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「えっと、唇へのキスは私が結婚を受け入れてから、処女をあげますは『婚姻届』にサインしてから……という約束でいかがでしょうか?」

【※】タイトルに『キス』を含みますが、なろうガイドラインに従い、性描写なしです。R18シーンは、アルファポリスとムーンライトで掲載する方針です。


 お買い物の帰り道。デパートを転々としてたくさん買ったのに、私は、一つの紙袋も手にしていない。

 手に提げているのは、この秋の新作のハンドバッグだけ。


「天王寺先輩、疲れていない? 僕のわがままで買い物に付き合わせてしまい、すまなかった」


 冴えないOLの私――天王寺有栖には相応しくない、誰もが知る超高級ブランドのバッグをプレゼントしてくれた相手である社長が、声をかけてくれる。

 いくつもの紙袋の持ち手が、社長の右手を塞いでいる。

 優しさの中に不安がまじった社長の表情が、私の頭のてっぺんより上にある。背の低い私が、今、見上げている事すら心配していそう。

 ハーフなので青い瞳を持つ社長だけど、抱いた感情を顔に浮かべる様子は、私の予想を超えていないと思う。


 私は、返事の言葉を考えていた。気の利いた言葉が思い浮かぶより前に、社長の手がゆっくりと肩に伸びてきて、そっと触れられた。


「よかった。身体を、僕の方に寄せてくれて嬉しいな。応接室で、かなり緊張していたようだから、嫌な思いをさせてしまったのではないかと心配だったんだ」


 社長のベストのふんわりが、ブラウスの生地越しに伝わってくる。「カシミヤですか?」と聞こうとしたけど、お高いお品の事が分かっていないのに、社長の服の素材を話題にしようとして間違えた苦い過去を思い出しただけで、口を開けず終わった。


 抱かれている訳ではないけど、社長と私は、身と身を寄せる形になっていた。

 お声も素敵な、青い瞳のイケメンハーフ社長を見つめているだけでもドキドキするのに、こんなに距離が近いのでは、鼓動が激しくなるのを抑えられるはずがない。


 社長には、エリオット・ジールゲンというお名前がある。

 デートの回数が増えてきて、そろそろファーストネームで呼ばなくてはいけないと考えているけど、今日もドキドキに負けて、口が自然に動きそうにない。


 通路の少し向こうにいる警備員さんの存在に気づいて、恥ずかしさをおぼえた。

 応接室からエレベーターホールまで、私たちにまとわりつくように、デパートの人がそばにいた。社長が、さらりと述べるような仕草で、人払いをしてくれたので二人きりに戻れたつもりだった。

 喉が渇いたと私が言ったのが発端だったけど、ゲストラウンジにお茶だけもらいに行ったら、デパートのお偉いさんが現れ、応接室に案内された。


「ここには事務用ハサミを買いにきただけだったのに、ずいぶん時間が経ってしまった。帰宅時間が、予定よりも遅くなってしまいそうなのも謝っておきたい」


「社長、大丈夫です。今日は、夕飯の準備に時間をたっぷり使おうと考えていただけなので、特別な予定があった訳ではありませんから」


 付き合って間もなくで、夕方以降のデートをまだした事がない。

 ただの事務員Aというモブ階級の私が、社長に告白され付き合うなんて名誉を得ているのだから、本来は、身体を求められたら喜んでお捧げするぐらいでなければならない。世のすべてからバッシングを受けても文句は言えない事は理解しているのだけど、社長とこの先もお付き合いが続いて、ハッピーゴールインしているとは思えないのだ。


 社長は、とても優しくしてくれる。

 私が気疲れしないように、無理なデートを要求してこない。接していて、デリカシーに乏しいと思った事が一度もない。

 最初のデートは、超高級店丸ごと貸し切りのランチだった。しかも、住所は都会の一等地。


『君との初デートの為に、お店を用意したんだ。僕がオーナーだから、気兼ねなく過ごしてくれ』


 カジュアルコーデと言い張るのもおこがましい、安物の黒ワンピース姿の私は、店の前ですでに緊張していたけど、ランチの為に、社長がこの店の経営権を取得したと知り、頭の中が真っ白になった。

