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四話 感情の欠落した、魔女……

 予想はしていたけど実際に言葉に出して言われると、嫌な気分はしないわね。だけどわたしは、べつに史郎くんのことが好きではないのよ。嫌いでもないけれど。


 わたしは真面目で一途な方で、一度好きになった人一筋の性格だし、ここで史郎くんに鞍替えしてしまうのはどうしようもなく悪いことではないかしら。


 どうして航誠くんを好きになったのかしら? 本当に? べつにハッキリしない男だし、きっと性格が良いわけでもないと思う。


 たぶん白雪姫との対抗心からなのだろう、と思う。けれどもう姫野さんは航誠くんと結婚しちゃったのよね。


 わたしがこれからどれだけ一途に想い続けようと手の届かないところに行ってしまった。


 まあ不倫という関係にはなれるだろうけど、わたしは真面目な性格だからそんな関係を続けてしまうときっと心を病んでしまう。


 どうしてみんなは不倫をするのかしらね。家族に申し訳ないっていう気持ちは湧かないのかしら?


 きっとそれも性欲が悪いのね。性欲がなければこの世の犯罪の半分はなくなるとわたしは思うの。性欲のせいで犯罪に手を染めた人は、ごまんといるんだもの。


 そうよね。性欲のためなら人は犯罪に手を染めるんだわ。男は女で失敗するし、女は男で失敗するということよ。わたしは当たり前だけど、真理に悟ったような気持ちにそのときなった。


 そこでわたしはあることを思いついた。


 良心が咎めないわけではないのだけど、いまのわたしにはこれしか救済される方法がないのよ。だからわたしはある計画のために、彼を利用することにしたの。


 男は女で狂ってしまうのだから。


「ねえ、史郎くん」

「はい……」

 史郎くんはわたしの返事を、がん告知を受けるときのような気持ちで待ったでしょうね。

「わたしのこと好き?」


 彼は照れ臭そうにか細く言った。

「すきです……」って。

「じゃあ、ホテル行きましょ」

 彼はその言葉を聞いた途端目を白黒させて、あたふたとしたの。わたしは可愛いわね、って思った。


「どうしたの? それが目的でしょ?」

 彼は後下がりしながら、ゆっくりと首を振った。

「ど……どうしたんですか……? あなたはそんな人じゃないでしょ……。航誠さんが……結婚しちゃったから自暴自棄になってるんですか……」


 わたしはべつに自暴自棄になんてなっていないのだけど。たしかにそんなことをすぐに言ってしまったら、そう取られてもしょうがないと思わないでもない。


「いえ、わたしは自暴自棄になんてなっていないわよ」

 そう弁明したけれど絶対信じてくれないわね。

「じゃあ、どうしてですか……? 自分の体はもっと大切にしなければいけない……」


 彼はそう言ったけれど、きっと頭の中では性交のことを考えているのでしょうね。だって男だもの。彼はあたふたと辺りを見渡した。


 たしかにこんな人通りの多い場所でする話じゃなかったか。

 わたしは反省した。


「わたしは自分の体を誰よりも大事にしているわよ。きっと史郎くん以上にわたしは自分の体を大事にしていると思うの」


 彼は返す言葉が見つからないみたいに、わたしから目をそらした。その日はそれで別れた。


 わたしは家に帰って、魔女さんに訊いてみたの、「白雪姫がいなくなったら、彼はわたしをみてくれるかしら?」って。


 魔女さんは恐ろしいくらいに、ニタっと笑ったの、「白雪姫がいなくなったら、彼はあなたのことを見てくれるわ」って氷以上に冷たいドライアイスのような声だったわ。


「そうね。白雪姫さえいなくなれば、きっと振り向いてくれるわよね」

「そうよ。白雪姫さえいなくなれば、きっと振り向いてくれるわよ」

「そうね。白雪姫さえいなくなれば、きっとわたしが一番きれいだよね」

「そうよ。白雪姫さえいなくなれば、きっとあなたが一番きれいよ」


 魔女さんのその言葉を聞いて、わたしは自分の顔をよく見てみた。ぱっちりとした眼。通った鼻筋。透き通るように綺麗でサラサラ流れる髪。自分でも思うの、こういう顔が男受けする顔なんだって。


 それから数日わたしはどれだけ憎くても、何食わぬ顔で出勤し続けた。日に日に綺麗になってゆく白雪姫さま。結婚すると女性は綺麗になるのね。


 そして姫野さんのお別れパーティーが開かれた。

 わたしは、「今までありがとう、姫野さん」っていって姫野さんとお別れの挨拶をした。


 人が幸せそうにしていると、みんなこう思わないかしら、どうしてあなただけ、って。誰もそんなこと口が裂けても言えないけど、誰もが思っていることだと思うの。


 人間は自分より幸せな人間が許せないのだから。自分より下の者を貶めながら、自分の幸せを実感するのだから。


 みんなそれは違う、そんなことない、とか綺麗ごと言っているけど、誰もが一度は思うはづよ。それでそんなことを思う、自分が嫌になるの。


 わたしも同じ。誰かの不幸を喜んで、そのあと自分がどうしようもなく酷い人間だって嫌になるの。それは殺したいくらい嫌になるの。


 いまのわたしは自分を殺したいくらい、嫌になっている。白雪姫さまの不幸を願う自分が嫌で嫌でしょうがないのだけど、願わずにはいられないの。


 どうしてあなただけ幸せになっているの? どうして、ねえ、どうして、って。自分が嫌になるの。だけどその罪悪感よりも、やっぱり人の不幸を願う気持ちの方が勝っちゃうのよ。


