。
彼女は一度も振り向かなかった。
諫早ミノリは覚えている。
彼女のお姉さんを殺した事を覚えている。
それは本当は事実じゃない。
でも、彼女にとっては真実なのだ。
それでも、ミノリが生きていてくれた事は嬉しかった。
素直に、嬉しかった。
バスは時間通りにやってきた。駅前からとなり町まで行く中距離バスだ。
乗り込むとすぐにバスは出発した。
一緒に乗ったのは、帽子にリュックという格好の老人と高校生風の私服の少年だけだった。となり町までの間に峠がある。老人はそこで降りるのだろう。少年は大きな荷物をかけていたから旅行に行くのかもしれない。
「次は苫前入口。苫前入口です」
電子音声のアナウンスが車内に流れる。
お城の建っている地域は苫前と呼ばれていて、そのバス停は、駅前から数えて五つ目だった。入口というのは城の入口の事である。
乗り過ごさないように、降車のボタンを押した。
「次止まります」
しばらく走るとバスは停まった。
携帯端末を料金箱にかざしてバスを降りた。
バス停から少し坂を登った所に門がある。お屋敷は高い塀で囲まれていて、入口は高さが十メールもありそうな木製の扉だった。
その門の前で女が二人、立ち話をしていた。
一人はよく知っている顔だった。
髪が腰まで届くほど長いシングルの三つ編みで、メガネをかけている。いつもと印象が違うと思ったら私服だった。純白のワンピースだ。
今一番会いたくない少女だった。
だから見つからないよう、通り過ぎる事にした。
「あら、珍しいわね」
それでも、やっぱり気づかれた。
昨日の事は全く気にしていない様子で、いつもと同じ態度だった。
「こんにちは、姫様」
平静を装って返事を返した。
学校にいる時は、苫前アイラは絶対に自分のことを姫様とは呼ばせなかった。でも此処は学校ではないし、家のお使いできたのでそう呼んだ。
「ねえあなた、今日はなんだか悩み事でもありそうな顔をしているわよ」
たしかに彼女の言う通りだった。それは駅前で諫早ミノリに会ったからである。生きていたのは嬉しいけれど、色々考えると落ち着かない。苫前アイラなら、きっとミノリが生きている理由を知っているはずだ。
だけど先客がいたので、確認するのは諦めた。
「ごきげんよう」
「ねえ、ちょっと」
挨拶だけして通りすぎようとしたけれど、苫前アイラに呼び止められた。
「折角だから紹介しておくわ。このかっこいいお姉さんは羽幌ヒロさん」
「かっこいいとか無いから」
そう言って羽幌ヒロは照れ隠しに可愛く笑った。
羽幌という名前には聞き覚えがあった。
第五行政区に五つある町の一つを統治する貴族の名前だ。
「初めまして、よろしくね」
背が高く見えるのはハイヒールのせいだろう。スーツを着ているから随分と大人っぽく見えた。髪は少し長めのショートカット。まさにキャリアウーマンと言った感じの身なりだったけれど、とても可愛らしい顔していた。
「じゃあ、わたしはお城の方に用事がありますので」
面倒くさい事になる前にその場を去ろうとした。
「ちょっと待ちなさいよ」
けれどやっぱり、苫前アイラに止められた。
「羽幌さんはもう帰るから、一緒に行きましょう」
そう言っているうちにリムジンが現れた。
「じゃあね。また会いましょう」
リムジンは羽幌ヒロを乗せるとすぐに走りだした。
「それでは、行きましょうか」
リムジンが視界から消えるまで見送ってから、苫前アイラは歩き始めた。
「あの人もお姫様なんですか」
羽幌家の女性であればその可能性はとても高い。べつに興味があったわけではなく、単なる好奇心で聞いてみた。
「いいえ、彼女はただのお使いよ」
彼女は一度こっちを向いてそう答えてから、すぐに視線を逸らした。
「私達はどうしたって自分の町からは出られないんだから」
それから寂しげに小さな声でつぶやいた。
聞いてはいけない言葉のように思えたので、それはあえて聞き流した。
門から建物まで一キロくらい離れている。しかもかなりの上り坂だ。道の両側にはサクラの木が植えてあり、満開の花が少しずつ散り始めていた。
「聞きたいことがあるんでしょう」
しばらく歩いた所で、苫前アイラが口を開いた。どうやって諫早ミノリのことを切り出そうか悩んでいたから、その言葉には助けられた。
