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鈴谷さん、噂話です

子育て幽霊の噂話

同シリーズの「人食い村の噂話」ってのの後の話で、書いたのも実はその辺り。

多少のネタバレを含みますので、そーいうのが気になるって人はそっちを先に読んだ方がいいかもしれません。

 万有引力の発見で有名なアイザック・ニュートンは、実は錬金術の研究にも熱心な人物だった。入手した資料から、この事実を知った経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、彼の事を「最後の魔術師」などと評したらしい。

 高名な物理学者で、科学の発展に寄与したとされる人物のこのエピソードは発表当初、センセーショナルに迎えられたが、後にそれは科学が成功を収めたことを“正”とする現代の主観的な歴史観から、ニュートンを判断したに過ぎないと言われるようになった。

 未だに数多くの人々から、ニュートンは科学者だと思われているが、実はニュートンがいた時代には、そもそも“科学”という言葉は存在していなかった。当時は、彼のような人々を自然哲学者と呼び、そしてそれは科学者とは異なっていたのである。

 ニュートンがいた当時には、疑似科学などといった概念は当然存在せず、自然哲学と自然魔術は、近しい関係にあった。何しろ、ニュートンの万有引力の発想は、自然魔術というオカルト的な考えがあって初めて得られたのではないか、という主張もあるくらいなのだ。事実、万有引力の説を聞いた当時の人々の中には、それをオカルト的なものだと捉えた者も少なくなかったらしい(だからなのか、イギリスでは早くから万有引力が受け入れられたが、デカルトが支持されていたフランスなどではなかなか万有引力は、浸透しなかったのだとか)。

 引力とは当時は、正体不明の目に見えない謎の怪しい力だったのだ。そんなものが、広大な宇宙空間の彼方にまで作用すると考えるのは馬鹿げていると思うのは、むしろ自然な発想だった。僕だってもしも当時の人間だったなら、同じ様に馬鹿げていると思っていたかもしれない。

 だから、この正体不明の力の存在を受け入れるには、魔術のフィールドの発想が必要だったのではないか、と考える人がいるのだ。そしてこの捉え方は、科学の成功を当たり前のものとして認識している歴史観では、理解できないものでもある。それは、“今”という時代の主観を通して当時を観た、歪んだ世界の捉え方なのだ。ところが、今でも多くの人が、この捉え方で歴史を観てしまっている。そして、この問題有りの歴史観は“ホイッグ史観”と呼ばれている、らしい。

 これはもちろん、学問だけじゃなく、資本主義や音楽などでも、同じ事が言える。

 ……以上は、僕と同じ新聞サークルに所属している火田修平という男の弁だ。自慢にもならないが、この僕がそんな話を知るはずがない。何を隠そう、僕は火田から教えてもらうまで“ホイッグ史観”という言葉すら聞いた事がなかった。火田は顔つきが悪いくせに、こういう知識だけは妙にたくさん持っているんだ。因みに僕は、佐野隆という名で、大きな欠点も大きな取柄もない、そんな男です。

 どうしてこのホイッグ史観の話になったのかには、ちゃんと経緯がある。

 つい先日、僕は鈴谷凜子という民俗文化研究会ってサークルに所属している女の子と“人食い村の噂話”の取材に行った。これは、とある村に死人の肉を食う風習があるのではないか、というもので、調査の結果、真相は分かったのだけど、当事者の意向によりそれは記事にできない事になってしまった。それを「嘘だ、本当は分からなかったのだろう」と火田に言われた僕は、頭に来て、その真相を奴に説明したのだ。

 大雑把に言うと“人食い村の噂話”の真相とは、村の外からの偏見と今の過去への偏見との合わせ技から発生した単なる誤解だった。そして、それを説明するなり、火田は「そりゃ、ちょっと違うが“ホイッグ史観”みたいなもんだな」とそう言ったのだった。

