エピローグ 月光の源
エピローグ 月光の源
「いやはや、我ながら浅はかだったね。可能性として、腕時計が病院まで持ち込まれたことは、当然考慮すべきだった。そういえば、柴崎社長がここに来た時、途中で会社に寄っていたと言っていたような気がするね。でも残念なことに、その時僕は屋敷の方に夢中でね。泥棒がどういうルートで侵入したかとかを考えていて、よく聞いていなかったんだよ。つまり、言い訳をさせてもらうなら、僕は今日になって急遽応援に駆けつけて来たわけだからね。ちょっと事情に通じていなかった。最初から捜査に加わっていれば、こんなケアレスミスはしなかったんだけどなぁ」
「だぁーもう! ウジウジうるさいわね! ちょっとは申し訳なさそうにしたらどうなのよ! 世が世なら切腹ものよ、あんた!」
その後、結局私たちは、柴崎社長の望み通り、今回の事件を穏便に済ませることに同意したのだった。しかし、元凶である月光さんは、特に悪びれることもなく、いつものように飄々とした調子だった。
今回の件は、確かに失態だけれど、事件を迅速に解決したというお手柄もあるので、評価の分かれるところではあるかもしれない。とはいえ、ひかり先輩が憤るのも無理はない。一応、今回の捜査責任者はひかり先輩なのだから。
「ふむ、切腹といえばね、最初に切腹自殺を決行したのは、源為朝という武将と言われていてね。身長二メートルを超える巨体と凄まじい怪力の持ち主で、通常の五倍は張力がある弓を操ったとされる。その矢は、鎧武者二人を軽く貫通し、その向こうにいる三人目の鎧武者をも射止めるほどの威力だったとされ……」
「話を逸らすなぁ! 一体どうすんのよ⁉ 帰って課長になんて説明するつもり⁉」
「もちろん、君になんとかしてもらうしかない」と、月光さんはきっぱりと言い放った。「君も知っての通り、僕は上司からの評判が良くないからね。それに比べて、君は上司からの信頼も厚く、マスコミにだって顔が利く。この件を穏便に済ませられるのは君しかいない!」
ひかり先輩の剣幕も、月光さんにはどこ吹く風のようで、当然とばかりに全ての後始末をひかり先輩に丸投げした。ひかり先輩は、月光さんの全く悪びれない無責任な発言に、怒りを通り越してあきれたといった感じで大きなため息をついた。
「はぁ……。もういいわよ。その代わりまた一つ貸しだからね。それも特大のね」
「ありがとう。流石は僕のアマテラス。 僕が輝くのは君がいるおかげさ! 君がいなければ、僕はただの路傍の石ころに等しいといっても過言じゃない」
「はいはい。そんなおべっかより、ごはんでも奢ってくれたほうがよっぽど嬉しいわ」
「それは良いね。今度、華ちゃんもいれて三人でディナーと洒落こもうか。おっと、もうこんな時間か。それじゃ悪いけど、僕はお先に失礼するよ。実は、例のひったくり事件の後処理をすっぽかしてこっちへ来てしまったんだよ。そろそろ戻らないとドヤされてしまう。じゃあね」
そう言って月光さんは今日来た時と同様、軽やかな足取りで去って行った。後始末を任されたひかり先輩は、ブツブツと文句を言いながらも、どのように対応するか作戦を練っているようだった。ひかり先輩の手にかかれば、今回の事件を揉み消す――もとい、穏便に済ませるのは造作もないことだろう。本当に頼りになる人だ。月光さんの言うように、まさに太陽の――。
「あっ、そうか! 月は恒星じゃないから――」 私はあることに気づいて大きな声を出してしまった。ひかり先輩が怪訝な顔で「どうしたの?」と声をかけて来た。
「いえ、なんでもないんです」と、私は慌てて取り繕った。私が気づいたのは、月光さんが先ほど言った言葉の意味だ。でも、それは今口に出すことではない。もう少し、私の胸の内に秘めておくべきだ。私は一人したり顔で、沈みゆく夕陽を眺めていた。
そう、月は恒星じゃないから自ら輝くことはない。月が輝くのは、太陽の光のお陰だ。そして、ひかり先輩の名前は、日野ひかり。
陽の光は、太陽の光じゃないか。
完。