「さっき、駅で諫早ミノリに逢ったんです」
だからさっきの出来事を素直に話した。彼女なら、その事について、何らかの説明をしてくれるに違いない。
「だれ?」
彼女は本気でミノリの事を失念していた。いや、彼女の名前なんて最初から知らなかったのだろう。覚える気すら無い気がした。
「昨日あなたが殺した女の子ですよ」
名称がダメなら、事象を持ち出せば思い出すかもしれないと思った。
「ああ、そうでした。あなたがボッコボコにした娘さんでしたね」
「まあ、そうですけど」
ミノリを必要以上に殴りつけたのは間違っていない。だけど、とどめを刺したのは苫前アイラだ。そこら辺はごまかしてほしくない。
「つまり、彼女は生き返ったってことかしら?」
医者ではないから確かな事は言えないけれど、あのとき確かに彼女は死んだ。それは何度か確認しているから間違いない。
「でも、それもありですね。あなたが銀行で成敗した連中を覚えているかしら。彼らの仲間なら、そういう事も出来るはずですから」
それも本当は、全部あなたがやった事だ、と突っ込む事は出来なかった。
「魔女と契約せし乙女」
「覚えていましたか」
「それで、彼女達は一体何者なんです」
以前聞き損じた事を口にした。それが解らないために、未だ銀行での出来事に気持ちの整理が付いていない。
「まあ、あなたには話しておかなければならないでしょうね」
苫前アイラは眼鏡のフレームをほんの少し持ちあげた。
「彼らはね、簡単にいえばレジスタンスなんです」
「レジスタンス」
つまり侵略者や占領軍に対する抵抗組織だ。
「この国の今の体制を好ましく思わない人は確かにいるの。どんなに素晴らしい国づくりをしても、必ず生まれる歪なのよね。だから、我らが女王陛下を侵略者呼ばわりする反逆組織は、この国にもいくつか存在しているの。普段であれば、そいつらを相手にする必要もないのだけれど、彼女だけは厄介でね――」
「魔女ですか」
我慢できずに其の単語を口にした。
「あれは魔法少女の成れの果てなんかじゃないんです。彼女は、女王陛下に匹敵する力を持っている。だから、魔女が本気を出したら、この国は戦争になるでしょう」
苫前アイラはまるで他人事の様にそう言った。
「一般の国民に手を出さないうちは、見逃す事になっているのですけれど、今回は少しやり過ぎました。だから彼女は、諫早ミノリは排除されなければなりません」
苫前アイラは支配者らしい鋭い目つきでそう語った。
「魔女と契約したからと言って、すべてが魔女の意思に従っているとは限らないの。諫早ミノリは、ほとんど私怨で動いているのですよ」
「それは、あなたが、彼女の姉である諫早マサミを殺したからじゃないですか」
苫前アイラは其の名前を一所懸命思い出そうとしていたが、すぐに諦めた。
「誰でしたっけ」
「この間、銀行で暴れた女子高生です」
それを聞いて、思い出したかのように彼女は頷く。
「ああ、あの娘でしたか。彼女も一見組織に利用されていたように見えますが、やはり私怨で動いていましたからね。諫早マサミの両親は組織の幹部をしていたんですよ。随分前になりますけど、善良な市民を巻き込むテロ行為を行ったので、その見返りに、私が始末したんです」
そんな事を、彼女はさらりと言ってのけた。
でも、それを覚えていた事のほうが意外だった。
「始末した」
その言葉の意味はとても深い。
「あの組織はすでに壊滅状態なんですけれど、魔女に強いコネがあるんです。だから、今回は魔女にお願いしたんでしょうね」
その願いは叶えられたに違いない。
「じゃあ、諫早ミノリは――」
本当に聞きたかったのは、苫前アイラの昔話なんかじゃなかった。
「多分生き返ったんでしょう。彼ら組織の道具として」
「道具、ですか」
無意識に唇を噛んでいた。
「そうですよ。あの組織はすでに当初の目的を見失っているんです」
本来の目的なんかには興味が無い。
いま彼女を、諫早ミノリを突き動かしているものは――。
「単なる復讐心ですよ」
だとすれば、再び彼女と戦わなければならない。
仇と思われているうちは逃げられない。
できれば、その運命だけは受け入れたくない。
そう思った。




