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終話 めでたしめでたし――

 史郎くんは驚きというより恐怖の色を顔に出した。

「ど、どういうことですか……?」

「わたしのことが好きじゃないの? 責任取ってくれないの?」

 彼は眉をピクピク痙攣させた。そしてしばらくゴルゴンに睨まれ石にされた、石像のように動かなくなった。


 やっぱりわたしの眼には魔力が宿っているんだわ、って確信した瞬間だった。

「きっと……疲れてるんですよ……。最近の鴨上さんはちょっとおかしいですよ……」

 彼は泣き出す直前の、泣き笑いを浮かべた。

「わたしは疲れていないし、おかしくないわよ。わたしは冷静だし、計画的で真面目な人間(おんな)ですもの。姫野さんを殺してくれるの? くれないの?」


 彼は物凄く取り乱すわけでもなかった。冗談だと思われたのなら、心外だ。

「ぼ、僕には無理です……そんなたちの悪い冗談はいうもんじゃないですよ……」

「わたしは冗談を言う人間ではないのよ。わたしは真面目なの、世界中にわたし以上の真面目な人間がいたら、見せてもらいたいくらいに真面目なの」


 彼はどうしていいのかわからないように、膝の上に乗せていた手を震わせた。

「わたしが好きなら、姫野さんを殺してちょうだい。お願いわたしには史郎くんしか頼める人がいないのよ。お願い」

 わたしは史郎くんの震える手に、手をそえ寄りかかり唇を交わした。長い間唇を合わせていた。


「お願い」

 わたしは唇をはなすと、覗き込むように彼を見た。

 彼は赤くなった顔で視線をそらした。

「ぼ、僕には……僕には……無理です……」

「もし、無理なのだとしたら、わたしは死ぬわ」


 彼はハッとそらしていた顔を上げ、わたしを見た。

「嘘じゃないのよ。本当よ」

 彼はそれでも信じてくれないようだったから、わたしも最後の手段にでた。ベッドから飛び出して、自分のカバンをあさった。


 そこからあるものを取り出した。それはカッターナイフ。

 普段からカバンにカッターナイフを入れている人って、いるのかしら? カッターナイフって意外に応用の幅があるし、常備していると便利なときがあるのよ。


 例えば誘拐されて、どこかの倉庫に連れ込まれ縄で縛られたときなんか考えてみて。


 カバンにカッターナイフがあったら、救われると思わない。だからわたしは常備カッターナイフを持っているの。わたしは計画的な人間だから。


 そのカッターナイフを首にあてた瞬間、史郎くんがベッドから物凄いスピードで駆け寄ってきて、わたしの手をはたいた。


 カッターナイフは勢いよく飛んで、壁に傷をつけて床に落ちた。

「何を考えてるんですか!」

 彼は本気で怒ってくれた。普段動揺を見せないわたしが、目を白黒させるほどには真剣に。


 わたしはその動揺を顔に出さないように気を付けていう。

「ね。わかってくれたでしょ。本当にわたしのことが好きなら、姫野さんを殺してちょうだい」

 そこまでいって、わたしは裸体のまま彼に抱きついた。

 彼の心臓は激しく脈打った。


「彼女を殺した印しに、彼女が身に着けているものを持ってきてちょうだい」

 そこまでいってわたしは、何を持ってきてもらおうか考えた。

 そうね、これ以上のモノはないわね、って思えるモノを思いついた。

「そうね。結婚指輪がいいわね」

 微笑みながらそういって、わたしはまた彼の唇に自分の唇を重ねた。


 わたしは史郎くんが良い報告を持ってきてくれるのを、少女に戻ったような気持ちで待った。


 どれほど楽しみにしてたと思う? 子供がクリスマスにサンタさんからプレゼントをもらうときみたいに、楽しみにしてた。


 わたしはクリスマスにプレゼントを贈られたことなんて、ほとんどないけど、そういう気持ちに例えるのが一番しっくりくると思う。


 どうしてプレゼントを贈られなかったのかしら? きっとサンタさんなんて、いないって幼いうちからわかっちゃったからなのね。


 友達はみんなサンタさんを信じてた。わたしは、「サンタさんなんていないんだよ」って教えてあげたけど、みんな信じてくれないのよね。


 きっと世界の真実を疑ってしまうような子のもとには、サンタさんは来てくれないのよ。


 わたしはいつものようにドレッサーの前に座って、魔女さんとおしゃべりをした。


 史郎くんはやり遂げてくれるかしら、とか、やり遂げた後はどうしましょう、だとか、どうしてわたしは姫野さんを殺したいのかしら、って。


 殺したって航誠くんを手に入れられないのに、はじめから航誠くんに好かれようとか、そういうことは二の次だったのだと思う。


 わたしが持っていないモノを持っている彼女が恨めしかったのでしょう。もういいのよ。もうね。すべては終わるのだから。


 それから数日たっても、史郎くんからの報告は来ない。どういう方法で殺してほしいかも、指定しておけばよかったわね。


 例えば毒りんごで、殺してほしい、とか。

 近頃わたしはある人を目撃するようになったの。


 その人を目撃しだしたとき、史郎くんがわたしのアパートまで報告に来たの。


 そして私に泣きついた。

「ごめんなさい……。僕にはできません……。本当にごめんなさい……」てね。

 どうして泣くの? べつに泣いたって解決しない問題よ、って思った。わたしって、残酷なのかしら? 


