それさえあれば、だいたい何とかなる
季節は秋。
ベッドから降り、裸のレミリアに布団をかけた。シャワーを浴びて服を着る。
窓の外は砂漠だった。
俺たちは今、フェンリスヴォルフの東にある砂漠、それもかなり遠い場所へと来ている。もちろん浮遊円盤輸送機を使ってだ。
簡易拠点も改良が進んでいて、少しずつ暮らしやすくはなってきていた。魔導書を開き、予定を再確認する。
レミリアがやってきて、俺の横に座る。
『マスター、朝食の準備ができました』
今日はいよいよ実行の日だ。気がつけば手に力が入る。
朝食を終えると、レミリアは巫女衣装に着替え、両腕に魔法腕輪を装着した。
「リカルド……そろそろ予定時刻」
「うん。始めようか」
拠点を出ると、目の前の砂漠には巨大な魔法陣が広がっていた。半径数キロの大きな円形のものだ。膨大な数の球体型魔法陣を随所に利用し、それらを複雑に組み合わせてなお、これより小さく作ることは不可能だった。
俺は通信ユニットのマイクに向かって話し始める。
「魔王さん。怠惰の魔王さん。聞こえますか」
『何度も呼ばなくても聞こえてるわよ、まどろっこしい。遅いじゃない、予定時刻を3秒もオーバーよ』
「それはすみません。そろそろ儀式を始めようと思うんですが、準備はいいですか」
『とっくに出来てるわよ。魔族はあんたらと違ってきっちりしてるんだから。ふん、人族が偉そうに』
「それじゃ、始めますよ」
『あ、少しだけ待って……そこの二人! 今すぐ性行為をやめなさい! あちらとは初対面なんだから、魔族の沽券にかかわるわよ。なに? 異界渡る瞬間に……って特殊すぎるわよ! あんたたち色欲の血が濃すぎるわ!』
「取り込み中ですか……?」
『大丈夫よ……はぁ、もうやだこんな面倒な種族』
なんだかいろいろ大変そうだけど。
そろそろ始めよう。
レミリアは大魔方陣の横の、直径3メートルほどの起動用小魔法陣の上に乗る。両腕に着けた魔法腕輪で複雑な魔法を発動しながら、巫女服をヒラヒラと翻して踊った。
綺麗で、どこか儚げなレミリアの舞。
それに呼応するように、特殊結界魔法【異界召喚】が発動する。
小魔法陣が起動するのに合わせて、目の前に広がる大魔法陣が大きく光を放つ。地面の下から白い光が湧き上がってウネウネと蠢き始めた。
光の中から人影が現れる。
見慣れない、青や紫のヌメリとした体。
様々な形の角や翼。
異界にいた魔族たちが、揃ってこの世界に姿を表した。
その中から、ある個体がこちらに歩いてくる。
グラマラスな紫の体躯。ひときわ大きい翼と、立派な角。少し血走っているパッチリした目。
「はじめまして。怠惰の魔王よ。知っての通り、この面倒くさい種族の長をしているわ」
魔王は脱力気味に俺と握手する。
彼女の後ろでは、外の世界に興奮して性行為を始めるものや殴り合いを始めるものが大勢いたが、大半の者は面倒臭そうに地面に転がっていた。
「積もる話もあるけど」
「食事ですよね?」
「うん。配らせてあげるから光栄に……じゃなかった、よろしくお願いします」
「はい、お願いされました」
「あぁー、まどろっこしい……面倒くさい……」
俺は浮遊円盤輸送機でパンをばら撒いた。計算上は余裕を持って獣族基準の倍は持ってきていたのに、あっという間に消えてしまった。
みんな貪るように食べ始める。
「ここが外の世界なのね」
「どうですか?」
「思ったより何もないわね」
「あ、いやここは砂漠だから──」
対面するのは初めてだが、通信ユニットを通してかなり前から今日の段取りをつけていた。どうやら、お互いに誤解していたことも多かったようだ。
「祖先たちはとびきり面倒くさがりだったから、魔族同士の内部紛争が面倒で異界に引きこもって寝てたらしいんだけど……子孫に帰り方すら残さないって、もうホント馬鹿なんじゃないのって」
「あははは……」
異界封印の魔法。
それは、怠惰の魔族たちが異界に引きこもる際、食料確保のために編み出した魔法だったのだとか。彼女の祖先たちは他種族に食料を貢がせながら、のんびりゆったりとした引きこもりライフを送っていたらしい。
