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桜の迷路で手を伸ばす  作者: 姫蝶 火織
導く卯月に気付かない
4/12

朝焼け

 新学期は何のことはなく普通に始まった。

毎年恒例のクラス替えや始業式などを適当に消化しながら、新学年もはや数日が経過し、私は早くも新しいクラスに慣れてきていた。

 友人と言えるような存在がほとんどいない私は、別に誰と仲良くする訳ではないのだが、たまたま科学部の同輩である千石悠介が同じクラスにいたりして、昨年までに比べると多少は気が楽だ。

 時程はというと、授業の方はまだ始まっておらず、学年初めのオリエンテーションが続いている。


 数百人いる学年全員がホールに集められ、色々な話があるのだが、しっかり聞いているのなんてほんの一握りだ。あとは大抵、寝ているか、他のことを考えているかで、静かにしつつも好き勝手にやっている。

 私も例外ではなく「高校生になっての自覚を......」などと、いかにもありきたりな話を聞き流しつつ、思考は斜め上にズレた所を彷徨さまよっていた。

 高校生になったということは、私にとってさして大事ではない。正直、今もまだ実感が無い程度には、中学生の頃と変わらない生活をしている。

 中高一貫校で、受験もせずに高校に入学したこともその一因だろうが、周囲に誰一人として働き始めたり、専門学校に通い始めたりする人がおらず、変化が身近に無いのも大きい。

 この状態でいきなり自覚を持てと言われても厳しいが、少しずつ、確かに変わっているのもまた事実だ。

 例えば、私はもう働くことが出来るようになったが、そうした時に、何か他人と違う、アピールできるような特長を持っているだろうか。

 正直なところ自分ではよく分からないが、いざ考えてみると、自信を持ってはっきりと言える点が一つたりとも無いことに呆然とする。

もちろん、ここにいる他の生徒もほとんどがそうだろう。だが、そのことに甘んじていていいはずがない。

 私は、名前が通っている程度の学校に通っていて、その中では比較的優秀な生徒だが、そんなステータスは年齢や時代を追うにつれて、どんどん価値が薄れてゆく。

 皮肉なもので、私は、私が最も嫌う集団の中で特別で、そこから一歩でも外に出れば何もできない矮小で平凡な存在なのだ。

 社会で通用するスキルや資格というのは、そういった指標では計れない、全くの別物なのだから当然ではある。

 しかし、誰もがそう言うのに、褒められるのは校名や成績に依存した、私の贋作がんさくばかりだ。

 誰一人として私と真摯に向き合うことはせず、薄っぺらい付き合いから見えたものが全てだと決めつけ、勝手にレッテルを貼り付けて離れてゆく。

 馬鹿にされているとしか思えない。

 一体いつになったら、私は見てもらえるんだろう。

 いつまで待ったら私は、正しく評価されるんだろう。

 たとえそれで厳しい現実を突きつけられるのだとしても、ゴールを隠されてただ盲目的に、抗う意思を殺ぐためだけに走らされているよりは絶対にいい。

 だから、早く大人になりたい。

 そうすれば全部白日の下に晒される。

 否応なしに、そうならざるを得ないはずだ。

 だが、たまにふと思うことがある。

 本当にそうだろうか?

 そんなの、ただの幻想に過ぎないのではなかろうか?

 確証など無いが、十分にあり得る話だ。

 しかし、今はそうでないと信じるしかない。

 でないと私は、抗う力を失ってしまう。

 自分が自分として生きる為の、最後の砦を壊されてしまう。

 もし私が、代えの効くものとしてしか存在できなくなったら、拷問の果てに死ぬことすらもできなくなる。



 風の吹かない午後、ホームルームをしている教室の窓からは、どんよりとした灰色の雲に覆われた空しか見えない。

 嫌な天気だ。

 明日の予定を淡々と連絡する日直の声が、私から生気を奪ってゆく。決められた明日を周回するのはもうたくさんだというのに、やはり逃げられない。

 クラスから開放されても、まるで動く気力が出なかった。


 いつもなら少しは気が楽になる放課後も、今日はため息ばかりついている。

 こんな状態で千石に会いたくはないのだが、彼を捕まえないと部活の話が進まないから仕方ない。長身で、見た目の印象は別に悪くないが、発言の大半がネガティブで折角の好印象を台無しにしている。そんな奴だ。私と同様に、中学の頃から科学部に所属しており、彼とはそこで知り合った。