 そこから後は、先に僕がしたようなニュートンなんかの説明を火田は僕にしたのだ。説明を受けて、“確かに、似ているかもしれない”と僕は思った。その“人食い村の噂話”も、今の感覚で当時を観ていたからこそ、誤解が生まれ発生したのだ。まぁ、もっと一般化してしまうと、主観での判断はほぼ常に対象を歪めて捉えてしまう、という事なのだと思う。そう言うと火田は、

 「でも、それって、逆に言えば、主観的な真実は、常にその主体の中にしか存在しないって事でもあるよな」

 なんて事を言って来た。その言葉は、僕の中に妙に印象的に響いた。そして火田は続けてこう言ったのだった。

 「でも、だからこそ、問題でもあるんだよ。主体の中なら、何でも自由に決められて、それが暴力になってしまう場合もあるんだから」

 そう言いながら、火田は一枚の写真を僕に見せて来た。

 「なんだよ、これ?」

 それは何処かのアパートらしかった。少し古くて、何だか汚い。少なくとも、洒落た感じはしない。火田は一言、こう答えた。

 「心霊写真だよ」

 「心霊写真~?」

 よく見ると、影の茂みの辺りに、白っぽい着物を着た女性が写っている。顔はよく見えない。半透明。なるほど、心霊写真だ。

 「これが、どうしたんだよ? よくあるインチキだろう」

 今の時代、これくらいの写真、簡単に捏造できる。訝しく思った僕がそう尋ねると、火田はこう応えた。

 「これを、次の記事にするんだよ。お前の取材が無駄に終わったんなら、書く内容はないはずだ。ちょうど良い」

 「無駄とは何だ! ちゃんと鈴谷さんとは、交流できたぞ」

 「そっちの話じゃねぇよ!

 ……ったく。そろそろ、新聞出さないとまずいだろう? サークル自治会が不真面目なサークルを取り締まるって話だぞ」

 僕は軽くため息を漏らすとそれにこう返した。その心霊写真を眺めながら。

 「それは分かるけどな。こんな心霊写真なんて記事になるかよ。心霊写真なんて、新聞サークルの取り上げる内容じゃないだろう。鈴谷さんからも軽蔑されそうだ」

 「お前、嫌がっている本音は最後の部分だろう? だけど、記事にする趣旨が違うよ、安心しろ。どうやら、その心霊写真はな、悪意ある一枚っぽいんだよ。で、それを摘発するんだ。うちの新聞で」

 「悪意ある一枚? …これが?」

 それを聞くと僕は、もう一度、その心霊写真をよく見てみた。分からない。どういう意味なのだろう? それで疑問の声を上げた。

 「呪いの写真、とか?」

 火田は少し呆れつつも、こう返した。

 「ま、似たようなもんだよ」

 それから火田は、その写真に目を付けた経緯を僕に説明した。

 これを見つけたのは、うちのサークル室に唯一ある出所不明のパソコンで、ブックマークされていたうちの一つの“怪談掲示板”を何となく眺めている最中の事だったらしい(因みに、この掲示板は僕がブックマークしておいたものだ。“人食い村の噂話”を探し出した時の巡回サイトの一つだった)。

 流し見をしていて、何となく見覚えがあるなと思って、スクロールしていた手を止めると、そこにはその心霊写真が貼られていたのだそうだ。火田はそこに写っていたアパートが、この大学の近くにあるアパートだと直ぐに気付いたらしい。それは何も火田にとってそこが印象深い場所だったとか、火田の記憶力が特別に優れているか、そういう事じゃない。そこにはそのアパートの場所が、事細かに書かれてあったのだ。

 火田はそれを見た時、嫌な感覚を味わったのだそうだ。何と言うか、無邪気に書き込まれた記事ではないと勘が働いたらしい。それで、もう一度、その心霊写真をよく見てみて、ふと思い出した。そこに写っていた着物を着た女の姿に見覚えがあったのだ。

