後宮の変貌
王妃の懐妊から後宮の雰囲気は大きく変貌していた。 表面的には何の変化も起きてはいない、だが王妃の懐妊という重大事が側室達の意識を大きく変化させていたのだ。 以前は、女官、宦官の努力にもかかわらずだれも懐妊しないという明白な事実に、諦めの気持ちも加わり、王妃や側室達に大きな感情的対立、蟠り《わだかまり》は存在しなかった。 なんとなくだが、誰もファラオの子は産めないだろうと感じていたのだ。 しかし事態は一変した、王妃が懐妊したのだ! 側室達の意識は変化した。 口にこそ出さないが、「懐妊出きるかも? ファラオの子を産んで王族の一員に成りたい。 私も王妃様みたいに懐妊したい。 ファラオの寵愛を受けたい、抱かれたい」と期待と羨望の気持ちが、自然と湧き出してきたのだ。
カデシュからの凱旋以来、ファラオのあり方にも微妙な変化が起きていた。 政務や儀式、祭事での行動、発言、振る舞いに変化が起きたのではない。 あまり表ざたにはし難いのだが、後宮での生活の秘めたるある部分に異変が生じたのである。
凱旋以来、ファラオは毎夜毎夜王妃の寝室で過ごすようになった。 以前もそれは多かったのだがが、いくら何でも40日間連続となどという事はなかった。 即位前から、王妃との仲が良好なのは、誰もが承知の事ではあったにしてもだ。
ここからは飽くまで噂と推測にもとずく話なのだが、ファラオが休む王妃や側室の寝室の近くには、常時7-8名の女官が控え、数名の宦官が寝ずの番をするわけだから、寝室での様子はある程度は伝わる訳だから、あながち出鱈目とまでは言えないだろう。
以前は、王妃や側室と夜を過ごしても、ファラオは語りあったり、詩の朗読や想作、ゲーム事等行うのが主で、体の交わりなどしているようにはあまり感じられなかったという。 男女の肉体的交わりなど、あまり頻繁に行われている様子ではなかったというのだ。 ところが、凱旋以降大分雰囲気が変わり、二人は毎夜毎夜と交わり、激しい行為を繰り広げていたというのだ。 勿論、ファラオや王妃の近くに使える者がその様な不遜な情報を漏らして良い訳はない、それは厳しく禁じられている。 しかし、人の口に戸は立てられぬとも言う。 凱旋以来、ファラオは王妃と激しい情事を繰り広げていると言う噂は、後宮中に広まっていた。
王妃は生来、純心な方で、性の世界などには無縁な、殆ど生娘の様な方だというのが、傍に使える女官達の本音であった。 ところが、この40日間で何かお変わりになったのではないか? 何かあったのではないか?これが女官達の認識であった。
ありていに言えば、性の喜びをお知りになったのではないか?毎夜、ファラオがら何回も何回も激しく責め立てられ、女の喜びを知り、覚え、浸り、本当の快楽を覚えてしまったのではないか? 少女のようであった王妃が、どんどん変化していき、官能的体験を経て、妖艶な女性に変貌しているのではないか? 男女の交わりが許されない女官達であるからこそ、敏感に王妃の微妙な変化を感じ取ったのではないか?
そして、御懐妊。 五年間、おきなかった事が起きたのだ。誰もが驚愕した! ところが、王妃の近くに使える、女官、宦官はそうは思わなかった。 「以前のファラオと王妃様とは大分違うのだ、毎夜毎夜お二人は、一晩に何回も何回も、激しく交わり、愛し合っているのだ、あれではご懐妊もあるはずだ」と言うのが口にこそ出さないが、本音であった。
ご懐妊の発表があり、王妃は本当に幸福そうであった。 しかし、その懐妊によりファラオのお渡りを受けられなくなったという事態は、ある問題を引き起こしていた。 王妃様は、何かとてもお辛そうというのがお傍に使える女官達の意見であった。 高貴な御身分の方に不敬な言い方になってしまうかもしれないが、女の喜びを知ってしまった王妃様が、それを絶たれるのはお辛いかもしれないということだ。
もっとも女官や宦官達は性の喜びを知ることは無いのだから、ある種の羨望と嫉妬なのかもしれないが。
40日もの間、ファラオのお渡りがあまりに王妃に偏る事に危惧を抱いた、女官長、宦官長達の直訴により、側室達のもとへもファラオは渡るようになる。 そこでもファラオの行動には変化が見られた。 以前のファラオは、側室のもとに渡ってもやはり王妃の場合と同様、側室達をあまり性の対象にしている様子ではなかったと言う。