 きっと普通の人が当たり前のように持っている、心の一部が欠落してしまっているのね。


 自分のことを客観的にしか見られないもの。心が分離したように、少し離れたところで、自分を見ているからよ。


 つまり、それはドッペルゲンガーなのではないかしら。

 たしか、ドッペルゲンガーとは幽体離脱した自分だっていう、説も囁かれるいるはずだった。わたしは自分を見ている。少し離れたところで、自分を見ている。


「あなたはわたしが好きではなかったの?」

「あなたのことを愛しています! いつもあなたのことを見ていました! どんなときもあなたのことを見ていました! これから先もずっと一緒にいたいと思っているほどに、あなたを愛しています!」


「わたしのどういうところが、好きなの? 顔? 体?」

「そんなんじゃない! 顔なんて関係ない! 体なんて関係ない! 僕はただあなたが好きなんです!」

「じゃあ、前のわたしの顔でも? あなたはわたしを愛してると言える?」


 彼は強い意志を秘めた眼で、わたしを見た。

 彼の眼に嘘はなかった。


「そう……」

 わたしは人を見ためで判断しない、人間はいないと思っていたけどちゃんと、そういう人がいるのね。


 ちゃんとそういう人がいてくれるのね……。わたしはそのとき、史郎くんに好意というものを抱いた気がする。だけど、そのことと今回のことはまた違う話。


「だったら、どうして彼女を殺してくれないの?」


 そこまでわたしを愛していて、わたしの言うことを訊いてくれないなんておかしいのではないかしら。


 史郎くんはポーカーフェイスが苦手なようで、物凄く瞳が揺れた。どうしたのかしら? そんなに動揺して。べつに正直に答えてくれれば、わたしは怒らないのに。


「どうして、姫野さんを殺してくれなかったの?」

 わたしは小首をかしげながら、もう一度訊いた。

「怒らないから言ってみて」って、母親が子供に言い聞かすような優しい声を意識したのだけど、どうもわたしが言うと冷たい印象を隠せない。


「ひ……」

 史郎くんの瞳は残像が残るほど、揺れている。

「姫野さんは……妊娠しています……ぼ、僕には……。僕には幸せそうな……彼女を殺すことはできない……」

 歯を食いしばって、まるで血反吐を吐くようにいった。


 そう、彼女は妊娠してたの。そう……。彼女は幸せになって行く。人の幸せを自分のことのように、思える人は幸せになれるのね。


 わたしは今からでも変われるのかしら?

 今からでも、人の幸せを自分のことのように祝ってあげれば、自分も幸せになれるのかしら。 


 今から電話でもいいから、妊娠おめでとう! って祝ってあげれば、わたしは後戻りできるのかしら?


 わたしも、わたしのことを愛してくれている、という史郎くんとなら幸せになれるのかしら……?


 もうこんな馬鹿な考えを捨てて、彼と共に歩み出せば白雪姫のように幸せになれるのかしら……? 


 こんな心の一部が欠落したわたしでも幸せになって良いのかしら? 彼なら、史郎くんなら幸せにしてくれるのかしら?


 人を見ためで判断しない、彼となら……。


 そのとき史郎くんがわたしの、背中に手を回し抱き寄せた。温かく、力強い、そのときわたしは確信できた。


 彼となら、わたしは幸せになれる、と。そのとき背中に回されていた、彼の手がわたしの肩まで上がり、肩をなでるようにわたしの首に伸びた。


 ドレッサーの鏡にわたしの姿が写っている。綺麗な顔をしている。鏡に映った生き写しが、わたしを見ていた。何かをつぶやいていた。わたしは薄れゆく意識の中で、その唇を読んだ。


「ごめんなさい……。あなたを犯罪者にはしたくないんだ……! 本当にごめんなさい……。僕もすぐに逝きますから……本当にごめんなさい……」


 彼は泣いていた。わたしの首を絞める彼の手が震えている。べつに苦しいとは思わなかった。わたしは後戻りのできないところまで、来てしまったのね……。


 わたしは昔から、もし自殺するなら首つりが良いって思っていたから、首を絞められて殺されるのなら本望よ。


 転落死でぐちゃぐちゃになったり、電車や車に飛び込んでぐちゃぐちゃになったり、首を切ったり、手首を切ったりで痛い思いをするより、薬物で苦しみもだえながら死ぬより、練炭自殺でゆっくり死ぬより、ギロチンで首をおとされるより、電気椅子で脳細胞を破壊されるより、首を吊って死ぬ方が楽だと思うの。


 意識が飛んでしまえば一瞬なのだから。

 

「本当にあなたのこと愛しています……!」

 彼は泣いていた。その言葉を最後にわたしの意識は飛んだ。最後の最後に好きになった人に殺されて、後を追いかけて来てくれるなんて、幸せ以外の何物でもないわね。


 わたしが死んだおかげで、姫野さんは航誠くんと幸せになれるのだし。童話なんかでも、最後はいじわるな王女様が死んでハッピーエンドなんだもの。


 いじわるな鴨上(おうじょう)さまがいなくなれば、心の綺麗な白雪姫さまが王子様と幸せにれる。


 わたしも史郎くんと一緒になれて、姫野さんも航誠くんと幸せになれる。これ以上のハッピーエンドってあるかしら?


 最後にわたしはわたしのとなりで、客観的に事の一部始終を見ていた、もう一人のわたし《ドッペルゲンガー》に訊いてみた。

〈あなたはわたしで、わたしはあなた。これ以上のハッピーエンドはないわよね〉って。


 するともう一人のわたし(ドッペルゲンガー)が答えた。

「あなたはわたしで、わたしはあなた。これ以上のハッピーエンドはないわよね。すごくめでたいハッピーエンドよ。悪は滅んで、正義は勝つ。

 童話でも、そうでしょ。プリンセスをいじめる王女(鴨上)は最後に滅んでハッピーエンド。めでたしめでたし、でしょ」って。


 その後、わたしは史郎くんと幸せに暮らし、姫野さんは赤ちゃんを産み、航誠くんと幸せに暮らしましたとさ。


 めでたしめでたし――。

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