『カップラーメン片手に』
やばい。
何がやばいって、もう色々やばすぎて語彙力がなくなるくらいにはやばい。
おれは熱々の湯気を顔に受け止めながら、カップラーメン片手に硬直していた。
今日は土曜日である。休日である。
平日五日勤務の週休二日。残業により毎日遅くなる帰宅時間、かといってゲームをしたり漫画を読んだりする自由な時間を削りたくはない。となると削られるは当然のように睡眠時間で。平日に馬車馬の如く汗水を流して働いては、その蓄積した疲れと睡眠不足を、ここぞとばかりに土曜日に解消するのが入社一年目、新人社畜の日常である。
今日も夕方の五時くらいにようやくふらふらと布団から抜け出して、ぐぅっと腹の音が鳴ったので電気ケトルでお湯を沸かし、備蓄していたカップラーメンにそれを注いだ。ぼけーっと三分待って、さて食べるかと蓋を開けたらこれである。
これ、とは。
蓋をゴミ箱に捨てようとしたのだ。だが、顔を上げたらなぜか外だった。しかも夜である。そして森。確かに起きたのはそろそろ日も沈む午後五時であったが、今はまだ夏が終わったばかりの、ようやく訪れた冷涼な秋。日没には早かったし、何よりこんなどっぷり夜闇が広がってるのは絶対におかしい。お湯を入れて三分待ってたつもりがうっかり三時間に間違えてしまったのだろうか。……いやいやいや、さすがにない。
というかここはどこなんだ。アパートの自分の部屋にいたはずが、いきなり屋外。真っ暗で辺りの様子は伺えないが、それでもはっきりと理解できるほどに、ここは森とか山とか言われる自然の真っ只中であるらしかった。ギャアギャアとよくわからない鳴き声に冷や汗が頰を伝りーーなお悪いことに足裏にはひんやりと冷たい感覚。裸足だった。だよな、おれ家にいたもんな。
え? まじどういうこと?
これは夢なのだろうか。寝不足すぎてカップラーメン待つ間にまた寝ちゃって夢見てるとか?
ーーあり得ると、一瞬思ったものの、手に持つカップラーメンの容器からは直に熱気を感じるし、何より食欲をそそるラーメンの匂いに腹がまたぐうっとなる。
こんな夢あるか……?
呆然としながら、カップラーメンの中にそろりと小指を少しだけ入れてみる。
「あっつ!!」
普通に熱かった。夢じゃねぇわ、たぶん。
火傷しかけた小指にふーふーと息を吹きかけながら、次に疑ったのはおれの正気だった。
仕事しすぎて頭おかしくなっちゃったか、おれ……
現実から逃げたいがばかりに、おかしな幻想でも見ているんだろうか。もしくは知らぬ間にやばいドラッグでも飲んでしまったとか。
いや、いやいやいやいや。
考えれば考えるほどにわからない。もう一体全体どうなっているんだ。本当にやばい。しかも何がいちばんやばいかって、ラーメン片手に、箸はねぇってところなんだよな。
*
腹が減っては戦はできぬ。
先人の教えに基づき、一先ず手に持ってるカップラーメンを食べようと思った。慌ててもすぐに家に帰れるわけにもなさそうだし、森なのか山なのか知らないが、こんなカップラーメンの良い匂いをそのままにしてたらイノシシか何かの類を寄せ付けてしまうかもしれない。
適当な木の根元に腰を下ろし、しかし箸はないので仕方なく頰と口の力を使って、ズルズルと麺とスープを吸引していく。……うん、細い麺で良かった。なんとか食べられる。
脳が考えるのを拒否していたため、カップラーメンを食べている間は何も考えず、ただひたすらに飯を食うことだけに集中した。スープを最後まで残りなく飲み干すと、少しだけ腹が膨れ、体が温まった。
ここが家だったらそのままゴロリと横になり、自堕落な休日を貪っていたのだが、さすがにこのよくわからない森? 山? の中ではそうもいかない。仕方なしによいしょと立ち上がり、カップラーメンの容器は半ズボンのポケットに無理やりねじ込んだ。