無理やり側室達の寝室に行かされる事になったファラオは当初こそ、あまり楽しそうではなかった。 嫌々行かされる、不快な様子が見てとれた。 ところが、次第に変化していく。 無理やりという感じは消失する。 何か大きく変化していった。
一夜をファラオと過ごした側室の翌朝の雰囲気が何か違うのである。 以前、側室達は一様に若い娘の様な雰囲気であった、16-20位の年齢なのだから、ある意味当然なかもしれない。 ところが、ファラオがお渡りを再開するにつれ、側室達は変化していった。 ありていに言えば、娘から女に変化していく様子が感じられた。
メシェネトという18歳になる側室であるが、ファラオのお渡りお受けた翌朝、洗面と化粧をされている時、使える女官があまりに疲れたその様子に思わず「メシェネト様、どうされました?」と問われると、その愛らしい童顔を微笑ませて、「ファラオが凄いの! 一晩中攻めたててきて、もう凄いの、気持ちよくて、気持ちよくて溜まらない! もう変になりそう」とその可憐な顔ではしたない事を言ってのけてしまったのである。 この発言を外部に漏らした女官は、高位の女官から厳しい叱責を受けた様である。
噂はここまで露骨に漏れて来ることは少ないが、ほかの側室でも五十歩百歩であるらしい。
さらに王妃の懐妊以降、王妃を抱けなくなったファラオのエネルギーはもろに側室達に向けられる様になる。 毎晩、女官と宦官に囲まれ、側室の寝室に向かうファラオの顔は、魅力的な女と夜を過ごす好色な男そのものに変わってきていた。 以前のファラオとは大分違う顔つきである。 まあ成長され、本物の男子に成られたのであろうか? 父上のセティー様も大変好色な方で、王妃のトゥ―ヤ様をとても愛されていたのに、他に十数人の御側室も持たれ、大変寵愛されていた。
ファラオと一夜を過ごし、激しい寵愛を受けた側室は、言われずとも分かるような、特別な雰囲気が目立つようになってきた。 何だか、とても満足し、疲れたような、何かが解き放たれたような、不思議な雰囲気。
側室達は変わっていった。 純情で可愛らしい娘達という雰囲気から、ファラオの寵愛をめぐる争い、欲望と嫉み、情欲の世界。 後宮に付きまとうイメージ、一人の男をめぐる数多くの女たちの争い。 そんな世界の住民に彼女達は変貌していた。
王妃の懐妊から二か月後、側室のメリエトラーが懐妊。 メりエトラーはアメン神官長バクエンコンスの娘で、17歳になる。 後宮に入って三年になる、当初からファラオの寵愛を受けてきたが、喜びの懐妊。 とても理知的な娘だと言われていた。 瞳の美しさが称えられる。
王妃に続く、側室の懐妊で後宮中、喜びの声で満ち溢れる。
そしてその翌月、側室のメシェネトの懐妊。 メシェネトは上エジプト宰相ネフェルレンプトの孫娘である。 後宮に入って二年、ファラオの寵愛を受けてきた側室である。 メシェネトは大変可愛らしい容姿の持ち主である。 懐妊した今でも、まるで娘の様に見える。
そして同月、側室のティティ懐妊。 ティティは、王妃の同族で従妹に当たる。 後宮に入って二年、17歳になる。 王妃と同じ血を引くだけに、よく似ていて、同じように美しい。
立て続けの懐妊に後宮は喜びの声と共に驚きに包まれる。 あれほど待たれていた懐妊が次から次へと実現され、後宮は華やぎ、活気ずき、各所にベス神像が祭られ、王子王女の誕生が待たれていた。
そうした中、一人密かに悩む者がいた、外ならぬファラオである。
『娘達、やたら妊娠するな! 後宮に俺の子が! 俺は恐ろしい! 歴代のファラオ達が恐ろしい、俺を許すはずはない』
若いセテムは、若く美しい女たちに囲まれて、性行為を殆ど強要される環境にたたされて、それを忍耐する程の意志の強さは持たなかった。
毎夜、若い側室達を無我夢中で抱いてしまう。 女たちも、それを懸命に望む。 我慢しろというのも、無理な注文であろうか? 奴隷として抑圧されてきたセテムの欲望は完全に解き放たれてしまった。 これ以上考えられない程、強烈に解き放たれた。 奴隷の抑圧されたエネルギーは、後宮の女性達に注ぎ込まれる。
後宮は、セテムを欲望の罠に捉え、欲望の奴隷として青銅の鎖に繋いだとも言える。
彼が史上空前の好色ファラオとして名を残すのは歴史が示す通りである。
そして翌月、王妃の腹が目立ち始めたころ。
側室のティー、懐妊。 ティーは下エジプト、アヴァリスの豪族パネブエンケブトの娘である。 カデシュの戦の後、後宮に迎えられた三人の側室の一人である。 今年、16歳になった。