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桜の迷路で手を伸ばす  作者: 姫蝶 火織
皐月の気温に当てられて
6/12

表情

 五月も中旬に入ってくると、学校全体がだんだん体育祭ムードになってくる。

 一応その直後には中間テストが控えているのだが、ほとんどの人はあまり気にしない。

 まあ一年の内でも有数の大イベントだから無理もないが、私はあの手のイベントは苦手だ。

 あまりはしゃぐことをせず、その上、お世辞にも運動が得意とは言えない。

 結局、迷惑を掛けないようにするのが精一杯で、活躍など夢のまた夢だった。

 だが、高校生になって自由度が増し、運営などの仕事が増えた今、その分活躍の場も増えたと捉えることもできる。

 つまり裏方で活躍できるという訳だ。

 表に出るのが苦手な私は、こういう役回りを得意としていて、こういう場面では何だかんだ積極的に動く。

 人前に立つこと以外でなら、むしろ仕事は歓迎ということは、改めて言うまでもないだろう。


 そんな訳で、放課後に机に向かって何やら困り顔の燐を訪ねてみた。

「どうしたの? 何か困って......」

 そう声を掛けると、台詞を最後まで言い終わらないうちに、私を見るなり燐が飛びついてくる。

 まるで久し振りに飼い主と再会した犬だ。

 明るくふわふわとした性格と、茶髪のポニテがそんな仕草に良く似合っている。

「紗樹じゃん! ひさしぶり~」

 抱きつかれ、わしゃわしゃと頭を撫でられながら、一応来た理由を伝えておく。

「体育祭の仕事を手伝えれば、って思って来たんだけど、何かできることはある?」

「ありがと~。今ちょうど困ってることがあって」

 そう言って、机の上に置いてあったメモ用紙を差し出される。

 そこには何種類かのクラスTシャツのラフが描かれていた。

「これがどうしたの? 良く描けてると思うけど」

「いや、絵を描く分には私がやればいいだけの話だから問題無いんだけど、登録商標の使用許可を取る時、相手に失礼の無いよう気を遣ってメール送るのがどうも苦手で......」

