真実の愛で婚約解消されました
「コルベール公爵令嬢ベアトリス。貴女との婚約を解消する」
シャルル殿下の声はとても静かだったけれど、まるで大砲の轟音が鳴り響いたかのように、パーティー会場に集まっていた人々の耳をうがった。
もちろん私の耳も。
……ああ、聞きたくなかったなぁ。結局こうなっちゃったか。
頭を下げたまま、私は自嘲する。
やっぱり悪役令嬢は悪役令嬢として退場するしかないみたい。
6歳の誕生日に前世の記憶を取り戻してから約10年。乙女ゲームに酷似したこの世界で、シナリオから抜け出そうと必死に頑張ってきたけれど、ダメだったかぁ。
「顔を見せてくれ、ベアトリス」
いつも通りの殿下の呼びかけ。こんな時まで穏やかで優しい。
私は前世から殿下が好きだ。
いろんな乙女ゲームをプレイしてきた中でも絶対不動の推しキャラが、彼、シャルル・ド・ラ・ドーヴェルニュだった。
シャルルはゲームではあまり人気がない。
金髪碧眼。男性でありながら麗しいと評されるイケメン。文武両道で洞察力・判断力も群を抜いており、性格は穏やかでありながら必要とあれば苛烈な決断もできる、まさに王道の王子様キャラだったのだけれど。
周りが濃すぎた。
魔族の血を引き、そのことを隠しつつ人と魔の間で苦悩する侯爵家次男とか。
あまりにも高い魔力を持ってしまったがために、常に命の危険を抱えている伯爵家嫡男とか。
努力しても努力しても報われず、それでもなお努力するしか他に道がなくて、徐々に自滅していく宰相御子息とか。
愛が分からず愛に飢えていて、自分も周りも破滅させてしまう隣国からの留学生とか。
要するに何かしら闇を抱えている攻略対象者たちの中で、シャルルは唯一特別な事情を持っていないキャラだったのだ。
プレイヤーからは「王道過ぎて個性がない」「個別ストーリーも盛り上がりに欠ける」と酷評されていた。
開発チームの解説では「そもそも王子という地位にいる事自体が闇と言えるんですよね」とか、「シャルルは安心感と癒やし担当ですから」とかフォローされていたんだけれど、人気投票では常に最下位。
下手すればヘルプキャラである売店のイケメン店員にすら負けるぐらい、とにかく人気がなかった。
でも、私にはとても魅力的な人物に思えたんだ。
彼は普通の人。
スペックが高くて、イケメンで、王族という地位と責任を背負っていて。
そんな特別性・特殊性を抱えていながらごく普通の感性を持っていて、それなのに矛盾に押しつぶされないだけの器の大きな人。
その強靭なおおらかさが好きだった。
ゲームキャラだと分かっていたけれど、そのあり方が、とてもとても素晴らしいことに思えたのだ。
だからこの世界に転生して彼と出会った時の感動は、私にとって宝物。
たとえ悪役令嬢になるとしても、彼の隣に立ちたいといろいろ覚悟を決めちゃえるぐらいには価値のある出会いだったんだ。
「顔を見せてくれ、ベアトリス」
再度求められた私は頭を上げると、その瞳に促されるままに問いかけた。
ああ、いつになく殿下の目が冷たいよぅ。
私は零れそうになる涙腺を、えいやっ! と締めて冷静に声を出した。
「殿下。殿下がそうおっしゃるのであれば、謹んで従います。ただ、許されるのなら理由をお聞かせ願えますでしょうか」
「それは……」
「ここまで来てとぼけるかよ。相変わらずいい性格だな」
ラ・トレモイユ侯爵家の次男アンセルムが口を挟んでくる。
王子と公爵令嬢の話に割り込んでくるなんて、そっちこそ相変わらずの失礼っぷりだ。魔族の血云々の前にまずマナーを気にしてほしい。
さらにセギュール伯爵家のパトリスが加わった。
「貴女は彼女を差別した。そんな女性は殿下のパートナーとしてふさわしくない」
こちらを見据える瞳は赤く輝いていた。
あ、まずい、かなり怒ってるー!
