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「また寝てる……」
ミアがカウンターで酒樽を抱えていびきをかいて寝ているヤスーダを見て呟いた。
昨日と同じテーブルに腰を下ろし、手をあげて給仕を呼ぶ。
「さあ、今日は何を食べたい?」
「……肉」
「やっぱり肉かあ」
「本日のお勧めはグリーンキャタピラーの磯辺揚げとストンピッグの生姜焼きっす」
「グリーンキャ……え、あれ食えるのか?」雑草から動物の死骸まで何でも食べる巨大な芋虫。
「うちの店の裏で養殖してんすよ。残飯食わせてりゃ勝手に増えるんで。けっこうイケるっすよー。外カリカリ、中ジュワーっす」
「うぐっ……ぼ、僕はいつもので」
「……虫嫌い」
ミアの毛が逆立つ。
「じゃあ、旦那のはいつもので、お連れさんはストンピッグの生姜焼きっすね!」
給仕がバタバタと注文を入れに走っていった。
「そうそう、僕たちハンター仲間の間で有名な話があってね」
僕は気を取り直して、料理が来るまでの間、ミアにヤスーダの夢の話を説明してあげることにした。
※
いつだったか、とある高名な魔術師がこの【バフォメットの嘶き亭】にやって来た事があった。
彼はカウンターで酒樽を抱えて寝ているヤスーダを見て言った。
『全てはヤスーダの夢である』と。
皆が汗水流して働くのも、旨い料理に舌鼓を打つのも、全てはあそこで酔い潰れているヤスーダが見ている夢なんだと。
彼女が夢から覚めたとき、この世界も消えてしまう。
※※
「だから、僕たちは敬意と畏怖を持って、この店を『ヤスーダの酒場』と呼び、カウンターで酔い潰れている彼女を起こさないようにしているのさ」
ミアが恐る恐ると後ろ振り返り、高いびきをかくヤスーダを椅子の背もたれ越しに盗み見た。
「あ。まーた、そうやって純真無垢な少女に良からぬ噂を吹き込んでるっすね?」
ちょうど料理を運んで来た女給仕が話を耳にして言った。
「こちらのオニイサンさんが話してたの、全部冗談すから。嘘っすよ、嘘」
「え……嘘?」
「うちの大将、営業中はあんなんすけど、オープン前はちゃんと仕込みしてますから。仕込みだけは!」
料理をテーブルに置いた女給仕は鼻息荒く語った。
ミアが目を白黒させている。
いつの間にか店主の愚痴に変わり始めた女給仕にエールの追加を頼んで厨房に送り返し、料理を前にお預け状態で涎を垂らしながら主人の合図を待つミアにようやく箸を勧めた。
「さあ、食べよう。明日からはたくさん働いてもらわなきゃだからね」
猫人族のミアと出会ってから3日目の朝。
昇天の刻を告げる鐘が鳴ると直ぐに僕はベッドから起き出した。
ミアはまだ部屋の隅で毛布にくるまって静かな寝息を立てている。
最初はベッドを譲ろうとしたのだけれど、どうやら隅っこの方が落ち着くみたいで、結局、毛布1枚与えただけで今の位置に落ち着いた。男としては何かとても心苦しいんだけど、まあ、それであの娘が満足なら何も言うまい。
ミアを起こさないようにとなるべく静かに着替えを済ませる。部屋を出て階段を下り、狭いキッチンに立ってかまどの上の小窓を開けた。
数週間前に比べてずいぶんと日の出が早くなった。朝の冷たい空気と共に、暗かった店内に明るい陽が射し込む。
僕は有り合わせの物で簡単な朝食を用意した。
キャベットの千切りサラダにストンピッグの腸詰め。コッコの目玉焼き。コーンブレッド。
コンソメスープを沸かしている間に携帯食の準備も始める。売り物に成らなくなったワインを煮詰め、かまどでこんがりと焼いた野菜とストンピッグの骨と髄。それらを加えて香草と共に加水しながらじっくり煮詰める。ここまで来ればあとは半刻も煮詰めれば万能ソースの出来上がりだ。
料理の匂いに誘われてか、しばらくしてミアが目を擦りながら起きて来た。
「先に顔洗って来な」
腹ペコ獣娘のお腹が鳴り出す前にそう言って洗面所へと向かわせた。
客のいないバーカウンターへ作った料理を並べる。
「まさかハンター稼業に戻ることが来るなんて、この店を開店したときには想像もしなかっただろうな」
客の来店時には胃を温める為に出す御通し代わりのコンソメスープは、営業時なら濃いめに作るんだけど、今日は朝食の添え物として薄めに煮出した。それを大きめのカップに注ぎ入れてカウンターに2つ並べる。その頃になってちょうど顔を洗い終わったミアが空腹を押さえきれずにカウンター席にちょこんと腰掛けた。
「今日は昨日の依頼を片付けに行くから。食べて準備したら直ぐに出掛けるからね」
ミアが頷く。お腹がグゥゥと返事を返した。
朝食を済ませた僕らは、出発の準備に取りかかった。
昨日買い揃えた装備をミアに着せ、雑貨店で見付けた小さめの背負い袋を背負わせる。それに夜営時に使う小道具やギルド帰りに総菜屋で買った携帯食料を詰めた。毛布は畳んで丸めて背負い袋の上に革紐で結わえる。
自分の背負い袋にも今朝準備した万能ソースを入れたボトルに、数日前から冷蔵庫で作って置いた干し肉と日保ちしそうな幾つかの根菜を詰め込む。それから布切れや石鹸など、その他諸々を用意し、最後に武器をベルトに付けてようやく出発の準備が完成した。
僕はバーの扉を開ける。
カウンターに並ぶ酒のボトルに目を向け、僕たちは暫しの別れを店に告げた。




