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王国の秘密  作者: ヒエログリフ
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神殿を造りし者


     偉大なるテーベの都より、大いなるナイルを十日ほど遡行すると、ヌビアとの境界の地域に至る。  ナイルの西岸に、日干し煉瓦、木材により建造された八十戸程の集落があり、周囲には畑が開墾され作物が栽培される様子が散見される。

     周辺では、数十名の幼子達が遊び戯れ、のどかなここでの日常の暮らしが見て取れる

     


     少し離れた位置に、左にイプシェク、右にメハ、砂岩よりなる一対の巨岩が聳える。  イプシェクでは数百の石工達が青銅ののみを打ち、堅い岩を僅かずつ僅かずつ掘削を進める様子が見て取れる。  少し離れた位置で、百名程の鍛冶職人が、直ぐに摩耗してしまう鑿を、人海戦術で鍛えなおしていくのであった。

     灼熱の乾燥しきった地で、辛い辛い、無限としか言いようのない作業がひたすら忍耐強く進められていく。

     彼らはとても誇り高く、生きたホルス神でありセト神の分身であるファラオの為のこの辛苦に耐えぬき、限りなく偉大なファラオに尽くすことに至上の喜びを覚えるエジプトの民なのである。  彼らはこの数十年は掛かるであろう、困難な大事業に生涯を捧げることになるのである。  既にこの地にて世を去り墓地に埋葬されし者、遺体を処理され船で故郷に帰還した者も出てきている。

     

      太陽が巨岩に隠れ夕暮れが迫るころ、男達はとぼとぼとした足取りで妻や子供たちが待つ集落に戻っていく。  夕餉の煙が昇る各戸では、パン、モロヘイヤのスープ、ビールなどが用意され、ささやかな晩餐が疲れた者たちに供される。


      ここでの暮らしは決して安楽なものではないが、神々を信仰し聖なるファラオを崇める者たちにとり、神殿の造営は限りない喜びをもたらすものでもあるのだ。





      パエンメへルの第七日、ナイルの桟橋にテーベの都よりの船が到着する。  船にはヌビア総督ぺフチャウアバストが乗船していて、重大な知らせがもたらされた。 この日の作業は全て中止となり、聖なる方をお迎えする準備に全ての、力が注がれる。

      やがて王家の廷臣、警備の兵士が乗船した、三隻が到着し、桟橋の近くには、全ての者が整列し、聖なる方の到着時の拝礼等が指示される。

      夕刻近く、五隻の警護の船に囲まれた、ひときわ大きく豪華な御座船が姿を現し、順次上陸していく。  廷臣、神官、兵士は聖なる方を迎える準備を整える。  やがて美しく着飾った三十名程の女官に囲まれた、御二人の聖なる方が下船し、用意された輿にお乗りになられた。

      地に伏した数百の者たちは、生きたホルス神にしてセト神、またハトホル女神である、ファラオ・王妃様のお姿に、そのあまりに神々しき美しきお姿に、感激のあまり言葉を呑むのであった。 夕日に金色に照らされるお二人の姿は正に神そのものとしか表現しようがない荘厳さであった。  輿は神殿の建造が始った巨岩の方に移動し、人々はそれに従う。  ファラオは右手の王杖を僅かに上げられ、人々の拝礼に静かに答礼された。 これは珍しい事である。 なにしろファラオは生きた神なのである。 答礼などしない、異例な振る舞いである。   

      巨石の前で、神官達によりアメン神、ラー神、プハタ神、ホルス神、ハトホル女神、この神殿に祭られる神々に拝礼が行われる。 そしてなにより、生きた神である、ウセルマアトラー・メリラー・ラムセス・メリアメン、この方こそ神殿に祭られる最高の神なのである。 この夕刻のファラオ、王妃様の輝かしいお姿は、人々の心に長く焼き付けられたのであった。





       その聖なるファラオの内部には、まったく異質な者、異形なる者が存在していた。 哀れなる奴隷のセテムである。 

       一年半ぶりに、テーベの王宮、後宮から離れ解放された気分があり、船旅は楽しかった。 一年半前のテーベに連行される様な気持ちであった船旅とは大きな乖離があった。 愛するネフェルタリといっしょで、彼女と自由に夜を過ごせるのは楽しかった。 「月のものが無く、懐妊したかもしれない」と言われた時も、最初の時の様に狼狽はせずに、正直嬉しかった。 しかし自分がファラオであるという事実を完全に受け入れることは出来ないでいた。 ファラオなどと言う飛んでもない立場に捕らわれた、哀れな奴隷と言う感覚からはどうしても抜け出せなかった。  奴隷にはどうしてもファラオは重荷であった。  もし出来るならファラオなど投げ出し、石工や鍛冶屋になりたいと思う気持ちであった。 彼らの暮らしが厳しいことは十分に知りながらである。





        もう一人の王妃に即位した、イシス・ネフェルトもこの旅に同行する予定であったが、懐妊が明らかになり、テーベの後宮に残る事になった。 セテムはラムセスの同腹の妹も懐妊させたのである。 今やテーベの後宮は、赤子と懐妊した側室に満ち溢れている。  ラムセスの側室は三十名を超えようしている。  セテムはその全員と関係し、その全員を満足させていると、後宮では噂される。 

         後宮にはファラオの子が七人、さらに懐妊中の王妃・側室が十名。  カデシュ以前とのあまりの変化に奇妙に思うかもしれないが、本来性の強者であることが強く求められるファラオに関しては、高い評価が与えられるだけであった。 そのこともあり、セテムの行動はますますエスカレートし、全エジプト、レパント地域の若く美しい高貴な娘達は、テーベの後宮ヘ送られ、側室にさせられる者が続出していた。