ただでさえ魔力が高すぎて最近まで制御できなかったパトリスだ。感情が高ぶれば暴走するのも不思議じゃない。
私も魔力が高いほうだけれど、パトリスに敵うはずがないよ。
「あ、あの。私はベアトリス様から差別などされていません」
このゲームのヒロインであるコリンヌさんが、あたふたしながら私に代わって弁解してくれる。
けれど、攻略対象者たちは聞く耳を持ってない。そもそもなるべく離れようとしている彼女を取り囲んで逃さない。
おおう。コリンヌさん、遠巻きにしている攻略対象者の婚約者たちへひたすら頭を下げまくってる。
貴族にあるまじき振る舞いと言えばそうなのだけど、事情が事情だけに誰もが苦笑まじりに容認してきたんだよね。婚約者のご令嬢たちですら同情的な視線を送っていることから、今までの彼女の苦労が忍ばれる。
そんなコリンヌさんの不幸に気が付かず、宰相たるロアン公爵家の跡取り息子エルキュールが、珍しく強気な表情でささやいた。
「コリンヌ、君は優しいね。でも、その優しさは私にだけ向ければいいんだよ」
「おい、エルキュール。何を勘違いしてやがる。コリンヌは俺のものだ」
「二人とも、コリンヌが困っている」
コリンヌさんを囲んで痴話喧嘩する高位貴族令息たち。
おっかしいなー。彼女は平民上がりとは思えないほど貴族的な礼節を身につけている人だから、逆ハールートだけはないと考えていたのだけど。
さらに言えばコリンヌさんは常識もわきまえているので、シャルルルートにも入らないだろうと予想してた。彼女はルテル子爵家の養女。殿下と婚約するには家格が不足だ。
「私は差別などされていません! ベアトリス様は平民出の私を子爵家の娘として扱ってくださいました。ご厚情に感謝こそすれ、不満などある訳がございません」
コリンヌさんが涙目で訴える。
ああ、彼女と積み重ねてきた絆は切れていないようだ。
公爵家と子爵家ではなかなか親しくはなれなかったけれど、それなりに仲良くしてきたんだよ。もちろんいじめや差別なんてしてません。
反対に、高位貴族令息たちとの溝は恐ろしいほど深まっている。それこそマリアナ海溝を突き抜ける勢いだ。
うわぁ、3人揃って睨んできているよぅ。
おかしいなぁ、普通に交流してきたと思うんだけどなぁ。一体どうしてこうなった。
「とにかく! コルベール嬢。お前は王太子妃としてふさわしくない!」
「コリンヌも目を覚ましたほうがいいよ。君はコルベール嬢に騙されてるんだ」
「いつもいつも『ベアトリス様が』ってな」
「確かに『ベアトリス様とのお約束が』は聞き飽きましたね」
あのう。なんだか雲行きが怪しくなってまいりました。
これ、もしかして私が嫉妬されているの? コリンヌさんとの仲を?
貴方たちこそ目を覚ましなさい。っていうか、よっく見なさい! 私と彼女をどう解釈すればそうなるの!
「だってベアトリス様は素敵なんですもの。凛としていて、それでいて私のような下級貴族にもお優しくって。私の憧れなんです!」
あの、コリンヌさん、なんで頬を染めて私を見るかな?
もしかしなくても貴女が原因なんじゃないの、これ。
以前「お姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」なんて言われたことがあったけれど、あれは貴族的ウイットではなかったの?
まさかコリンヌさんと仲良くしたら、こんなふうにネジ曲がるなんて思わなかった。
そして断罪一直線。これもシナリオの強制力? なにそれ理不尽すぎて怖い!
内心の冷や汗を押し隠し、なんとか誤解を解こうとして口を開きかけた私は、姿勢正しいシャルル殿下の背を目にした。
「そろそろ私の話を聞いてもらってもいいかな」
殿下、律儀に待ってたーーー!
断罪の流れに乗らなかったのね。ゲーム的には、むしろ殿下こそ中心になって私の悪事を暴露するはずなんだけど。
まぁ、ゲームのときから不思議だったんだよね。理性的で判断力に富むシャルルがパーティー会場で断罪に及ぶって、あまりにもキャラに合わない。
前世では「まぁゲームだから様式美ってやつかな?」ってスルーしていたんだけど。
そもそも私はなんの悪事も行ってない。現実的に考えて証拠もなく告発するなんてなおさら殿下らしくないよ。
それとも捏造したのかな。殿下ではなく、他の攻略対象者たちが。
疑わしい攻略対象者たちと、無自覚に断罪原因を作ってくれたコリンヌさんは、控えるように身を引いた。
「ベアトリス。婚約解消の理由についてだったね」
周囲の視線を一身に集めながら、殿下は淡く微笑んで語りかけてくる。
うう、でもずっと殿下を見続けてきた私には分かるよ。瞳が、瞳が真剣だ!
「私はルテル子爵令嬢と話をして『真実の愛』について考える機会を得た」
でたー! 『真実の愛』!