空を見上げる。木々の枝葉が厚く覆いかぶさっていて、僅かにしか見えない。月を見ることはできなかったが、キラキラと星が輝いて見える。東京でこんな星空は見えただろうか。おれの中で田舎説が浮上してくる。もうこの際どうやって移動したのかは二の次だ。先にここがどこであるのかを突き止めなければ。
間伐、されてないのか……? 日本の林業事情なんてよくわからん。
だが、あまりにもこの森は深いように感じた。もしかして、樹海。首吊り死体とかに出会したらどうしたらいいんだ。
次にしゃがみ地面を触る。裸足であるから感じてはいたが、やはり湿っている。というよりは若干泥っぽい。雨が降って二日くらいだろうか。いや、あまり日光の入りは良くないだろうから、もう少し経っているかもしれない。とは言えだ。ここ一週間の間で雨が降ったのは、沖縄・九州辺りだったと記憶している。
「……」
記憶違いであったらいいなと思い、立ち上がる。ばっぱっと手指の泥を払っていると、不意に背後の茂みからガサガサという音がした。
顔を引きつらせて、振り返る。
落ち着け、落ち着け、イノシシ……クマ……遭遇したときの、対処方は……
ガサリと、何かが茂みから飛び出した。
「は……」
それは緑の生物であった。見た目はそのままグミを大きくしたようなものである。それが恐らく自我を持ち、ポインポインと目の前で跳ねている。
なんだ、これは。
一瞬で脳裏に、勇者が魔王を倒しに行くという例のゲームが過ぎる。青ではないけど、なんというか、これは……スライム。すごくスライム。
おれが呆気にとられていると、その緑色のスライムはバネの要領でおれの顔面目掛けて飛んでくる。ーー思いのほか速い。おれは躱すこともできず、咄嗟に顔の前に構えた両腕にべちゃりとスライムがぶつかってくる。地味に痛い。ポインポインして柔らかそうなのに、普通に痛い。体感的にはソフトボールを全力投球されたくらいである。
しかし……思わず、ふぅっと息を吐く。
全く未知の生命体。それこそツチノコの方がコイツを見つけるより簡単であろう、そんな謎のスライムであるが、イノシシやクマに比べたらまだマシ。この身ひとつで森の中という、最低な状況ではあるが致命傷になるような怪我は目の前のスライムからはもらうことはないだろう。
とは言え、油断は禁物である。未知であるが故に、なんだ、なんか病原菌? とか、毒? とかの可能性は否定できなく怖いというのは確かであるし。というかこれどうしたらいいの? とりあえず、もう一度だ! と言わんばかりに顔面へ体当たりをかましてくるスライムを、今度はキャッチしてみる。サイズはちょうどバレーボールくらいだ。しかし、両手でしっかりと受け止めたはずが、スライムは受け止められるや否や、その形状をぐにゃりと歪め、おれの両手の指から逃れ距離をとる。その感触に思わず鳥肌が立った。なんだこれ、気持ち悪……
ならばと思い、辺りの地面に目をやってーーあった。三十センチほどのそこそこ太めの木の棒を手に取る。スライムが諦めずに再度体当たりをしてきたので、今度はそれを手に持った木の棒で、野球のようにばちんと跳ね返す。スライムは木の棒に打たれると、その勢いのまま木にぶつかり、地面へと落下した。ドギマギしながらそのスライムがまた動き出さないかじっと見つめていたが、しばらく経って、一切動かない様子に死んだと判断する。いやぁ……なんなんだよ、これ……
恐る恐る近づいてみて、その屍骸? を木の棒でつついてみるが、ぷにぷにするだけでよくわからない。全く食べられそうな感じはしないので、そこに放っておくことにした。
こんなモンスターみたいな……というかモンスター……。……
最近読んだ漫画を思い出す。元はネット小説だったはずだ。というかその手の物語は結構多い。いやいやいや。何度目かもわからない頭を振って、しかし否定しきれない自分がいる。
だって、え? 異世界トリップ的な? なにそれファンタジー。……思わず目を覆った。