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満足そうに微笑んだ

 早いもので、今日から秋だ。

 薄暗い早朝、俺はベッドを出て服を着る。裸で眠るレミリアに布団を被せた。


 いつものようにバルコニーの椅子に座る。

 穏やかな日々が続いていた。


 マザーメイラの広さは初期の数倍広くなったけれど、特に大きな問題が起きることもない。近頃は四都市間の交流も盛んで、真空筒型地下鉄道(ヨルムンガンド)を使って多くの旅行者が都市を行き来している。


 最近勢いがあるのはメングラッドアイルだ。

 高精度な人体シミュレータを手に入れたノヴァ兄さんは、この世界の医学を何段階も前に進めた。人工知能の力を借りてそれを書籍化し、今年から我が家が管理することになった製紙協会・製本協会が最新の紙生成機・印刷機を活用して増刷した。

 神殿にも寄贈されたその本は、他国の医者まで買い求めるほどの盛況ぶりだ。他の三都市で暮らしていた医者たちも、地下鉄道を使って兄さんの講演会を聞きに行っている。

 あと半年で結婚式だけど、あんなに忙しくて大丈夫かな。


 ノヴァ兄さんの功績で特に目立つのは、出産での母体・胎児の死亡率を大きく下げたことだろう。過去のデタラメな医学書を論理的にザクザクと切り捨て、実践的で体系的な知識へと集約した。


 人族と獣族は胎生だから、この改善の恩恵は特に大きい。

 切り裂き王子の汚名はすっかり忘れ去られ、四都市には妊婦が押し寄せるようになった。来年あたりはベビーラッシュかもしれない。



「リカルド、おはよ」

「おはようレミリア」


 レミリアは眠そうに目をこすりながらテクテクと歩いてきて、俺の両足の間に座る。昨日は遅くまで研究頑張ってたもんな。


 ぼんやりと空を見上げる。薄暗い空には歪な形の月が浮かんでいた。彼女のつぶやきが耳に届く。


「……月って、人は住めるのかな」

「うん。そりゃ住めるよ」


 この惑星のまわりには大小5つほどの月が巡っている。いろいろと手を入れないと暮らしづらいだろうけど、ガス型の星ってわけでもないから、開発は簡単な部類だろう。


 気がつけば、レミリアは再びウトウトと眠そうにしていた。

 横抱きにして布団に運ぶと、彼女はムニャムニャと寝ぼけながら俺に抱きつく。そして、安心したように寝息を立て始めた。

 俺の口からもあくびが漏れる。



 目が覚めると、外はすっかり明るくなっていた。

 ベッドで背伸びをしていると、なぜだか俺の足元にいたらしいレミリアが、俺の体に沿ってズルズルと這い上がってきた。二人でのんびりと着替えて朝食の場に向かう。


「さっかなー♪ さっかなー♪」


 フローラがご機嫌なメロディーを口ずさむ。


 夏の間、港町リビラーエは大きな盛り上がりを見せた。

 伝統的な豊漁祭は、町外の見物客にも馴染みやすいイベントとして開催され、雄々しい漁師たちの勇姿を見るために各地から人が集まったのだ。

 それに合わせ、海中レースの大会も開かれた。各地から集まった速さ自慢の海族たちが、その泳ぎで見物客を熱くした。賭け事で儲けた者たちは、歓楽街にたくさんのポイントを落とした。負けた者も、生活ポイントの振り込みは日毎なので、とりあえず食うに困ることにはなっていないようだ。

 マザーメイラからは地下鉄道で15分ほどだから、気軽に行けることも大きい。四都市からは多くの観光客が流れ、町はいつになく賑やかな様子だった。


 そんなこんなで、町始まって以来の盛り上がりを見せたリビラーエからは、大量の魚をお土産に頂いたのだった。



 朝食後、珍しく父さんからの呼び出しがあった。

 なんだろう、と執務室に向かう。


「タイゲル殿から連絡があった。戦争の件に絡んで、今日の夕方に竜族国との会合が開かれるらしい。相手は竜族国三将軍に名を連ねる、この国で言えば上級貴族にあたる身分の者だ」


 へぇ、そうなんだ。

 俺は父さんの話を聞きながらお茶を口に含む。


「お前にも遠隔で出席してほしい」


 ブッとお茶を吹いてしまった。

 肺の変なところに入り、ゴホゴホと咳き込んでしまう。


 父さんは心配そうに俺の背を擦る。

 いったいどこからそんな話になったのだろう。


「……先方からのご指名なのだ」

「えー、どうして俺が」


 戦争時に外国の将軍から指名されるようなことはした記憶がないんだけどなぁ。たぶん。

 これまで必要に応じて魔物とは戦ってきたけど、国同士の集団戦闘なんて全く持って専門外だ。


 父さんは俺に説明を続ける。


「竜族国の代表者である将軍は、家を継いだばかりで三将軍の中でも最も歳が若い。だが、国内外から人格者として評価されており、この国への留学経験もある。タイゲル殿とも顔見知りのため今回の交渉役に選ばれたのだ。お前もよく知るお方だ」


