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僕は店の戸締まりを済ませ、息を吐いた。
何でこんな事になったんだろうか。考えたり悩んだりしても答えは出ない。つい、ため息がまた唇から漏れてしまった。
数ヶ月前に何処からともなく発生した奇妙な病。それは瞬く間に世界を席巻した。今現在、この病で分かっていることは感染者からの接触で移るらしいということ。そして、感染者は時間差はあれ、発病後には確実に屍蝕鬼になってしまうことだ。
国からの非常事態宣言が発令された先日、ここトンキン領も緊急事態宣言を発令した。
他国へと繋がる街道すべてを封鎖し、国をまたがる移動を禁じたのだ。
トンキン領では領主であるコイケ・ユリ・トンキンの要請により、ほぼ全ての飲食店が陽の入り前には看板を下ろした。でも、それと入れ替わるようにして暖簾を掲げる店もある。
領境に近い街で、深夜営業の小さなバルを細々と経営している身としては、稼ぎ時となる宵の口に店を閉めなければいけない事に溜め息しか出てこない。
まあ、そうは言っても成るようにしか成らないのだし、この状況で領主に逆らえる訳もない。本日の少ない稼ぎを懐へと大切に仕舞い、数軒の商店が軒を連ねる狭い路地を抜ける。
「どうだい、見ていくかい」
開けた通りに出ると、顔馴染みの武器屋の店主が声を掛けてきた。
「ここの所、売り上げがさっぱりでね。当面はコイツで我慢するよ」
僕は腰に下げる、使い古したブロードソードの柄を叩いた。
「そうかい。まあ、今は呑み屋は大変だもんなあ。普段だったら、商売まだこれからだろうに」
「まあね。でもしょうがないよ。あまり深い時間に酔っ払ってちゃ、魔物の良い餌食だもん」
「まあ、命あっての物種だしな。そりゃそうと……お互い商売人だ、あまり強くは勧めはしねぇが、自分の身を守るのは己の技量とコイツだけだぜ」そう言って店主は店先に飾る武器を示した。
「多少無理してでも良い武器を持った方が身のためだぞ」
「そうだね。肝によく命じておくよ」
まだ何か言い足りな気な店主に別れを告げて、大通りに向かって歩みを再開した。
ふと思い出して数歩引き返し、街灯も疎らな暗い路地に入る。風雨に晒され、色褪せた看板に小さな明かりが灯る、妖しげな建物の前で立ち止まった。
重厚そうな鉄の扉には小さな小窓に、同じく金属製のドアノッカー。それを持ち上げ、リズムよく三回打ち鳴らすと、程なくして小窓が開いた。
「リュウヤだけど、主人はご在宅かい」
「……御用件を御伺いしても?」
くぐもった声が訊ねる。
僕は囁くように、でもはっきりとした声で小窓に向かって答えた。
「“そぼ降る雨は明日堕つ涙”」
「……少々御待ちください」
声の主がそう呟くと小窓が閉じた。閂を外す音が聞こえ、甲高い音を立てて両開きの扉にわずかな隙間が生まれた。僕は人一人がようやく通れそうなその隙間に体を滑り込ませる。
僕が中に入ると扉は閉じられ、直ぐにまた閂が掛けられた。