「その……悪かったわよ。でも、知らなかったのよ、仕方ないじゃない! 私たちが普段食べてたバッタが、その魔神の巫女とかの犠牲で成り立ってたとか……本当、嫌な種族だわ……あぁ、でも人族ごときに頭を下げるなんて屈辱……面倒臭いわ……」
巫女による黒い悪夢の封印。
その結果、彼女たちの暮らす異界には、定期的にバッタのストックが送られてきた。彼女たちは単純に他種族からの貢物かなにかだと思っていたらしい。それらをポリポリと貪りながら眠るのが彼らの主な生活スタイルだったのだという。
あるとき、それが途絶えた。
俺とレミリアの介入により、少量のストックしか送られてこなかったのだ。
このままでは魔族全員が餓死して破滅する。魔王は焦り、唯一交信できる神託魔法使いたちにイメージを送った。
『このままだと全員死ぬわ。破滅よ。餓死するわ。何でもいいから早く【異界封印】しなさい!』
結果、動物や農作物など、たくさんの食料が送られてくる。だが同時に、なんだか気持ち悪い変死体までたくさん送られてくる始末。最悪の思いをしていたのだという。
魔王はパンを頬張りながらそんな話をした。
食事の終わった魔族たちは、満足そうに腹を叩いた。
彼らともちょっと話をしてみたいけど、残念ながらちゃんとした共通語を話せるのは今のところ魔王だけだ。どうも、怠惰魔族の魔王になる条件は伝統的に「怠惰の魔族の中で一番勤勉な者」なのだとか。確かにその言葉通りの勤勉さで、魔王はこの約半年でほぼ問題なく共通語を使いこなしている。みんなへの教育もかなり頑張ってくれているらしい。
「それで、これから私たちはどこで暮らしたらいいの? 言っておくけど、一緒に暮らすのはオススメしないわよ。赤子ですら癇癪を起こせば魔法をぶっ放すし、魔族同士なら殴り合って終わるだけのことで他の種族をうっかり殺しちゃうらしいし。こんな面倒くさい種族、いざこざしか起こさないんだから」
そう言うと思って、ちゃんと用意しておいたんだ。
俺は空を指差す。
「月だよ」
「え?」
「月に、魔族用の大都市を用意しておいたんだ」
「……は?」
魔王は目を丸くする。
「この星でルールを作って住み分けたところで、その翼で自由に飛びまわれないのは不自由そうだし。どうせなら気兼ねなく星一個を自由にできた方がいいでしょ」
「いやいやいやいや……」
なんだかやたら首を横に振ってるけど。
魔族でも遠慮はするのかな。
神殿と相談して、俺たちの今いるこの惑星は「アヌンナ」って名前に決めたんだ。古代の言葉で「大地」くらいの意味なんだけど。現在、惑星アヌンナの空には丸い月が一つだけポンと浮かんでいる。
「もともとこの惑星には歪な形の月が大小5つほどあったんだけど、魔族が暮らすには将来的に面積が不足しそうだから1つに結合しといたよ。あと、隕石の衝突も多そうだったから、常に同じ面をこちらに向けるように調整してあるからね。開拓するなら公転軌道の内側──この惑星を向いている面がオススメだよ」
「は? なにそれ」
「年にほぼ12回のペースで月の満ち欠けが……そっちから見ると、日が昇ったり沈んだりするよう調整してあるから、それで暦は判断してね。こっちの惑星でも月の満ち欠けのペースに応じて、春の上旬を1月、冬の下旬を12月とするクロムリード暦を導入するよう神殿と調整したから、お互いの暦は合わせておこうよ」
「え? えっと……え?」
前の世界でも衛星保養地にはよくこんな調整をかけてたよなぁ。
実は、常に同じ面を惑星アヌンナに向けるっていうのはそこまで難しくはなくて、月内部の質量に偏りを作れば自然とそうなる。
一方、年間の公転回数がピッタリ12回、3でも4でも割り切れる都合のいい数にするのは、けっこう微妙な調整なんだよね。長い時間を経るとズレが生じるだろうし。
前の世界でも、地球本星の月はたしか古代に……と、それは今は関係ない話か。
まぁ、いつものように汎用ユニットを使えば、月自体の開発はそこまで大変じゃないけど。