 なるほど、そういうことか。他人に気を遣い過ぎる燐らしい相談だ。

 彼女が誰からも好かれる所以もそういう繊細な性格にあるから、もちろん悪いことではない。だが、なかなかに過剰な心配性といえる。

「ああ、それなら私がやるよ」

「いいの? じゃあお願いしようかな」

 自分しかできる人がいないとなったら、色々と心配しながら何とかやれそうではあるが、他にやれる人がいるなら無理に苦手なことをやる必要も無いだろう。

「ん、任せな」

 そう言うが早いか私はスマホを取り出し、商標を保持する会社とその問い合わせ先を調べ上げると、メールを打ち始めた。

 私なら十分も掛けずにできることだし、燐にはきっと、彼女にしかできない仕事が他に多くある。

 だから私は、そんな彼女が羨ましいのかもしれない。

 燐には彼女にしかできない仕事があるが、私はどうだろう。

 何か私にしか出来ないことで、人の役に立てること。

 そんなものが何かあるだろうか。

 そんな考えを経て、私ははたと、あることに思い当たった。

 全てのごちゃごちゃしていた思考が一つに纏まったように感じた。

 色々と考えが錯綜していたが、結局のところ私は、誰かに認めてほしかった、それだけの事だったのではないだろうか。

 やたらと仕事を求めたりするのは、その気持ちの表れなのだろう。

 だが、自分の求めているものがはっきりと分からずに、やたらめったら仕事をするばかりでは駄目だったのだ。

 つまりは、私にしかできない事がやりたかった。

 ありのままの自分に価値があると、そう認めてほしかったんだ。



 メールを送信し、スマホをポケットに仕舞うと、私は軽く息をつく。

 そして座っていた席を離れ、窓辺まで歩いて空を眺めていると、背後から驚きを隠せない燐の声がした。

「え、もしかしてもう終わったの?」

「うん、終わったよ~」

 私は空を見上げたまま振り向かずに、のんびりとした声音で答える。

「仕事はやっ!」

「なんてことないよ、これくらい」

「いやいや、本当に助かるよ。ありがとう」

 そんな他愛の無いやり取りに二人で微笑をこぼしつつ、何となく窓を開けてぼーっと風に当たっていると、背後で不意にガラッと教室のドアが開かれた。

「クラT依頼する業者の目星はつけたぞ」

 そんな仕事人風の台詞と共に颯爽と入って来たのは鳴海君だ。

「あ、ありがと~」

 燐は彼の姿を見るなりすぐにそう言って、ちょっと大げさに、祈るように手を合わせてお礼をする。

「お安い御用だ。まあ、気にするな」

 そう言ってデータをプリントアウトした紙を燐に手渡しつつ、私の姿を目端に捉えると、彼はちょっと意外そうに訊いてきた。

「あ、もしかして遠山さんも手伝い?」

「そうだよ。まあ大した仕事してないけど」

 私がそう答えると、鳴海君は悪戯っぽい笑みを浮かべ、燐の方に視線を動かす。

 同時に私は、初めて目にする彼の子供っぽい表情に軽く衝撃を受けた。

「さては宮本、まーた人に頼ったな」

 そう言われた燐は不満そうな顔で、すかさず反駁はんばくする。

「なによ、悪い?」

「別に悪いわけないさ。それも一種の才能だ。でも気を付けなってだけだよ」

 そう言葉を返す鳴海君の表情からは明るさが消え、むしろ少し翳って見える。

 燐はふくれてそっぽを向き気付いていないが、私にはこれが重要な意味を含んでいるように感じた。

 しかしそんな微細な面持ちの変化も、語り終われば消えている。

 何だか、見れば見るほど謎の増えてゆく人物だ。

 だが思い返せば、彼は皆が揃って理系だと勘違いするほどに、論理的な思考をする人物であることもまた事実。

 そして私は、まったくもって非現実的な一つの可能性を考える。

 もしも、こういう一見すると何の意味も無さそうな行動の全てが繋がっていたら、これほどまでに読み解いて面白いことは他にないだろう。



 それから教室は十数秒程静かになった。

 校庭からは運動部の掛け声が聞こえ、私はそっと二人から目を逸らす。

 斜め下に降ろした視線の先では、さんさんと降り注ぐ光芒が私の影を象っていた。

 それを見て、ふと微笑とも嘆息ともつかない吐息がもれる。

 なぜか、ほんの数メートル先がやけに遠く思えた。

 だが感傷に浸るのも束の間、私が全開にしていた窓から一陣の風が教室を吹き抜けると、その静けさはいとも簡単に破られた。

「あっ!」

 そんな燐の高い声が響き、雑然と机に置かれていた数枚の紙が宙を舞う。

 彼女はそれを反射的に押さえ込もうとして机に突っ伏すが、その腕をすり抜けたプリントはハラリと床に落ちた。

 私はそれを見てすぐに拾いに動こうとする。

 だがその時には、鳴海君が床に落ちていた最後の一枚を、ちょうどその手に収めるところだった。

 そして机でトントンと束を整えると「はい」と言って燐に手渡す。随分と手慣れた動きだ。

「ありがと」

 燐の方はちょっと不満そうで、言葉もぶっきらぼうではあるものの、一応はちゃんとお礼をするところが几帳面というか、よくできた子だ。


 こういうやり取りを見ていると、私は何となく千石を思い出す。

 そこそこ長い時間を一緒に過ごすと、腐れ縁であれなんであれ、適度に上手くやれる形を見つけていく。そういう過程で形成された二人の関係性という意味では、私と千石に似ている気もする。

 私と千石だとこういうことにはならないが、他人の目には、意外と似たり寄ったりに映っているのかもしれない。

 私が二人から一歩離れてそんな風に考えを巡らせていると、鳴海君が何かに気付いたというように声をあげた。

「あ」

「ん、どした?」

 即座に反応した燐に彼は抑揚の無い声で告げる。

「五時、過ぎてるよ」

 そして刹那の空白があり、

「しまった! 遅れる!」

 そう叫ぶが早いか鞄をひっつかみ、燐は机の上のプリント類を全部まとめてその中に乱雑に突っ込むと、全力疾走で教室を後にする。

 まるで嵐のようという言葉は、きっとこれを形容するためにある。そう思わせる様な凄まじい去り方だ。

 残された私達はあっけに取られてしまい、去って行った方向をしばし眺めてから、ようやく開け放たれた扉から目を離し、顔を見合わせる。

 そしてできることと言えば、呆れ果てて笑うこと以外に無い。

 急に閑散とした教室を、そよ風が同情でもするように柔らかく流れていった。



「ねえ、鳴海君。燐ってあんな感じだったっけ?」

 私はふと覚えた違和感の正体を探るべく訊いてみる。

「いいや。いつもはほとんどミスもしないし、慌てることも滅多に無いけど、ごく稀にああいうドジをやるんだよ」

 そして彼は呆れ顔で少し笑った。

「いや、そうじゃなくて。あんなに表情豊かだったっけ?」

「何か変だった? おれには普通に見えたけど」

 その答えに、私の感じた不自然さの根源が掴めてくる。

 私から見た普段の燐は、ハキハキとしており、愛嬌がありながらもリーダーシップを発揮して集団をまとめ上げ、しっかりと堅実に仕事をこなす、そんなイメージだ。

 当然、集合時間を忘れるなんて、一度たりともやったことが無い。

 そう、まるで別人のようだった。

「変なこと訊いちゃったね。ただ、女子の先頭に立つ時とはずいぶん様子が違ったから、気になったってだけなの」

「なるほど、そういうことか。まあ、ああ見えて意外と見栄っ張りだから、おれみたいな気心の知れた人以外の前ではちゃんとしていたいのかもね」

 その答えには違和感も嘘も感じない。

 ただ、私は珍しく鳴海君の意見に賛同できなかった。

 むしろ真逆なのではないだろうか、そう思ったから。

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