 一張羅のつもりだったけど、照明の注ぎ方からも品が漂う店内で、ワンピースの水玉模様がチープさを醸し出していた。

 個室でゆったりと創作料理を楽しもうとは言われていたけど。


 社長との初デートだというのに、ぎこちない動きしかできなかった。

 極度に張り詰めた結果、甘いものを一気に喉の奥に流し込みたくなり、オレンジジュースを注文した。

 この行動が、さらに私を追い込む。

 しばらくすると、料理人らしきお方がワゴンを押してやってきて、「お嬢さまをイメージした、飾りつけをいたします」と果物やハーブでグラスの装飾を始めたのだ。


 そのまま正式にプロポーズしてくれるつもりだったのかもしれない。あの日の社長は、とても清潔感あるスーツ姿。派手さを抑えた上品な青色ネクタイが華やかに添えられ、一目でビジネス用ではないと分かる格好だった。


 初デートの前の晩、つけっぱなしのテレビは、洋画を流していた。

 相手の男性は、ウォール街で働く証券マン。素敵なお家にお邪魔したヒロインが、実は、吸血鬼だった彼にプロポーズされる場面が流れていた。プロポーズを受けても受けなくても、血を吸われて花嫁にされちゃうぞというようにしか聞こえない台詞が流れていた。吸血鬼だという正体バレの展開前に、「ビジネスマンらしくない、カジュアルスタイルのあなたも素敵!」とヒロインの方から抱きつく場面が流れていた。

 一部分しか見ていないので、洋画の全容は知らない。でも、事務員Aの私が、分不相応な待遇を受けた挙げ句にいったいどうなるのだろうと怯える気持ちを強める一つの材料になっていた。


『天王寺先輩、顔色が悪いようだけど……大丈夫?』


 誰に話しかけられても口数少ない私の様子に、社長が気づかってくれた。


『だ、大丈夫です……はは……私の人生で、お姫さま扱いされたのは、子供の頃のごっこ遊びぐらいなので、吸血鬼が突然現れて、人生の終わりを迎えるんじゃないかと思うぐらい幸せが過ぎるだけです……あ……意味不明でごめんなさい。昨日テレビが、そんな感じの内容を流していただけです』


 ヒロインが血を吸われて悶えるシーンの後が長いコマーシャルだったので、そこでテレビの電源を切ってしまった。


『そうか……久々にお姫さまになったので、緊張してしまったんだね。急に、事を進めようとしてしまい、すまなかった。そして、もっと早く、君を恋人にできていればよかったと改めて思ったよ。すべては僕の過ちだ。許してくれ』


 私の緊張の正体を、私以上に悟ってくれたように、以後、私のペースを乱さないお付き合いをしてくれている。

 いまだに、お前は遊びの女だったと言われる日がきそうで怖いけど、本当の意味で優しさを向けてくれる社長の好意を無下にできない。

 大好きなんだけど、本当にこの人にこれ以上近づいていいのか――どうにも心の中でブレーキがかかる。引っかかるものが、いったい何なのかは分からない。

 実は、世を恐怖に陥れる吸血鬼で、一緒に世界の敵になろうなんて事には、映画じゃあるまいしならないだろうから、私が、身分の差を強く感じているだけなんだろうけど……


 今日着ている、レーススリーブが可愛い九分袖ブラウスと、冬の初めにもぴったり生地のタイトスカートは、社長からのプレゼント。あっ。ストッキングもだった。寒さをおぼえる時期に入ってすぐ、お洒落に気をつかい過ぎて風邪を引かないようにという名目でプレゼントされた。パンプスは安物なのに、このストッキングと合わせるとなぜか高級感を放ち始める。少し厚手だけど、身につけていて気にならない。


 床も壁も天井も、どこも触ると冷たそうな印象の通路にいる上、陽が傾いたせいなのか、ブラウスだけでは少し寒い。だけど、それを口にしたら、カーディガンかボレロを即プレゼントされそう。

 特にデパート内では、寒そうな素振りを見せないようにしたい。

 プレゼントしてもいい絶好の理由ができたら、お高いお支払いを目撃する事になってしまいそうだから……


「電卓、ハサミ、膝掛け、スリッパ、定規、ペンケース、メモ立て……天王寺先輩、事務デスクに持ち込んでいる私物、他にはないかい? 小さなクリップでも、付箋メモでもいい。君が会社で使うものは、僕が買って与えてやりたい。だから、遠慮せずに言ってほしい」


 どれもデパートで購入するほどのものではないのに、社長は、私に似合う宝石でも選ぶように、真剣に買い物をしてくれた。

 簡易包装でよさそうな品ばかりなのに、社長が支払いの為にカードを差し出すと、決まって店員さんの態度がより丁寧になり、商品は、立派な包みに化けて手渡された。


 ハーフという意味ではなく、生まれた世界が違いそうな社長を、このまま本気で愛してしまっていいのか……やっぱり不安だ。そう考えているのに、社長の腕をぐっとつかんでしまう。