 誰だって同じよ。綺麗な顔してたって、人間は悪魔だし心の中では他人の不幸を喜んでいるのよ。人間が嫌になるわね。


 史郎くんはわたしのもとに来てくれるけど、私と性交したいなんて一言も言わない。不思議よね。男は女と性交するために、生きているのに。


 だからわたしの方から何度も誘った。

 だけどその度に、「あなたはそんな人じゃない」だとか、「もっと自分を大切にしてください」だとか、「もっとお互いのことを知ってから、そういうことはやるものです」だとか、顔を赤らめながら言ったの。


 どこかの純愛小説なんかで使われそうな、セリフばかりだった。だけど彼も男なのよ。どれだけ綺麗ごとを並べようと、男なのよ、って。


 お互いの理解を深めるために、お酒を飲みに行った日のこと。

 史郎くんはそれほどお酒を飲まない人だけど、わたしに付き合ってくれたのでしょう。わたしと同じ量を飲んで、すぐに酔っぱらってしまった。


 彼はアルコールに強くないのね。わたしはアルコールに強い男性より、彼みたいに弱い男性の方が好きだけど、世間一般の女性はどうなのかしら。


 昔からお酒の飲める男性の方が男らしいだとかって、敬われるけど、今の時代お酒に強いということは、それだけお金もかかるし過ちを犯す確率も高いと思うの。


 そこまで考えてわたしは(いや、待てよ)って思った。お酒に弱い方が、過ちを犯す確率が高まるのかしら? 彼みたいに。


 お酒に酔った勢いでわたしたちはホテルに入った。

 普通なら反対だと思うのだけど、男が女を酔わせてホテルに連れ込むのが普通で、今はわたしがやっていることは異常なのね。


 ベッドに入ってあれだけ、綺麗ごとを言っていた彼も男で昂っている。わたしを組み伏せると、そのままね。


 あれだけ自分のことを大切にしろと言っていた史郎くんも、わたしのことを抱くのね。口ではどれほど綺麗ごとを言っていても、男は男よね。事が終わると、わたしは眠りに落ちた。


 夜中ふと目覚めると、史郎くんはとなりで泣いていた。酔いがさめてしまったようで、すべてを悟ったのでしょう。


 わたしはシーツで胸を隠しながら上半身を起こした。

 そして訊いたの、「どうして泣いているの?」って。


 史郎くんは何度も謝った。

 ごめんなさい……。ごめんなさい……。って何度も何度も。

 わたしはどうして謝るのよ、って訊いた。史郎くんはこう言った。


「こんなことをするつもりはなかったんです……僕はただ……」って。


 彼は本当に酔っていて、酔わせたのはわたしで、べつに彼が悪いわけではなかったのだけど、わたしはそのことを利用するしかなかったの。彼の罪悪感を利用するしかなかったの。


「責任とってくれる?」

 わたしにはこれしかないのよ。

 肉体関係をもったことを盾にして、人を脅すなんて美人局(つつもたせ)で本当に悪いことだけど、わたしには他にこれしかすることがないのよ。


 史郎くんごめんなさい……。と、わたしは心で思った。

 史郎くんは顔をこわばらせながら、それでもハッキリ言ってくれた。

「責任を取ります!」って。


 ハッキリしない男だと思っていたけど、彼はいざという時は頼りになる(おこと)なのね。わたしは本当に頼もしくて、見直した。


 しばらくの息苦しいくらいの沈黙が続いた。わたしもこの歳になるまでこんなことしたことなくて、はじめてだから、こういうときどうすればいいのかわからない。


 わたしは真面目だから、性的関係を今日までもったことがなかったの。誰も信じてくれないだろうけど、本当なの。べつに信じてくれなくたっていいのだけど。


 わたしはこの重苦しい沈黙に耐えきれなくて、それに彼に打ち明けなくてはならないことがあったから切り出した。


「わたしのこと好き?」ってね。

 わたしを好きか、そうじゃないかはこの計画にはとても重要なことなの。人は愛のためならどこまで、できるかって重要でしょ。 


 彼はしばらく戸惑ってから、「はい」って答えた。

「わたしのためなら何でもしてくれる?」

 彼は本当に困った顔をして、けれどわたしの頼みを断ることはできなくて、「はい」って答えてくれた。


「本当に何でも?」

 念を押すように、しつこくわたしは確かめる。だって話を打ち明けてからでは遅いもの。


 わたしのことが好きなら、わたしの願いを訊いてくれるはずだもの。

「ぼ、僕にできることなら、なんでも」

 彼はベッドの上で正座して真摯にわたしに向き合った。彼の眼からは“覚悟„という感情がよく伝わってきた。


「ええ、あなたにできることよ。あなたにしかできないことよ」

「僕にしかできないこと……?」

「そう、あなたにしかできないこと。あなた以外できないこと。あなたにしか頼めないこと」

「僕にしか頼めないこと……?」


 彼は警戒の色を示した。こんなことを打ち明けて警戒しない方が、おかしいのだけど、警戒されては困る。


 わたしは彼の眼を見つめた。わたしの眼には魔力でもあるのか、彼はわたしから眼をそらさないのではなくて、そらすことができないようだった。


 この機を逃したらきっともうお仕舞だ、と思ってわたしは打ち明けた。

「わたしのことが好きなら、姫野さんを殺してちょうだい」って。

 あまりにスムーズに感情の欠落したような、この世の者とは思えない声がでたからわたしでも驚いた。


 その話を打ち明けたことにじゃなくて、わたしの声に驚いたの。人間はここまで心のこもらない声を出せるんだ、って。

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