ご機嫌の様子だった
夏の王都。
俺とレミリアは早朝から貴族街を歩く。
目的地はマクシモ邸、王都でのノヴァ兄さんの屋敷だ。
門番に来訪を告げると、ほどなくして屋敷の中からミラ姉さんが飛び出してきた。姉さんは王都についてからすっかりここで生活していて、既に「奥さま」と呼ばれているようだ。
3人で屋敷の中へと向かう。
道中はレミリアがそわそわした様子でミラ姉さんに話しかけていた。
「ミラ……どうだった?」
「マールが言うほどは……」
何の話かは分からなかったけど、ヒソヒソ話しているものをあまり気にしても仕方ないだろう。
研究室は綺麗に整頓されていた。以前のように資料が散らかっていないのは、間違いなく姉さんのおかげだろう。姉さんは意外と整理整頓が得意だからね。
ノヴァ兄さんは穏やかに笑みを浮かべて俺たちを迎えてくれた。そういえば、姉さんとの距離感が少し近づいた気がするけど……一緒に生活していれば、いろいろあるのだろう。
「レミリアはこちらに腰掛けて」
誘導に従い、レミリアは診察台の方へと向かう。
兄さんは真新しい注射器を取り出した。
レミリアの血を抜き、血液分析魔道具にかける。モニタには数秒で結果が表示された。
「うん。この血液タイプだと、検査用マイクロユニットは四型がいいはずだ。その条件でマッチングするから少し待ってくれ」
ノヴァ兄さんがそう話す傍らで、ミラ姉さんはカタカタとキーボードを打つ。メングラッドアイルの世界樹にアクセスし、レミリアの血液情報とマイクロユニットの挙動を演算して問題がないか確認しているらしい。
「うん。三型でも四型でも問題ないわ」
「じゃあ、四型の標準仕様にしよう」
ノヴァ兄さんはレミリアに説明をする。
これから小さなユニットが体内に入り、レミリアの生体情報を収集すること。それをもとにシミュレーションをしてから投薬を決めること。マイクロユニットが体に合わない場合もあるから、気分が悪くなったら言ってほしいこと。
「何か不明点はあるかい?」
「……大丈夫」
「じゃあ、検査ユニットを入れるよ」
レミリアはベッドに横たわる。彼女の腕に点滴の針が刺さる。所要時間は概ね二時間ほどだとか。
椅子に座りながら、みんなでしばし雑談をする。
ノヴァ兄さんがチラリと俺を見た。
「そういえば、マクシモ家の古代文献の解析は少しずつ進んでいるようだね」
「うん。今朝も新しい解読箇所を教えてもらったんだ」
ポケットから解読結果の書かれた紙を取り出すと、ミラ姉さんは身を乗りだして覗き込んだ。俺はみんなに見せながらゆっくりと読み上げる。
「魔族は基本的に激しい気性を持つ。そしてその特徴から7つの支族に分類される──」
傲慢、強欲、色欲、暴食、憤怒、嫉妬、怠惰。
それらの名を冠す七種類の魔族が、かつて存在したのだという。ここで言う支族っていうのは、人族で言えば耳長人族や巨人族、獣族で言えば狼獣族や虎獣族がいるようなものだろう。
「──そして、それぞれの支族の長を務める者に与えられる称号があった」
レミリアはゴクリと喉を鳴らす。
「……魔王、と。古代には七人の魔王がいた、らしい」
ノヴァ兄さんが俺をじっと見る。
もう少しいろいろと調べてみたほうがいいだろう。
しばらくして、モニタに検査終了の表示が出た。
ノヴァ兄さんが操作をすると、許容可能な投薬量や方法などが示される。ミラ姉さんはそれを見ながら何やら準備を始めたようだ。
「体におかしいところは?」
「……大丈夫、だと思う」
「不安ならもう少し休んでいてもいいけれど、どうする?」
レミリアは首を横に振る。
ノヴァ兄さんは水の入ったコップを彼女に手渡した。
「今日は変な色の尿が出ると思うけど、マイクロユニットの残骸だから気にしないように。遅くとも24時間以内には排出されきると思うから」
「うん……わかった」
レミリアはコクリと頷く。
ミラ姉さんは準備を終えて現れた。
小さな注射器だ。
「これから、投薬ユニットを君の体に入れるよ」
「……うん」
「今回の投薬用マイクロユニットは、さらに小さいナノポッドを射出することが可能なものだ。ナノポッドは決められた条件下で破裂し、中の薬剤を患部に届ける。体に大きな負荷をかけずに、必要な分だけ薬を届けることが可能だ」
ノヴァ兄さんは図を見せながら、これから体に出るかもしれない反応などを含めて丁寧に説明する。
「今回は、薬というより微量の毒だ」
ノヴァ兄さんが説明を続ける。
人体シミュレータの精度がずいぶんと上がったおかげで、赤目病治療は大きな成果をあげていた。
今回レミリアに打つのは、赤目病予防のワクチンだ。体の免疫機能に赤目菌への対処法を教え込み、仮に今後感染しても発症を抑えたり軽度にしたりする種類のものである。リスクがないわけではないけれど、シミュレータのおかげでそれも最小限に抑えられている。
俺やミラ姉さんなどは既に打っているのだが、レミリアはタイミングが合わなくて伸び伸びになっていたんだ。
細い注射針がレミリアの腕に刺さった。これで病気のリスクが下がるといいな。
予防接種も無事に終わり、数日が過ぎた。
王都での予定もすっかり消化した俺たちは、クロムリード邸の庭に集まっていた。
屋敷の庭には浮遊円盤輸送機。
船長帽とサングラスをばっちり決めたフローラの横には、見慣れない少女が口を大きく開けて輸送機を見ていた。後ろには南のピグベーダ家当主もいるから、あれが友達になったという女の子なのだろう。
フローラ船長は敬礼をしながら皆に告げる。
「諸君。どうせミラ姉たちを南に送っていくから、同じ方向に帰るウリユちゃんも乗せていく。せっかくだからメングラッドアイルでいっぱい遊んでいく。私は魚介類を食べる。これは命令だ」
クマタン副船長は、了解、とばかりに敬礼をする。
ミラ姉は残念なものを見る目でフローラを眺めた。
どうしてだろう。あんなに可愛いのに。
それにしても、ずいぶんと大人数だ。
フローラ船長とクマタン副船長。苦笑いを浮かべる父さん。すっかり仲良くなったノヴァ兄さんとミラ姉さん。いつも通りの俺とレミリアに、戸惑っているピグベーダさんとウリユちゃん。
メングラッドアイルに着いたら、父さんと俺とレミリアは真空筒型地下鉄道でマザーメイラに帰る。フローラはひとしきりウリユちゃんと遊んだら、彼女を領地に送り届けて浮遊円盤輸送機で帰ってくるらしい。
顎の外れるほど驚いたピグベーダさんと、意外と慣れるのが早かったウリユちゃんを乗せて、輸送機は南に向かって飛んだ。船長は豪快な笑い声をあげてご機嫌の様子だった。





