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鬼畜ハードモードにおける異世界トリップ生存戦略奮闘記  作者: 一色文目
第一章:万年無頼
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『ミシャ』

「***ー、*****!」

 幼い女の子の声で目が覚めた。

「……ん?」

 びくりとして目を開くが、今の自分の状況がイマイチよくわからない。あれ、おれは昨日、寝藁に潜り込んで寝なかったか? それが、んん? 藁ってこんなにふわふわしてたっけ。これはどちらかというと……

「********」

 ぷんすかと怒ったような女の子の声が近づいてくる。

 や、やばい。

 だよな、だよな。おれはたぶん、鳥に温め? られてる???

 ぎゅうぎゅうと押し潰すかのように包み込んでくれてるのだろう。それが鳥の善意なのか戯れなのかは鳥のみぞ知る。しかしまずいのは、恐らくこの家の子が鳥に餌かなんかやりに来ているのだ。ここでこの鳥に動かれたら、おれが忍び込んでいるのがバレてしまう。

 えええ、いやだ行かないでぇ、というメンヘラ女子のような心持ちで鳥に縋る。その想いが通じたのか、鳥は鬱陶しげに「クエッ」と鳴いて、おれから離れていった。だよなメンヘラ女子は嫌だよな!

「**!!」

 女の子の引き攣ったような声とともに桶が落ちる音がした。あーあ……

 恐る恐る振り返る。赤毛のおさげ姿をした七歳くらいの少女が驚いた表情をしていた。

 うわぁ、どうしよう。おれは頰を伝う冷や汗を拭うこともできず硬直していた。少女は動かない。驚いた顔のまま、おれを注視している。

「……」

「……」

「……ハァイ」

 ……馬鹿かおれは。互いに見つめ合うだけの長い沈黙の末、耐えきれず飛び出た言葉が"Hi"だった。フレンドリーに顔の横まで持ち上げた手が虚しい。違うだろ、もっと他にあったろ。

 少女は喋ったおれに再度肩を震わせると、今度こそ走って子屋を出ていった。あーあ、やらかしたなこりゃあ。

 さて、どうするべきか。

 間もなく少女の親御さんがやって来ることだろう。その前に逃げるべきか。うーん……逃げたところで村の中なんだから、他の村人にも囲まれてとっ捕まりそうな気がする。であればここで勝手に忍び込んでごめんなさい二回目をして、どうにか許してもらえないか試した方が良い気もする。というか、もう動くの疲れた、というのが正直なところである。許してもらえなかったとして、馬小屋、鶏小屋……鳥子屋か? に忍び込んで一夜過ごしただけで殺されはしないだろう、たぶん。

 という具合に開き直って正座で待っていると、思っていた通りパタパタと誰かがやって来る音がした。……にしては、その足音は軽く、ひとつしか聞こえない。

 おや? と思ったのは束の間に、姿を現したのは先ほどの赤毛おさげの少女だった。少女の手には木製のコップらしきものとパンの入った器がある。

「*******、**……」

 ずいっと目の前に差し出されるコップとパン。コップの中は水らしい。ゴクリと喉が鳴った。

「く、くれるのか……?」

 指をさしておずおずと聞くと、言葉なんてわからないだろうに、コクコクと少女は頷いている。目頭が熱くなった。

「……ありがとう」

 そう言って少女からコップとパンを受け取る。

 喉がカラカラに渇いていた。グイッと水を飲み干す。きちんとした飲み物は何日ぶりだろうか。生き返るような心地だ。

 パンの方は丸パンだった。手で少し触ってみると固く、なんとなく村を見ても感じたが、生活水準はそこまで高くないのだろうと思われる。それでもおれにとっては有難い食料だった。少女に感謝して、皿を地面に置いて手を合わせる。ちなみにその少女は、おれの様子をまだ離れたところで立って見ている。

 しっかりいただきますをしたところで、さあ食おうとパンを手にすると、不意に誰かの怒鳴り声が聞こえた。女性のものだ。

「*****! ティア!!」

 てぃあ。

 目の前の少女があからさまに狼狽えた。なるほど、ティアとは少女の名前らしい。怒鳴っているのは大方彼女の母親だろうか。ドタドタという音が近づいて来る。……ば、バレるなこれ。

 見つかって取り上げられてしまう前に食べてしまおう。パンを口の中に放り込む。……固い。固いが、美味しい。

 もぐもぐと咀嚼していると、大柄の女性が小屋の中へと入ってきた。少女と同じく赤毛だ。これは母親で間違いないだろう。

 その母親と思しき女性はツカツカと小屋の中へ入り、少女へ詰め寄ると、両手を腰に当てて何やら説教をしている。少女がパンを持ち出したから怒られているのかもしれない。

 ややあって、おれの視線に気がついたのか、女性がこちらに目を向けて、丸くする。次いで再び怒りの表情を貼り付けたため、やっぱりこれは追い出されるパターンだろうなぁ……と、ぼんやり思っていると、何故だか女性は、怒りの表情から眉を八の字にして、困ったかのような顔をした。かくいうおれは丸パンをまるごと口に放り込んでいたので、まだリスのように頰を膨らませている間抜けな状態だ。早く噛んで飲み込まなきゃと思うものの、いかんせんパンが固いのである。水を一気飲みしなきゃ良かった。