 「アパートに続いて、そこに写っていた女の幽霊まで見覚えがあるとなると、これは偶然じゃないだろう。うちの大学に関係がある」

 そこまでを説明して、火田は言った。

 「それで俺は、探してみたんだよ。うちの大学の教科書類の中の写真をな。すると、ビンゴだ。その女の幽霊の元ネタは、この歴史の教科書に写っていた、これだった」

 そう言うと奴は、教科書を取り出して、パラパラとめくり、写真の一つを示した。確かに、心霊写真に写っていたのと同じ女性が写っている。しかも、いい感じに顔が隠れていて不気味な雰囲気を醸している。

 「はは、なるほど。やっぱり、この心霊写真はインチキだったって訳か。しかし、巧く加工してあるなぁ」

 それを見て僕はそう言った。しかし、そうなると… 僕の表情で、僕が悟った事を察したのか、火田はこう言った。

 「そうだよ。意図的に作りだした心霊写真を、ご丁寧に場所まで事細かに書いて、ネット上の怪談掲示板にさらす。これは、もう完全に嫌がらせだろう?」

 それで火田はうちの学生で、このアパートに恨みがありそうな奴を探したのだそうだ。恐らくは、そいつが犯人だろうと。それには小牧なみだという名の女の新聞サークル員を頼ったらしい。ほとんど顔を見せないが、彼女は、噂話の類に何故か精通していて、なかなか役に立つのだ。

 「で、大体の当たりはついた。住民とのトラブルで、そのアパートを管理人から追い出されたのが一人いたんだよ」

 火田は続けた。

 「詳しく話を聞くと、そいつは漫画研究会にある機材を借りて、何かをやっていたらしいから、ほぼ間違いない。

 ただ、問題もある。一体、どんな記事を書いたらいいかって点だ」

 「そんなの、この心霊写真は捏造だって書いて、そんな事をやったそいつを責めればいいだけの話じゃないのか?」

 火田はため息まじりでこう返す。

 「そんなに単純な話じゃねぇよ。決定的な証拠はないんだし。名指しは避けて、飽くまでにおわせる程度だな。ただ、心霊写真が捏造だってのはそっくりな女が写っているこの写真があるから書けはする。だから少なくとも、悪評を止める事はできる… が」

 「が、何だよ? まだ、何かあるのか?」

 「ぶっちゃけ、それだけじゃ記事の量が足らないんだよ。もう少し書くネタが欲しいんだ。

 で、ま、俺はこの心霊写真から派生した噂を追ってみたんだ。そうしたら、この女の幽霊はもしかしたら“子育て幽霊”じゃないかって盛り上がっているのを見つけた」

 僕はそれに疑問の声を上げた。

 「“子育て幽霊”って、何だよ?」

 「ほら、死んでしまった女が幽霊になって、墓場の中で子供を育てていったってあれだよ。赤ん坊に与える為に、幽霊が飴を毎日買いに来るのな」

 「ああ、あの落語にもなっているヤツか」

 「そうそう。それ」

 その後で僕は少し考えると、こう言った。

 「いや、待て。それが一体、どうしたんだよ?」

 「“どうしたんだよ?”じゃないよ。記事の前半は、その話とこの心霊写真を結びつけて印象深く語り、アパートからは逸らすんだ」

 僕はそれに多少、呆れた。

 「いや、そこまでする話なのか? 写真が捏造ってだけで良いじゃないか」

 しかし、火田は首を横に振る。

 「分からない奴だな。それじゃ、量が足らないって言っただろう? それに、まだ理由はあるんだよ。実は、それ以外にも別の幽霊の話があって、そっちも話題になってた。で、そっちの方が、このアパートに害がありそうなんだ。直にこのアパートの話だから。多分だから、この心霊写真を作った奴は、この写真の女をチョイスしたんだろうと思うんだが、このアパートには、ずっと前に着物を着た女の幽霊が出たって噂があったらしいんだ。