 この人を愛しているって認めるしかないのに、どうして素直になれないんだろ。

 今は、警備員さんが目に入っても、社長と身を寄せる事をやめたいと思わないし、恥ずかしくもない。

 デパートの特別客用の通路が終わり、用意されていたタクシーを目の前にして、やっと、社長の腕をつかむ力を弱められた。身体を離したいという意味ではなく、乗り込む為に無理があったから。


「天王寺先輩、疲れが少し顔に出ているようだ。足もとに気をつけてね」


 たかがタクシーに乗るだけなのに、社長の優しいエスコートを受ける。


「料理の本でも、日用品でもいい。身を飾るような品を、僕から贈られる事を考えるだけで気構えしてしまうというのなら、せめて、日常を彩る手伝いだけはしたい。また、お買い物をさせてほしい。君の考えを聞かずに、僕が勝手に購入してしまった服やハンドバッグを身につけて、デートにきてくれて嬉しかった」


 無限とも思えるこの優しさに包まれ、素直になりたい。

 それができない自分が、どこまでも冴えないと思えてへこみそうになるけど、これ以上、社長の前で暗い顔を見せたくなかった。

 どうせ誰とも付き合えずに人生終わるのだと諦めていたんだ。ハッピーゴールインになるなんて期待せずに、前に進もう。

 自宅近くでタクシーを降りて、二人きりになったので、思い切って口を開いた。


「私、社長の事を愛しています。あの、その……この前、花束を渡された日に聞かれたのに、何も言えずだったので……今、言いました。返事が遅くなって、すいません」


「返事をもらえて嬉しいな。女性にとって、愛への返答は一大事だ。時間をかけて、ゆっくり考え、答えてくれたのがより嬉しい」


 社長の腕が、背中に触れる。優しさのあふれを感じるような軽い抱きしめに、心が揺さぶられる。


「急に、事を進めたりしないから、天王寺先輩のペースで、愛を育んでいってほしい。何か要望があったら、遠慮なく言ってね。君の素直な気持ちが聞きたいな」


「え……要望ですか……えっと……唇へのキスは私が結婚を受け入れてから、処女をあげますは婚姻届にサインしてからという約束でいかがでしょうか?」


 いかがでしょうかって……素直な気持ちという言葉に、変な反応をしてしまった。化学反応を起こして、別の物質に変化したぐらいおかしい応じ方をしてしまったぞ……あわわ。


 プライベートでも会社でも、いつも冷静な社長が、驚きを隠せない表情を見せている。すぐに言葉が繋がらず、やっとの事で「……分かった」と言ってくれた様子。


「……まずは、天王寺先輩に結婚を受け入れてもらえるようにしなくてはならないな。付き合う事になった日にも言ったが、僕の方は、君と結婚するつもりで告白した。だから、君の緊張が解け、僕の花嫁になるのを楽しく考えてくれるようにつとめるよ」


「は、はい……が、頑張ってください……え……あ……あの、その……」


 なんて返事をしているんだと叫ぶ、怒り狂う『私』に、心の中でぶん殴られた。

 慌てる様子を見せたのは一瞬で、すぐに真顔になった社長とは違い、冴えないOLはしどろもどろしたまま。心の中に現れるいろいろな『私』に、叩きのめされ続ける。


「本当に、無理しなくていいからね。僕は、君を愛し続けると誓うから、ゆっくりと、僕の胸の中にいる事を受け入れていってほしい」


 発言後に考えると、私は、プロポーズをしてしまったに等しい。先に社長から「結婚しよう」と言われているとはいえ、超大胆な事をしてしまった……

 もう落ち着きを取り戻す事などできないと心が壊れそうな私を、社長は、強めに抱いてくれる。


「気をつけて帰ってね。もっと長い時間、君と過ごしたいが、疲れが顔に出ている天王寺先輩に、無理をさせたくない。約束の事、おぼえておくね。ゆっくりと、僕と二人で未来に進もう」


 冴えないOLと社長じゃ「絶対にハッピーゴールインは無理!」と思うけど、今日もその未来に辿り着ける事を願いながら、社長を愛する気持ちがより強まり、デートの時間が終わった。


■【連載版】[ https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/668515985 ]『社長室のキスで異世界転移パイロットになった私は、敵方・イケメン僕キャラ総帥に狂愛されて困っています』(←プロフィール・ページで、R18要素が直接表示される事はありません)。

連載版とは別途ムーンライトにR18短編集を投稿予定です。


連載版は、日本でのデートを振り返りながらストーリー進行させる形で、下地としていくつかの日本でのデート短編を書きました。なろうガイドラインR15以内のものをこちらで公開していきます。

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