 女性はゆっくりとこちらに近づくと、頰を膨らませているおれの目の下をゆっくりと触った。母親の手だと思った。

 彼女の行動の意図がわからないでいたが、その指先が濡れている。そこでおれは、ようやく自分が泣いていることに気がついたのだった。

「*****」

 優しく言われて、おれも眉を八の字にする。こんなにも言葉がわからないということが、もどかしい。

 なんとかパンを飲み込んで、口を開く。

「えと、おれ、言葉がわからないんです」

 伝わるわけがないが、言うしかなかった。

 おれの言葉に、女性は難しい顔つきになる。一度その人の優しさに触れたせいか、それだけで酷く不安になるのは人間の心理なのだろうか。

 空になったコップと皿をグイッと前に寄せて、おれは頭を下げた。

「ごちそうさまでした」

 母親も少女も無言だ。顔を上げるタイミングがわからない。

 そうやっていると、頭をポンポンと撫でられた。反射的に頭を上げる。女性は先ほどと同じく困り顔で、しかし微笑んでおれの二の腕を掴んで立ち上がらせた。おおう……大の大人を立ち上がらせるとは、大柄なだけあって力があるな……

「*******」

 言葉はわからない。だがおれには不思議と彼女が「ついてきなさい」と、言っているように感じた。



 少女の母親の後を追って、彼女たちの家の中へとお邪魔する。少女も、その母親も土足で入っていった。おれは裸足ではあるが、足の裏は泥だらけだったので少し安堵する。

 居間らしき部屋の入り口で、どうしたらいいのか立ち往生していると、少女の母親は濡れた布を持って、椅子を指さした。座れということらしい。

 大人しく座ると今度は布を手渡されて、体を拭くようなジェスチャーをされる。なるほど、これで少し身綺麗にしなさいと。

 もう一度頭を下げて、その布で顔を拭き、腕、足と拭いていく。

 ここまで親切にしてくれると言うのに、風呂には案内されないとなると、そういった設備はないのかもしれない。見たところ中世ヨーロッパといった生活水準だろうか。いや、中世ヨーロッパの生活とか詳しくは知らないが。

 少女はテーブルを挟んで向かいの椅子に座って、足をぶらぶらとさせながら、そんなおれのことを眺めている。じぃーっと見つめる視線に耐えかねて目を合わせると、少女は嬉しそうに笑って、自身を指さし「ティア!」と言った。

「……てーあ?」

「! ティア!」

「ティア」

 おれが小さな声で反復すると、えへへと笑って「あなたは?」と、言わんばかりにおれを指さす。それに答えようとして、頭が真っ白になった。

 おれの、名前?

 名前、名前。名前が、わからない。思い出せない。頭を押さえて、俯き、目を固く瞑る。ドッドッと、心臓が大きく音を立てる。なんでだ? なんで名前がわからない。

 おれは二十二歳の新卒社畜営業マンで、誕生日は十一月三十日で、血液型はO。家族は兄がひとりと母と父。大学からひとり暮らしをしていて、彼女はいなくて……いや、それはいい。家族の下の名前も、働いていた会社名も、住んでいた街の名前も、全て思い出せる。なのに、何故か自分の名前だけが思い出せない。何故、なぜ、なぜ!

 歯を食いしばって、目を開けると心配そうにこちらを覗き込んでいる少女の顔があった。その姿に力なく頭を左右に振る。わからないーーと。

 少女はその歳に似つかわしくない難しい顔をして、何やら考え込む素ぶりを見せると、ポンと手を打っておれを指さした。

「ミシャ!!」

「み、みしゃ?」

「ミシャ!!」

「え、ミシャ?」

 ミシャーーおれに名前をつけてくれたのだろうか。……名乗る名前がないと不便なことには代わりなく、本名を思い出せないのだから、それが何であったってとりあえずの名前は必要であるものの、この子なんだか犬猫感覚で名前をつけてないか?

 それでも嬉しそうに少女が「ミシャ! ミシャ!」と笑うので、まあそれでいいかと釣られて頰が緩む。

 どこかへと行っていた母親が戻ってくると、少女は母親のスカートの裾を掴み、おれを指さしてミシャミシャ言っている。

 少女の母親がおれの足元にしゃがみ「ミシャ?」と問いかけてくるので、頷くことにした。

「ミシャ、*******」

 彼女は何事か言って、持ってきた木製のトレーを床へ置く。そこには水差しらしきものと葉っぱがいくつか、それから包帯と思しき布が載っている。どうやら手当てをしてくれるらしい。しかしまさかの葉っぱ……薬草的なアレだろうか。

 彼女は甲斐甲斐しく傷だらけの足に薬草を貼り、包帯を巻いていく。それを眺めていたら、なんだかまた泣けてきた。この世界に来てどうにも涙腺が弱くなった気がしてならない。日本ではどんなに上司に罵倒されようとも、取引先に怒られようとも泣いたことなど一度もなかったというのに。

 ぐすぐすと泣くおれに、少女の母親は今度は笑って「泣き虫だね、ミシャは」と言った。言葉はわからなかったが、なんとなくそれで間違いないような気がした。

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