 で、そっちもそれなりにネットで取り上げられている。そっちの方の噂には、消えてもらわなくちゃならない。で、その仕事はお前にやってもらいたいんだ」

 「なるほど。それで、“子育て幽霊”の話を強調しろってか…」

 それから僕はため息を漏らした。

 「でも、面倒くさいなぁ…」

 それを聞くと、火田は意外そうな声を上げた。

 「いや、俺はお前が喜ぶと思って、この仕事をお前に振ったのだけどな」

 「どうして、僕が喜ぶんだよ?」

 「いい口実になるじゃないか」

 「口実?」

 分からないでいる僕を、火田は少し馬鹿にしているようだった。こう説明する。

 「この“子育て幽霊”は、民間伝承でもあるんだよ。日本各地にあるらしくて、その一つが、この近くにもある。だから、まぁ、話題になっているのだろうが」

 「あっ」

 その説明で僕は気付いた。

 「そうか! 鈴谷さんと、交流するチャンスなのか! “子育て幽霊”の話を、彼女に聞くって名目で!」

 そしてそう声を上げた。やはり少し馬鹿にした口調で火田が言った。

 「まぁ、がんばれよ」

 

 少し説明が必要かもしれない。

 僕は鈴谷凜子という民俗文化研究会に所属している女の子に気がある。そして彼女は、“民俗文化研究会”なんてサークルに所属しているだけあって、その手の話に詳しいのだ。しかも、うちの新聞サークルは、弱小サークルという特性を利用して、他の弱小サークルと組んで仕事ができる。これまでも、何度か僕はそれで彼女と仕事をしている。先日の“人食い村の噂話”の件もその一つ。

 ここまで聞けば、分かると思うけど、僕はこれまで半ば意図的に彼女と組めそうなネタを探してきた。何を隠そう“人食い村の噂話”もそれで見つけたのだ。別に自慢するような事じゃないけど。だから、“子育て幽霊”の話を鈴谷さんに聞きに行くという名目を火田からもらって僕は喜んだのだ。

 彼女がいるサークル室は、ちょうど僕ら新聞サークルの向かい側にある。もちろん、歩いてすぐの距離。僕は早速彼女のいるサークル室へと向かった。

 大体いつも、鈴谷さんは民俗文化研究会にいる。他のサークル員がいる時もあるけど、この時間帯なら彼女しかいないだろう。彼女にとってサークル室は半ば、書斎のようになっていて、いつも読書をしているのだ。もちろん、民俗学関係の本を彼女は読んでいる。

 サークル棟の狭く汚い廊下を抜けて、僕は民俗文化研究会の前まで来た。ドアも汚い。イメージは基本的にはネズミ色だ。こんな汚いドアの向こうに、可憐な彼女がいるかと思うと何だか不思議になってくる。僕はノックをするとドアを開けた。

 「あら、佐野君。こんにちは」

 僕の顔を見るなり、彼女はそう言った。殺風景な部屋の中で、ただ彼女だけがとても綺麗だ。

 「別に私はいいのだけど、一般的にはノックをしたからには、返事を待って入って来た方が良いと思うわよ」

 続けて彼女はそう注意をしてくる。僕はそれに「うん。気を付けるよ」とそう返した。自分で言うのもあれだけど、特に反省した口調ではなかった。ただし彼女に気にしている様子はない。

 「で、今日は何の用?」

 彼女はいつも通りのスーツ姿にいつも通りのメガネをかけていた。やや厚めのレンズ越しでもその瞳の強さは失われていない。心なしか、今日はいつもよりも雰囲気が柔らかいような気がする(実は、ちょっと彼女は性格がきついのだ)。僕は彼女の質問にこう答えた。

 「うん。実は“子育て幽霊”の話を聞きたくってさ」

 「“子育て幽霊”って、この近くのやつ?」

 「うん、そう。それ」

 「へぇ、最近は何だか、その話が多いわね。何処かで流行っているのかしら?」

 「何の話?」

 「あ、別に、こっちの話だから、気にしないで。それで、“子育て幽霊”のどんな事が知りたいの?」

 僕はそう訊かれて困ってしまった。そう言えば、何を聞いてどう記事にするのかまったく考えていなかった。ただ鈴谷さんに早く会いたいという一心だけでここまでやって来たから。

