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 述語は何だろう、と思って待っていたが、それ以上の言葉は出てこない。

「毎日決まった時間に学校へ行って、毎週同じ教科の授業を受けて、似たり寄ったりのテスト問題を解いて、成績がついて……。そんな毎日をひたすら一生懸命送らなくてはいけないことに疲れたんです」

「ふうん」

「誰でも時々思うことですが…」

 無意識のうちにマスターの口調が移っている。マスターは僕の話を聞いているのかいないのか、流し台の拭き掃除をしている。

「中学生の頃通っていた塾の先生が、亡くなったんです」

 一瞬、マスターの手が止まる。

「若くて。まだ大学を卒業したばかりの人でした。月並みな表現だけど、優しくてきれいな人でした」

 こんな人が、この世界に存在しているのが不思議なくらいに……、今ならあのとき感じていた違和感を、そういう風に表現するのかもしれないが。

「何の前触れもなく簡単に人は死ぬのに、毎日ただ似たようなことを繰り返すだけで、そうして生きているのが、怖くなったんです」

 彼女が他界したと聞いたときに、最後にいつ会ったのかを思い出そうとしていた。

 塾の講師をしていたとき、彼女は大学生だった。僕が一、二年生だった頃だけ、彼女はそこにいた。三年生になる時には、大学を卒業して実家に帰るらしく、辞めてしまっていた。普通塾は三年生から必要なのだろうけれど、僕は先生がいなくなってしまった塾に通うのが時間の無駄に思えて、それからは通信教育で勉強することにしていた。それくらい、彼女は僕の日常において重要な位置にいた人だった。

 秋頃、一人で東京近辺をうろついていた時のことだった。実家に帰ったものと思っていた彼女が、人ごみの中で突然目に飛び込んできた。

「先生!」

 もう会えないと思っていた人が目の前にいる。これは夢じゃないか? 半分おろおろしながら声をかける。彼女ははっと驚いて、そして目を細めて僕を見つめた。

「先生なんて言われるの、久しぶり。びっくりしちゃった」

 もともと小柄だった体が、もう一回り小さくなったようだった。まだそれほど寒くはないのに、とても細い毛糸で編まれた、朱色に白い模様の入ったカーディガンを着ている。その朱い色が空の水色にくっきりと映えていて、あっと思う。それらの鮮やかな色の中で、彼女の肌の白さが余計に引き立ち、誰も知らない異国の、高貴な人が、間違ってこの世界に迷い込んでしまったかのように見えた。

「ちゃんと勉強しているの?」

「はい、塾は辞めたけど、自分で勉強してます」

「そう。私が言うのもなんだけど、小坂君は塾に来なくても大丈夫なのにっていつも思ってたの」

 その声で、毎週のように「小坂君」と呼ばれていた頃の記憶が蘇る。あの頃自分は、どんな気持ちで日々を過ごしていたのか。何か大切なものを見過ごしていたのではないかと、彼女と談笑しながら探ってみようとする。あともう少しで、探しているものにたどりつけそうな気がする…。

 しかし、ものの数分としないうちに、連れの男が現れた。

「塾でバイトしてた時の生徒さんなの」

 彼女は僕をそう紹介すると、その男は形式的に良い人そうな表情を作り、軽く会釈した。その社交的な笑顔の裏に何が隠されているのかいないのか、探る間もなく、二人は回れ右をする。あっという間に人ごみの中に消えて行った。それが、彼女を見最後だった。それから間もなく、あんなに眩しく見えていた人が、自らこの世を去った。

 そんなことも、あるいは単なる理由の一つにすぎず、コップの水をあふれさせるための最後の一滴がたまたまあの出来事だった、というだけなのかもしれないが。世界がそれまでとすっかり違って見えるようになったのは、それからだったのではないか。



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