 私が言えたことではないが、友達の少ないあいつのことだから、どうせその辺で部室が開くのを暇そうに待っている事だろう。

 そう思って教室の近くを少し見回すと、案の定、千石は廊下の壁にもたれて腕組みをしている。

 ただ一つ想定外だったのは、今まさに誰かと談笑しているということだ。

 邪魔をしては悪いような気もするので、一応少し離れた場所からその様子を眺める。

 話している相手は確か、鳴海新とかいう名前で、今年同じクラスになった人だ。

つまり自己紹介も聞いているはずなのだが、あまり印象に残っていない。普通に当たり障りのないことを言っていた気がする。

 そうなると、いわゆる『普通の人』に興味を全く示さない千石との関係性に謎が増えるが、それはひとまず無視しておこう。

 会話の口ぶりから察するに、二人は結構前から知り合いのようだが、それにしても千石にこれ程仲の良い友人がいたとは驚いた。

 こんなことを言うと、とても失礼な事を言っているように聞こえるかもしれないが、実際私は、部活以外で楽しそうにしている彼を見たことがない。

 珍しさゆえに少し面白い光景なのだが、会話の途切れない千石をひたすら見ているだけ、という訳にもいかないので、声を掛けに行った。


「千石、ちょっといい?」

「あ、遠山か。今日の部活なら無いって」

 彼は一言で話しかけた理由まで推察したらしく、鳴海君との話を中断して振り向きざまにそう言う。

 腐れ縁とはいえ、長い付き合いになるとこういう所が手っ取り早くて助かる。

「そう、ありがとう」

 お礼だけして私はいつものように帰ろうかと思ったのだが、ふとした千石の呟きで引き留められた。

「そういえば、遠山と鳴海って似てるよな」

「「え?」」

 鳴海君と私は揃って怪訝そうな顔をし、発言した張本人を見る。

「ほら、二人共何かと有能だし、理論でものを考えるし。あとは一人でいることが多いところも似てるね」

 そう言うと、ひとりでうんうんと頷く。

 千石が好き勝手に言ってくるのはいつものことで、いちいち対応するのは面倒なので無視するが、彼も間違ったことを適当に述べているのではない。本人が意識しているかを知る術は無いが、なまじ根拠と論理があるだけに、反論しにくいことを言っている。

 まったくタチが悪いことこの上ないが、私はすっかり慣れてしまった。

 そこで気になったのが鳴海君の対応だが、彼に対しても千石のこのノリは健在なようで、気にも留められず完全にスルーされていた。

 となると最後に本人の心境を知りたくなるが、どうやら何も感じていない。

 にこにこと笑って、鳴海君と次の話を始めている。

「はぁ......」

 私は呆れて、半笑いでため息をついた。

 しかし改めて考えると、今回もよく的を得たことを言っている。さりげなく、だが意識しなくては気付かないような人の特徴を、千石は機敏に捉えるのだ。

 言われてみれば、鳴海君の雰囲気や言動の端々からは、論理的な思考の影がたまに覗く。そして同時に、千石より洗練された言葉づかいをすることも伝わってきた。

 私は何の気なしに、約半年後に迫った文理選択について訊いてみる。

「ねえ、鳴海君って理系?」

「いいや、文系だよ。遠山さんは確か理系だったよね」

 本人は何の不思議も無いという風にそう答えるが、表向きの印象しか見ていない私からするとちょっと意外だ。

 そして、それに千石が過剰に反応した。

「えっ、お前文系なの? 絶対理系だと思ってた~」

「そんなに驚くほど不思議か?」

「いや、発言からしてまず理系でしょ」

 そんな何気ないやり取りに二人で笑い合う。

 ネガティブでありながらも明るい千石と、仄かな熱を孕んだ鳴海君の冷淡さが絶妙に噛み合っていて、傍で二人のやり取りを聞いているだけで面白い。

 私は彼らの会話に時折口を挟みつつ、気付けば随分と長いことそのやり取りを眺めていた。

 人と話すのが苦手な私にはこれ位の距離感がちょうどよかったのかもしれない。

 あれほど他人といる時間が苦手だったのが嘘のように、私は緊張もせず、微睡む春の陽気の中にいるような、ほんわかした空気に包まれているように感じた。


 それから、流れで一緒に帰途につく。

 結局帰り道はバラバラで、駅に着けばすぐに別れることにはなるのだが、そんな僅かな時間も楽しいものだった。

 私は少しでも長く誰かと一緒に居たいと言う人の気持ちを、この時初めて、感じられた気がする。

 時刻はちょうど黄昏時で、夕日が街の喧騒を鎮めるように照らしている。

 少し前までは重苦しかっただけの厚い雲も、夕焼けの鮮やかすぎる橙色を受け止めて若紫色に広がり、今やコントラストを引き立てる情景のほんの一部でしかない。

 橙色の光に照らされてできた長い影を揺らしながら、私たち三人は夜への道を楽しげに歩いて行く。

 そしてなぜか、鳴海君の影が私の目に留まる。

 何の変哲もない影、それに計り知れない力が潜んでいるように感じた。

 気にし過ぎと言ってしまえば元も子もない。

 だが、建物の影に隠れる直前の一瞬、彼のカゲが翼に見えたのも気のせいなのだろうか。

 空ではからすが羽を広げ、その艶やかな黒色に世界を染めてゆく。

 鮮烈で優しい最後の一筋の紅は、私をゆっくりと夜に誘引した。



 その晩、床に就くと、私は海中で眠っているような錯覚に陥った。

 何も見えず、何も聞こえず、さらさらとした冷たい水の感触だけを肌に感じる。

 なんだか今日の私は異様なまでに感受性が強い。

 昨日から変わったことなど特に無いはずだが、どうしたんだろう。

 しかし、そんな考えもすぐにどこかへ行ってしまった。

 どうやら、密度の低いものは私を離れて、海面の方へ浮かんでいってしまうようだ。

「ここは何処だろう?」

 純粋な自分だけで取り残された私は、自分とその周辺を精査する。

 ゆらりゆらりと彷徨さまよって、ようやく海の正体が掴めてきた。

 ここは多分「思想の海」だ。

 深い場所になる程、パズルのように複雑なピースが美しく整頓されていて、浅くなる程、混沌としている。

 私は今まさに、深く潜ろうとしていた。だが、何かに阻まれたのだ。

 正確には、私に何かが足りないために、それ以上は進めなかった。

 ただ、その先に私の求めているものがあるということだけは確かだ。

 そして私は思った。

 こんな時、誰かが手を引いてくれたらな、と。

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