 「あ、いや、実は今度、“子育て幽霊”を新聞の記事にする事になってさ。それで何でも良いから、ネタになる話が聞きたい」

 それで僕はそう言った。彼女はそれを聞くと「何それ?」と言って少し笑い、それからこう続けた。

 「うーん。でも、そういう話なら少しはあるわよ。ちょっとセンセーショナルなのが。ま、でも、まずは基本からよね。“子育て幽霊”がどんな話なのかは知ってる?」

 「大よそは」

 僕がそう答えると、彼女は「つまりは、あまり知らないって事ね」とそう言った。流石に、見抜かれている。それから彼女は“子育て幽霊”の話を説明し始めた。

 店仕舞いをした飴屋に毎晩、飴を買いに来る女がいる。飴屋の主人は怪しんだが、いかにも女が悲しそうなので飴を売り続けた。女に何処に住んでいるのかと尋ねても何も答えない。そして、ある晩に金がないので、羽織の代わりに飴を欲しいと頼んでくる。あまりに気の毒だと思ったので、主人は飴を売った。ところが、その羽織はあるお大尽が、娘の墓に入れてやったものだった。お大尽に問われた主人は、事の経緯を説明した。それで、娘の墓を掘り起こしてみると、娘の亡骸が生きている赤ん坊を抱いていた。しかも、娘の手に持たせた三途の川渡し代の六文銭は無くなっていて、赤ん坊は主人が売った飴を食べていた。それで死んだ女が、幽霊になって子供を育てていたのだと分かった。

 以上が、“子育て幽霊”の概要だ。地域によって多少の差があるらしい。

 「これ、元々は中国の話だったらしいわよ。内容はもちろん、それなりに異なっているのだけど。それが日本に来て、広まっていったのね。でも、広まった事にはちゃんと要因があるのだと私は思う。社会的に意味のある何かが。日本人はこういう人情話に弱いってのもあると思うけど、それだけじゃない。きっと、それに近いものを日本人は見ていたのよ」

 鈴谷さんはそれだけの事を一気に早口で喋った。彼女には多少、興奮し易いところがあって、こういう風に饒舌になる事があるんだ。

 「それに近いものって?」

 と、それを聞いて僕は尋ねる。すると鈴谷さんは、少しだけ悪戯っぽく笑ってこう答えた。

 「死後分娩」

 「死後分娩?」

 「そう。妊婦の死後、遺体が腐敗して体内でガスが溜まって、その圧力で胎児の遺体が外へ飛び出すって現象。

 多分、それを見ていたからこそ昔の人は、“子育て幽霊”の話に共感したのじゃないかと思うのよね」

 僕はそれに少しだけ驚いた。

 「うわ、いきなりグロくなったな。心温まる人情話だったのに…」

 それを聞くと鈴谷さんは笑った。

 「だから、センセーショナルな話だって言ったでしょう?」

 どうやら彼女の言うネタになる話とは、この事だったらしい。続けて彼女は言った。

 「因みにこの話、有名な“墓場の鬼太郎”にも影響を与えているみたいよ」

 「ああ、確か鬼太郎は墓場で生まれたのだったっけ。死んだお母さんのお腹の中ら、自力で這い出てきたんだ」

 ここで“ゲゲゲの鬼太郎”とは言わないところが彼女らしい、と僕は思った。それから彼女はこう続ける。

 「まだ、こんな話もあるわよ。この“死後分娩”、西洋だとなんとヴァンパイアの類として解釈されるみたいなのよ」

 「また、ヴァンパイア?」

 「そう、ヴァンパイア」

 実は前の“人食い村の噂話”にも、ヴァンパイアの話が絡んで来たのだ。

 「普通、女性は死後、あまりヴァンパイアにはならないとされるのだけど、例外があってね。妊婦の場合は、ヴァンパイア化が警戒される。その要因が、この“死後分娩”じゃないかって説があるのよ」