ゲームでのシャルルが酷評された原因の一つが、このあまりにも使い古された断罪理由だった。
シャルル推しの私ですら初回プレイでは「様式美にもほどがある」って思ったからね。
ゲーム開発スタッフの悪意か、洒落か、それとも皮肉かって、ブログに書き綴ったよ、うん。
「思い至ったんだ。私とベアトリスとの婚約は『真実の愛』には程遠いって」
……凹んだ。
殿下の言葉は、想像していた以上に私の心を切り刻んだ。
それはたしかにそうなんだけれど。
王家と公爵家の利害を考慮した上で結ばれた、政略結婚そのままなんだけれど。
私個人としては、愛だった。
前世からずっと抱いてきた。
実体を持たないゲームキャラだからこそ、なんの見返りも期待しない。
ただただ溢れんばかりに『愛しい』『尊い』という感情。
どんなに重い期待と責任を負わされていても、只人としての感性を持ち続ける。
特権階級にいながら、平民の痛みと幸せを思いやることができる。
大多数を助けるために少数を切り捨てる残酷さを理解して実行し、責任を受け止める。
救われない悲しみと怒り。それが普通は心を殺すような負担だとしても、無視せず、失わず。
抱いたまま、正しい方向を探し続ける。
現実には不可能な理想論を、できる限りでいいから実現しようと。
民に所詮特権階級の戯言だと罵られても。貴族たちに偽善者だ何様だと嘲笑されても。
壊れることなく。いや、壊れることもできずに、あがき続けるそのあり方がとても素敵だと感じたんだ。
前世で何度、我に返って自分のことをキモいと思っただろう。
それでもやっぱり、否定しきれなかった。
前世から現世を通して変わらず、シャルルは私のイチ推しであり続けた。
「……私は殿下をお慕いしております。今までもこれからも」
気がつけば、私はそう声に出していた。
ああ、そうなんだ。
たとえフラれても、断罪されても、この想いは変わらない。
ゲームの中でも。今生で出会ってからも。
そう、現実となった今も変わらず、矛盾を受け止めてなお理想を目指す彼を見てきたから。
『愛しい』『尊い』と思う気持ちは変わりようがない。
殿下は私の言葉を聞いて、何故か手で顔を隠した。
珍しい。耳が赤い。
子どもの時はちょっとしたことで顔を赤らめていた殿下だったけれど、長ずるにつれ感情を表さなくなったのに。
「先に言うのはずるいよ、トリス」
私の愛称を呼び、殿下が手を差し伸ばしてくる。
なに? どういうこと?
断罪シーンにこんなセリフと行動はなかったはずだけど。
殿下は私の手をとり、その場に片膝を立てると、静かな中に熱を感じる声色でおっしゃった。
「トリス、君との婚約は解消する。そして改めて申し込みたい」
……君のことを愛している。私と結婚してもらえないだろうか。
会場は静まり返り、数瞬をおいて歓声に満ちた。
って、待って。どういうこと? 頭が追いつかない!
攻略対象者たちが唖然として硬直している。
その横で、コリンヌさんが涙ぐみながら拍手していた。
私は殿下の金色の髪を見下ろしながら、たまらず問いかける。
「あの、殿下。これは一体どういうことなのでしょう」
「愛の告白だけれど」
「ええっと、私、断罪されていたのでは?」
「ああ、彼らはどうも勘違いしているからね。以前から注意していたんだけれど、どうしても聞き入れないから、もう荒療治しようかな、と」
これだけの人々の前で私が宣言すれば、流石に悟るだろう。
当分針のむしろだろうが、それは自業自得かな。散々手を尽くしてきたのに、全て無駄にしたのは彼らだからね。もちろん各家には根回し済みだよ。
囁きつつ、殿下は少し眉を寄せた。
攻略対象者たちを信頼してきただけに、ここまで大事になってしまったことが無念なのだろう。
「殿下は私を告発されていらっしゃらない?」
「当然。トリスがなにかした証拠なんてないし、むしろ高位貴族から平民にまで人脈を広げていて感心してた。見習いたいくらいだよ」
「でしたら何故、婚約解消などとおっしゃったのですか?」
途端、殿下が挙動不審になった。
うん、これも珍しい。幼い頃は普通だったけれど。
「……この婚約は政略だったから」
「はい?」
「私はずっと前からトリスを好きなのに、政略って思われるのはなにか違うって感じていて」
目をそらして、続ける殿下。
あれ、今、私的にすごく重要な言葉をサラリとおっしゃったような。
「平民では当人がプロポーズして婚約する形式も珍しくないと聞いてね。それこそ私の気持ちにぴったりだと思ったんだ」
ここか! コリンヌさんが吹き込んだ情報は!
え、あれ?
あの、それだと『真実の愛』っていうのは、もしかして?
「だから古い婚約は解消して、改めて申し込みたかった。大丈夫。父上母上親戚一同はもちろん、コルベール公爵ご夫妻にも許可はとっている。手抜かりはないよ」
殿下は改めて姿勢を正してもう一度、私の手をとった。
あれ、嘘。ちょっと待って。
これは想定外もいいところ。
強制力とか、どこいったの?
こんなシナリオ、私知らない!
殿下が。
シャルルがすごく綺麗な微笑みを浮かべて、どこか楽しそうに問いかけてくる。
「ところでトリス。まだ返事をもらっていないのだけれど?」
会場は再び歓声に包まれた。
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