         「正面には偉大なファラオの巨大で誠に威厳に満ちた御姿を四体の像で表現いたします」ぺフチャウアバストは恭しい態度で、ファラオに説明する。 「そうであるか、余の像が正面にくるのか?  神々の像が中央に来るのではないのか?」 「いえ、神であらせられるファラオを神々の上位の位置に配置する計画でございます」 「そうか、余は神であるのか?」 「もとより、ラムセス様はアメン神、ラー神、セト神に匹敵する、最高神にございます」ぺフチャウアバストは恭しく答える。 「まあよい、良きに計らえ」ファラオは鷹揚に返答された。

          セテムとしては、自分の巨大な像など作ってほしい分けではない、しかも四体も並ぶのは、あまりに大仰である。 その為にどれ程の人間がどれ程の苦労をするのか彼は十分理解している。  「そんなもの無駄だ、止めてくれ」と言うのが本心である。 しかし、ファラオと言う立場に立ち、それに取り込まれてしまえば、そのような事は言い出し難いのだ。 神としてファラオの立場に立てば、節約とか人の労苦とか、そんな些細な事を考える必然性はないのだ。 他人のことなどファラオが考えるのは不自然なのだ。 超然とした立場に立ち、そういう振る舞いをせざるおえなかった彼には、神的存在として超越的行動が求められたのだ。  人の心を理解し同情するセテムは、ファラオとしての外見の中に存在はするのだが、彼はファラオとして生きなければならない。 強く、冷酷でなければならない、神でなければならなかった。

          奴隷であった男はファラオと言う立場に取り込まれ、内面的葛藤に苦しみながらも、神としてのファラオに同化する必然性を体現つつあった。 セテムが抵抗しようとしまいと、ファラオの立場とファラオの二重冠は彼のアイデンティティとなりつつあった。 嘗てラムセスであった者と同様に彼は心優しき者である。  しかし絶対的権力者、絶体的権威者としての彼は人の心を持つわけにはいかない。 エジプトの統治には、神格化を超え神そのそのもの支配者が求められたのだ。

          彼が優しいのは、後宮の女達に対してだけである。            彼は数多くの女達に特別な喜びを与える、特殊な能力の持ち主であった。  その多くは、性的なものである。  これはファラオの素質としては、重要な要素である。 意識した結果ではないが、戦での強者、性的強者、冷徹な支配者、あるべきファラオの姿を彼は体現していた。 彼は偉大なファラオ・ラムセス二世になりつつあった。  軍事力で異国を支配し、神としての権威で国内を統治し、性能力で後宮を支配し、内的苦悩に悩まされながらも、奴隷は最高のファラオになろうとしていた。




         イプシェクの神殿造営現場の視察を終えたファラオは数多くの廷臣、警護兵を引き連れ、もう一つの大岩メハのもとに向かう。 ここはまだ神殿の造営は開始されていない。  「ここにも余の像が正面に配置されるのか?」  「まだ、決定はしておりませぬが、カデシュでのファラオの神々しき戦ぶりを称える内容になるかと」ぺフチャウアバストはいつもの様に恭しく返答する。 「そうであるのか」珍しくファラオは感情を僅かに示し、やや不快そうな表情を浮かべられた。

         ファラオは傍らに居られた、ネフェルタリ様の手を取られる。  王妃様は膝をついてファラオの左手に接吻された。 ファラオは王妃様を抱き起こすと、「余はここに王妃ネフェルタリとハトホル女神を祭る神殿を造営いたすこととする」

         「ファラオいけません。わたくしの為の神殿など。 もったいのうござります。 わたくしはただファラオにお仕えするだけの女、わたくしの神殿など不相応でございます」  「良いのだ、余がそうしたいのだ。王妃とビントアナト、それからお前の腹にいる子と、お前とお前の産む子供達の神殿にしたいのだ」

         「ぺフチャウアバスト、そちはどう思う?」  「素晴らしきお考えでは、王妃様は尊きお方、それにこの地方の御出身であらせられます、ハトホル女神と王妃様を御並べする、素晴らしきお考えでございます。 素晴らしき神殿になりましょう」ぺフチャウアバストはネフェルタリの亡父の弟である、当然賛成するはずなのである。


         セテムはファラオにさせられてから、明確な自分の意志を示すようなことはなかった。 これはカデシュ以前のファラオもそうであったから、ある程度それを踏襲せざるを得なかったからだが。  この時、自らの意志を明確に示したのは、真実そうしたかったからだ。 自分の神殿などは欲しくはなかったのだが、ネフェルタリの為の神殿は心底造営したかったのだ。         何故ならば、奴隷は王妃ネフェルタリを心底、愛していたからだ。

         同様にネフェルタリを愛していた、以前のラムセスでも第二の神殿を、ネフェルタリの為に造営したのではないだろうか?







          1813年、エジプトの最南部の地にて、スイス人ブルクハルトにより、砂に埋もれた神殿が発見された。 1818年、イタリア人ベルツォー二により、発掘作業が進められ、壮大な神殿が全貌を露わにする。アブシンベル大神殿、アブシンベル小神殿と呼ばれるようになった。 


           21世紀の現在でも数多くの巡礼者が参拝に訪れ、偉大なファラオに祈りを捧げる。   聖地なのである。

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