 竜族国出身で、俺も知っている者。

 それって、もしかして……。


「ルーホ先生?」

「そう、カ・ルーホ将軍だ。現在王都に来ている」


 俺は驚きと懐かしさで胸が熱くなった。

 戦争が絡むようだからあまり浮かれた話はできないだろうけれど、久々に先生と話ができるのは嬉しい。

 何年ぶりになるだろうか。




 懐かしい顔だった。

 カラスによく似た黒い体毛とクチバシ。

 彼は嬉しそうな表情で俺を見た。


『大きくなったな、リカルド』

「ルーホ先生……」


 久々に見た先生の姿。

 だけど、彼には大きな異変があった。


 ルーホ先生には、左腕がなかった。


『気づいたか、リカルド。情けない有様だろう』

「一体、どうしたんですか」

『なに、帝国が鬼族国を侵略した時の話だ。私はちょうどその場に居合わせてな。帝国の言い分があまりにも一方的なものだったから、私の誇りにかけて鬼族国の助太刀に入ったのだ。その結果がこれさ』


 何気ない様子で話す先生。

 でも確か、先生は左利きだったはずだ。

 これまで大変な不便をしただろう。


『帝国には優秀で歪な軍師がいる。おそらく、お前と同じく転生してきたものだろう』

「転生者の軍師……」

『密偵をやって調べたが、まず間違いない。それに、えげつない作戦で誇りもなく命を奪い去るわりには、死体一つ転がっていただけで動揺して吐き戻していた。あれはこの世界を遊戯か何かだと思っているタイプの者だ』


 ルーホ先生は吐き捨てるようにそう言った。

 傷口が痛むようで、小さく顔をしかめている。


「その腕は誰かに切り落とされたのですか」

『いや、自分でやったのだ。片腕で済んで幸いだ。こうしなければ、私は溶けて消えていただろう』


 先生は残った右手を握り、開く。

 溶けて消える……?


『特殊結界魔法【異界封印】だ。リカルドも何度か目にしているんだろう。奴らは古代遺跡付近に軍を誘い込んでそれを発動した。敵味方関係なく飲み込まれていったよ』


 俺は言葉を失う。

 そして深く後悔した。


 戦争と聞いても、現実感がなかった。どこか遠い世界の出来事のように感じていたんだ。そして、誰かが辛い目に遭っていると薄々気づきながら、自分には関係ないからと何も考えずにここまで来てしまった。


『そんなに沈んだ顔をするな。それより──その時に捕らえた帝国の魔法使いが、気になることを言っていたのだ』

「気になること、ですか」

『神託魔法と呼ばれる魔法がある。悩み相談のような魔法らしいのだがな。彼いわく、近頃は魔法を発動してもいないのに勝手に頭の中にイメージが届くという。内容は、激しい怒り、死体、破滅、飢餓……そして【異界封印】をしなければという強い感情』


 神託魔法。確か、南でも前マクシモ当主やその長男スルバが使えた魔法、だったっけ。


『彼は【異界封印】をしなければ破滅だと言って、溺れるように酒を飲んでいるよ。酩酊しなければ気が狂いそうなのだろう』


 考える。魔法使いたちは、その神託魔法のイメージのまま【異界封印】をしていたのだとすると、そもそも……。


 ルーホ先生は俺の顔をまじまじと見る。

 大きくなったな、と再度呟いた。


『魔法使いの狙いはそれ以上は不明だ。だが、帝国の準備状況からして、半年後──次の春には竜族国に攻め入るつもりだろう。利き腕を失った私は、誇りを保つため最前線に立つつもりだ。勝てなくとも、生き恥を晒すつもりはない』

「そんな……」


 先生は穏やかな顔をキリッと引き締める。

 背筋をすっと伸ばして俺を見た。


『私の教え子、リカルド・クロムリードよ。竜族国の次は王国も狙われるはずだ。私もただでは死なん。可能な限り時間は稼ぐ。その間に、持てる技術を総動員して帝国の侵略に備えよ。あんな馬鹿な国の思う通りになどさせるな』

「……先生」

『お前はいつも、私の問いに驚くような回答を返してくれた。私は教えている風でも、いつだってお前に教えられていたんだ。今回も、みんながあっと驚く方法でお前の国を守ってみせろ』


 ルーホ先生はそう言って俺の目を見た。

 これは、先生からの宿題だ。


 俺は四都市や王都のみんなの顔を思い浮かべて、うなずきを一つ返した。

 先生は満足そうに微笑んだ。

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