 「ははぁ、なるほど。死体が劇的に変化しているから、かな?」

 「でしょうね。

 でも、不思議なものだわ。見る人によってこうも解釈が違って来るなんて。同じものを見ているのに」

 それを聞いて僕は“ホイッグ史観”を思い出した。それで思わず、こう漏らしたのだ。

 「なんか“ホイッグ史観”を思い出すなぁ」

 それに彼女は不思議そうな顔をする。

 「ホイッグ史観って?」

 なんと知らないらしい。博学な彼女にしては珍しい。多少の優越感を覚えた僕は、さっき知ったばかりのその知識を説明をした。すると彼女は、「なるほど。火田君から聞いたのね」なんて言って来る。やっぱり、見抜かれている。それから、こう続けた。

 「でも、そういうのなら、民俗学の分野でも言われているわよ。例えば、“慰霊”って言葉があるでしょう? 今は当たり前に使われているのだけど、その昔はそんな言葉はなかったのだって。本来は、侮蔑的な言葉だったとも。その他にも、同じ言葉が違う意味で使われているケースは、山ほどあるみたいだし、その当時の社会背景をよく理解しておかないと、解釈を間違える場合だってたくさんある…」

 例によって鈴谷さんは早口で一気に喋っていたのだけど、そこまで喋ってふと何かに思い当たったらしい。そして、

 「そう言えば私、どうして佐野君達が“子育て幽霊”の話を、新聞で取り上げるつもりなのか聞いてなかったわ。教えてもらえる?」

 と、そう尋ねて来た。そこで僕はさっきの話を鈴谷さんに語った。“悪意ある捏造の心霊写真”を摘発する為だと。それに彼女は納得をしたようだったが、同時にこんな事を言って来る。

 「なるほどね。そんな事になっていたなんて全く知らなかったわ。でも、ちょっと待って。何か気になるの。実は私も、別経由で“子育て幽霊”の話を聞いていて…」

 「ああ、さっきの“どこかで流行っているのかしら?”って言ったやつ」

 「そう」

 それから彼女はその話をした。

 彼女の知り合いの知り合い… くらいの人間から、ちょっとした相談事があったらしい。鈴谷さんは、校内でも民俗学関係に詳しいと多少は有名だから、そんな話が飛び込んでくる事が偶にあるのだそうだ。

 その人はあるアパートに住んでいるのだが、そこの大家もやっている管理人さんの様子が最近、おかしい。何故か、“子育て幽霊”の石碑に、毎週のように花をお供えするのだとか。どうしてなのか理由が分からず、とてもいい人なので心配しているらしかった。

 「あ、ちょっと説明しておくと、ここの近くに“子育て幽霊”の伝説に因んだ石碑があるのね。話の内容に因んでか、どうも飴をお供えする人が時々いるらしいわ。最近は、少し増えていると聞いていたのだけど、きっとそのネットの記事が原因ね」

 僕はその鈴谷さんの説明を聞き終えると言った。

 「その話のアパートって、当に心霊写真に写っているアパートじゃないの? なら、話は簡単だよ。その管理人さんもその噂を知って、気に病んでいるって事だ。それで、花をお供えしているのだと思う」

 しかし、それを聞いても何故か鈴谷さんは腑に落ちない様子だった。

 「うーん… でも、なんか、私は納得がいかないのよね。ね、それを記事にする前に、その管理人さんを取材してみない? もちろん、火田君も一緒で」

 そして、彼女はそう言って来たのだった。どうして、そんな提案をしたのか僕には全く分からなかったけど、僕は大体において彼女からの提案はそのほとんどを受け入れる方針でいるので、それを断らなかった。

 

 「――ま、別に良いけどよ」

 次の日、僕らは早速、取材に向かった。行動力があるのが鈴谷さんの優れた特性なのだ。しかし、火田は多少不満そうだった。

 「勝手に決めるなよ。俺を通せ、俺を」

 不機嫌そうな顔でそんな事を言って来る。ただ、こいつは一見、不機嫌そうに見えて実はまったくそんな事はないというのが多いから、恐らくはそんなには怒っていない。

 「ご免ね、火田君」

 鈴谷さんがそう謝った。それに火田は、「別に鈴谷が謝るような事じゃないよ。問題はこいつだ、こいつ」なんて返して、僕の頭を軽く殴って来る。やはり、そんなには怒っていないようだ。