どっちかというと、惑星アヌンナ側の深層海流や気候への影響を調整するのに時間がかかったんだよね。
「まだ都市は一つだけど、月面結界はドーム型に環境を整備しながら徐々に広がっていくから、2年もすれば月面全土をカバーして球体型になるからね。新しい都市を作りたいときは世界樹に相談するといいよ」
「水は? 空気は? 食べ物は?」
「用意しといたよ。家もね。今すぐにでも暮らせる」
「あんな遠くに? どうやって移動するのよ」
俺は浮遊円盤輸送機の光学迷彩を解除する。
数百台の大船団が空にプカプカと浮かんでいた。
魔王は口をあんぐりと開けてそれを見た。
隣のレミリアを見ると、なんだか魔王に同情するような目線を向けていた。なんだろう。
しばらくして、魔王も落ち着いた。
魔族たちも硬直が解けて、自由に過ごし始めている。
魔王の指示のもと、彼らは順番に輸送船にのる。
逆らわないのは面倒くさいからだろう。
「何から何まで、悪いわね」
「いや、こっちも手際が悪くて」
ずいぶん驚かせちゃったもんな。
悪いことしたな。
「……嫌われてると思ってた」
「え?」
「こんなロクでもない種族。迷惑もかけたし。他の種族よりも欲望が深くてさ……自分でも、救いようのない性格してるなって思うもの」
魔王は表情を曇らせる。そして、喧嘩をしながら乗り込んでいく魔族たちをぼんやりと眺めた。うーん。俺は魔族って面白いと思うんだけどなぁ。
「俺は転生者なんだけど。前の世界では昔よく議論されてたことがあるんだ」
魔王はきょとんとした顔でこちらを向く。
俺はその目を見返す。
「技術が進んで、全てを人工知能が管理できるようになった社会は、無機質で味気ないものになるんじゃないか……それは理想郷であると同時に暗黒郷でもあるんじゃないか。そんな議論が、まぁ人工知能が高度化する前は、よく起きてたらしいんだ」
懐かしいなぁ。
昔の小説や映画なんかを見ると、人工知能は決まって人類に反乱を起こすんだよね。で、大半の人類は老人のようにぼんやりとして疑問も抱かない。無表情で機械のように日々を過ごしていく。昔の人はそんな想像をしたらしい。
だけど実際には、技術が進んだからといってそうはならなかった。そりゃあ昔とは違うこともたくさんあるとは思うけど、この世界と変わらずみんな笑ったり泣いたり忙しかったように思う。若者は大人に悪態をつくし、老人が「最近の若いのは」なんて愚痴るのはあっちでもこっちでも一緒だ。
「世界が変わっても、時代が変わっても、技術がどれだけ進んでもさ。世の中を面白くするのは、いつだってみんなが持ってる『欲』だと思うんだ」
「……欲?」
「そう。他者を傷つけることは問題だけど。そうじゃなければ、自分の欲を自覚してそれに全力を傾けられるのって、すごく面白いことだと俺は思ってるよ」
何が好きなのか。何が欲しいのか。
きっと、すべての始まりはそこにあるんだと思う。
魔族たちを再度眺める。隣の娘の乳を揉んで殴られている姿。隠し持ったパンを奪い合って魔法をぶっ放す姿。歩きたくないとボヤいて寝ながらゴロゴロ進む姿。あはは、見てて飽きないなぁ。
魔王は面倒臭そうにため息をついている。けれど、その視線は決して冷たいものではない。
「とりあえず魔族のみんなには月で暮らしてもらうけど、そのうち一緒に暮らしたいな。今でも行き来は難しくないけど、いずれもっと気軽な手段を用意するつもりだし」
「……無茶言わないでよ。どれだけいろんなハードルがあるのか、分かってて言ってんの」
「んー、確かに課題は多いんだろうけど。それを乗り越えるのに必要なものは一つじゃないかな」
首を傾げる魔王。
俺は指を一本立てて彼女に伝える。
「技術だよ」
それさえあれば、だいたい何とかなる。
俺のその言葉に、魔王は頭をかきながら輸送機に乗り込んでいった。時間は年単位でかかるだろうけれど、彼らと笑って暮らせる日が早く来るといいな。
いろいろと手を打っていこう。
たくさんの円盤が、宇宙へと旅立って行った。
俺は大きく手を振って魔族たちを見送った。
次回、最終話となります。





