これ使ってみない?
慌ただしく時間が過ぎていく。
気がつけば既に秋の中旬になっていた。
ノヴァの研究室を覗く。
どうやら、王都のミラ姉さんと通話しているようだ。二人はかなり打ち解けた様子であれこれ話している。
『ノヴァ。シミュレータの精度はこれが限界?』
「そうだね。でも、マイクロユニットで体内の詳細データが計測できるようになれば……」
『そっか。今は学習データの誤差が大きいから』
俺は足音を立てずにそっと部屋に入る。
入口付近の椅子に腰掛けて二人を眺めた。
「薬の輸送はもう少し後だね。まずはマイクロ計測器を血中に入れて、人体シミュレータの精度を上げよう」
『分かったわ。血液成分の分析機能があればいい?』
「血圧や脈拍なんかの計測も搭載できるかな」
『んー、1つのユニットに詰め込むのは無理ね』
二人は真剣な様子で魔導書のキーを叩く。
人体シミュレータは、過去の臨床データから作り出した医療用の人体反応模型だ。種族や体性別、年齢や体格など、様々な条件をもとに、投薬時の反応などを予測するためのものである。
演算のための学習データはノヴァが入力した。ただ、叔父の代の臨床データまで引っ張り出して登録したけれど、データ量も精度も足りない。動物実験よりは正確に予測できるものの、まだ改善が必要だった。
免疫システムのモデル化も進んできたから、マイクロユニットを体内に入れたときの反応も粗いながら予測可能になってきている。安全を確保しつつ、少しずつ試していく予定なんだとか。
『遠隔だと効率が悪くてもどかしいわね。私もそっちで一緒に研究したいわ』
「僕もミラに相談したいことが山ほどあるよ」
俺は二人の会話の様子を動画に撮った。こっそり父さんに送る。これで、王族に悪印象を持っている父さんの態度も多少は柔らかくなるといいんだけど。
研究室を出て、そのまま屋敷の外へと向かう。
青く済んだ空。
眼前に広がる大都市と、それを取り囲む海。
ここは海に浮かぶ人工島だ。
港にはたくさんの交易船が集まってきている。
屋敷からはそれを一望できた。
この人工島はもともと彼の屋敷周辺の土地だ。事件のときは海中に避難していたけど、現在は陸地から1キロメートルほどの海上に浮かんでいる。
避難用の海中結界も通常の都市結界に切り替わり、いつもの見慣れた設備が都市を支える。
事件後、ノヴァはマクシモ家の当主になった。人工島は新たなマクシモ領都となり、存分に都市機能を発揮している。
海上医療都市メングラッドアイル。
現在多くの領民がこの都市に移住してきていた。
ノヴァが当主になった理由は単純だ。
マクシモ家の当主と跡継ぎが同時に亡くなり、残された血縁者は二名。既に独立している王子のノヴァと、病気だからと世間から隠すように育てられた巫女のココ。そうなると、当主を継ぐのはノヴァが適任だったのだ。
彼は遺跡の異変にもいち早く気づき、赤目病の患者を避難させたという功績が認められている。気味の悪い事件の直後ということもあって、対抗馬として手を上げる者もいなかった。
屋敷の庭を歩く。
薬草畑の方に、仲良く寄り添う二人の姿があった。
「あれは……ダイとココか」
ダイアナの呼び名は「ダイ」になった。
実は、ココが屋敷で暮らすようになった際、ダイアナがみんなに頭を下げて頼み込んだのだ。
『これからオレのことはダイと呼んでくれ。ココにそう名乗っちまったんだよ。性別のことも内緒な、頼む』
二人は薬草畑で微笑みながら手を繋いでいた。
白い花の根は実は毒物なんだけど、こうして見るとただの花畑のように見えるから不思議だ。
現在のココの立場は、ノヴァの養子だ。
つまり、ココの結婚はノヴァが決めることになる。
『分かってる……ずっとこのままってワケにもいかねぇ。ココと心が通じ合うほど、未来は辛くなる。でも、それでもさ。もう少しだけココとの時間をくれないか』
ダイアナは俺たちに深々と頭を下げた。
ノヴァは微笑みを浮かべながら、ココにはお前からちゃんと打ち明けるんだぞ、とだけ言った。
今回の災害は、動画ニュースとして国内に衝撃を与えた。