 「で、取材時は、心霊写真が捏造だって事は言っちゃ駄目なんだな? 何でかは分からないけどよ」

 そう言う火田に対し、「ええ、お願い。でも、もちろん、管理人さんが苦しんでいるようだったら話してね」と、そう鈴谷さんは返す。

 どうしてなのか、彼女はそんな事を頼んで来たのだ。何か考えがあるらしい。

 そのアパートに着いて(僕はちょっとだけそのアパートを見て感動した。いや、何でか知らないけど、写真の実物を見た時って妙に嬉しくないですか?)、管理人さんの部屋を訪ねると、管理人さんは僕らを丁寧に迎えてくれた。中年くらいの女性の人だ。

 挨拶を終えると、鈴谷さんはこんな事を言った。

 「突然にすいません。電話で話した通り、管理人さんが“子育て幽霊”の石碑にお花を供えていると知って、その理由を聞きたいと思いまして。私は民俗文化研究会に所属している鈴谷といいます。こちらの二人は、今度“子育て幽霊”で記事を書こうと予定している新聞サークル員です」

 それに続けて、僕と火田はそれぞれ名乗った。管理人さんは、それに深々と頭を下げて「よろしくお願いします」と、そう返す。僕らも同じ言葉でそれに返した。何だか丁寧過ぎて悪い気がしてしまうくらいだ。

 「民俗に興味があるので、管理人さんの行動にも興味を惹かれたのです。あの石碑に飴を供える人は時々いますが、お花は珍しい」

 そう鈴谷さんが言う。どうやら、彼女は質問の文句を考えて来たようだ。当たり前だけど。管理人さんはこう答えた。

 「その理由は簡単ですよ。私は別に、“子育て幽霊”にお供えをしているつもりはないからです」

 それに鈴谷さんは首を傾げた。

 「どういう事でしょう?」

 「何処かにお供えはしたかったのですが、どこにすれば良いのか分からなかったので、あそこにお花を供えていただけです。変かもしれないとも思ったのですが、こういうのは気持ちの問題だと思いましたので…」

 それを聞いて、火田が口を開いた。

 「一体、あなたは誰に花を供えていたのですか?」

 もちろん、このアパートに出るという幽霊にと考えているのだろう。すると案の定、管理人さんはこう答えたのだ。

 「このアパートに、その昔、幽霊が出るという噂がありまして。その幽霊に」

 今度は僕が言う。

 「その幽霊を気に病んでいるのですか?」

 もちろん、続けてあの心霊写真は捏造だとそう言おうと僕は思っていたのだ。ところが、それに管理人さんはこう返すのだった。

 「気に病んでいる? いえ、それどころかむしろ嬉しいくらいです。そもそも、そんな幽霊何ているはずがありませんし」

 穏やかに微笑んでいる。僕はその反応を不思議に思った。それでこう尋ねる。

 「あの… 幽霊の噂話に、迷惑をしているのじゃないのですか?」

 「まさか。何しろ、あなたの言う幽霊の噂話を広めたのは、子共の頃のこの私ですからね」

 それに僕らは、そろって驚いた顔になる。顔を見合わせた後で、鈴谷さんが尋ねた。

 「なぜ、そんな事を?」

 それに管理人さんは淡々と返した。

 「いえ、正確に言うのなら、別に私は幽霊の話を広めたつもりはなかったのです。ただ、“着物を着た女の人を見た”と、そう言って回っただけ……

 私には母親がいません。血の繋がりのない父はいますがね。血の繋がりのある父は私が生まれる前に死んでしまったらしいのですが、母については死んだのか何処かへ私を捨てて逃げたのかも分からない。

 それで、子供の頃の私は、母親に会いたいと強く想っていたのです。母親がいればいい。もし、いたらこんな感じだろう。古い人だから、着物を着ているのだと勝手に想像して、そういう事にしました。今思うと、馬鹿みたいな妄想ですが、それでその話を近所の人にして回ったんです。そうしたら、いつの間にかうちのアパートには幽霊が出る事になっていて、びっくりしました…」

 説明し終えた後で、管理人さんは穏やかに微笑む。続けた。

 「それでつい最近になって、こんな噂を聞いたんです。

 “このアパートに着物を着た女の幽霊が出る”

 私は当然、昔に私が勝手に想像した母親を思い浮かべました。有り得ないとは分かっていましたが、想像の中の母親が現実になったような気がして… もちろん、馬鹿げているとは思いましたが、それでも、何かをしたくなって“子育て幽霊”の石碑に、お花を供える事にしたんです。ちょうど、あれも母親の幽霊でしょう? 何処に供えれば良いのか分からなかったものですから…」

 聞き終えると、鈴谷さんは静かに言った。

 「なるほど、分かりました。すいませんでした。プライベートな話を語らせてしまって…」

 それに、管理人さんは丁寧に返す。

 「いえ、こちらこそ、私の変な行動の所為で、無駄足を踏ませてしまって、すいませんでした」

 それから僕らはお礼を言うと、そのままそのアパートを出た。出た時に、藪の中に何かの気配があった気がしたが、きっと気の所為だろうと思う。

 

 「どうも、記事を書く必要はなさそうね」

 と、帰り道に鈴谷さんは言った。

 「ああ、確かにな」と、火田が応える。

 「あんな悪戯をした奴を放っておくことになるのが癪に障ることは障るが、当の管理人がダメージを受けるどころか、喜んでいるのだったら話は別だ。むしろ、犯人が不憫にも思えてくる」

 続けて僕が言う。

 「しかし、どうして鈴谷さんは変に思ったの?」

 鈴谷さんはこう答えた。

 「簡単よ。さっきも言ったでしょう? “子育て幽霊”なら飴のはずなのに、あの人はお花を供えていた。それで、もしかしたら、あの人の中の特別な理由があるのかもしれないって、そう思ったの。

 ほら、ホイッグ史観の話をしていたでしょう。それで、何となく思い付いた。同じものを観ても、観る人によって全然別のものに解釈されるのなら、管理人さんにとってあの心霊写真はどうなのだろう?ってね。

 世間の人達にとっては、あの写真の幽霊は“子育て幽霊”。私達にとっては単なるインチキ。そして管理人さんにとっては、存在しないはずの自分のお母さん」

 「なるほどね」と、僕は応えた。その後で火田が言う。

 「後の問題は、アパートの経営だな。幽霊の悪評でどれだけダメージを受けるか」

 それに鈴谷さんはこう応えた。

 「きっと、それは大丈夫だと思うわよ」

 「どうして?」

 「悪い噂の宣伝能力ってけっこう高いのよ。ま、それに悪い噂とも言い切れないし。“子育て幽霊”の話って、いい話じゃない」

 「ま、そうかもしれないが」

 火田はそう返すと、少しだけ何かを言いたげだったが、黙ってしまった。

 

 その鈴谷さんの予想通り、幽霊の話はアパートの経営には何の影響も与えていなかったらしい。立地条件が良いからうちの大学生がよく利用するし、管理人さんがあれだけいい人なら、それも当然かもしれないが。

 僕はもちろん、“流石、鈴谷さん”と、そう思った訳だけど、それを言うと火田は少しだけ悔しそうにしていた。そして、

 「“あばたもえくぼ”の類だな、そりゃ」

 なんて言って来る。

 もちろん、僕はそれでも構わない。誰が観るかによって、その対象の解釈は変わって来るのだ。それで当たり前だし、その全てが悪いという訳でもないだろう。ホイッグ史観。科学と魔術に自分の恋人。

 「お前は、別にあいつの恋人じゃないだろう」

 そう言ったら、火田からそんなツッコミを入れられてしまった。

 ま、確かにそうだけど、ね。

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