巨大な魔法陣から放たれた光。豊かなトウモロコシ畑や赤目病の動物が、ドロリと溶けて飲み込まれる。
動画を見たみんなが戦慄した。
世間一般にはマクシモ家の所業は伏せられ、単に古代遺跡の暴走として取り上げられている。同時に、古代の魔族の存在についても噂のように世間に浸透していった。
その傍ら、マクシモ領ブランドは信頼を失った。
気味の悪い農作物は大幅に値下がりした上、旧領都に集まっていた商人は仕入れもできずに立ち往生していたのだ。
とにかく商人たちを手ぶらで返すわけにはいかない。メングラッドアイルの農場はフル稼働した。
価値が下がった分は、量で補填した。
もちろんそれだけで問題は解決しないけど、商人たちも「災害なら仕方ねぇよな」という諦めがあり、比較的穏便に済ませてくれたんだ。
試食した作物の味が思いのほか美味しかったのもある。
元農家の領民には、メングラッドアイルの農場ビルを提供する準備をしている。収穫済の作物から遺伝子データを抜き出したから、これまでと変わらない味をベースに農業・畜産業を営むこともできる。
でも、現在は多くの領民が仕事を辞めて『何もしない』を楽しんでいる最中だ。毎日振り込まれる生活ポイントでのんびりゆったりと過ごしている。まぁ、そのうち飽きたら農業始める人もいるんじゃないかな。
大きな変化に戸惑う者も多いけど。
ただ、祭壇付近に帰りたいと言い出す領民はいなかった。
ある晩、ノヴァのもとに通信があった。
ダイアナの父親、タイゲル家当主からだ。
俺とダイアナも部屋の隅で話を聞く。
『ノヴァ王子……いえ、新マクシモ当主殿』
タイゲルさんからは型通りの挨拶とお悔やみの口上が述べられる。ノヴァはいつものように対応しながら、眼鏡をクイと持ち上げた。
「タイゲル殿。幸いなことに、ダイアナ嬢やリカルド君のご協力のおかげで、多くの領民の命が救われました」
『ほう。二人は役立ちましたかな』
「えぇ、非常に。彼女らを派遣したのは他でもないタイゲル殿だと聞きました。さすが、今代のタイゲルは初代以来の大人物だと、噂になるだけのことはありますね」
ノヴァからのベタベタのおべっか。
タイゲルさんは謙遜しながら鼻の穴を広げる。とても分かりやすい反応だ。ダイアナは恥ずかしそうに息を吐いて目元を押さえた。
『がははは。それにしても、あの幼かった王子が中級貴族の当主とは、時が過ぎるのは早いものですな』
「状況がそうさせただけですよ。まだまだ若輩者です。ぜひともご指導いただければ」
タイゲルさんは笑いながらコップを傾ける。
一見和やかな会話。
しかし、ノヴァの表情が優れない。
何かを警戒しているのが見て取れた。
『ふむ。しかし、やはりな……』
「何か、気になることでも」
『えぇ。当主が長らく未婚では、対外的な弱みにもなり得ますからな。あまり良い状況ではありません』
タイゲルさんは顎を撫でる。
ノヴァは体を固くする。
「それは……そう、かもしれませんね」
『秋の間には、そちらの都市に慰問に向かう予定です。ダイアナとの婚姻の話、早急に進めましょう』
ノヴァが言葉をつまらせる。
ダイアナは目を閉じている。
空気が凍りつく。
『ははは、そう照れるものではありません。二人の仲が良いのは周知の事実。あれは歳こそ若いが、体つきはなかなかのものだろう。実は、もう食ってたりしますかな? がはははは……まぁ、ガサツなところもあるが、悪い娘じゃねぇ。ノヴァ王子なら安心だ。遠慮なくもらってやってくれ』
タイゲルさんは終始ご機嫌だった。
ノヴァはなんとか言葉を繋いだ。
通話が終わり、しばしの静寂。
屋敷の外から虫の声が響く。
ダイアナは勢いよく立ち上がった。
「ノヴァ、オレ……天井の染みを数えるのが趣味なんだ」
「なんだよそれ」
「オレはこう、ベッドに寝っ転がって数えてるからよ。その間にさっさと出すもん出せよな」
ダイアナはニヤリと口角を上げる。
両胸を持ち上げ、揺らしながらノヴァに迫る。
「馬鹿か。僕に男色の趣味はないと言ったろう」
「でもお前、評判最悪じゃねぇか。なんだよ切り裂き王子って。第二夫人のあてもねぇだろ。オレが抱かれでもしなきゃお前一生──」
「やめろ」
ノヴァは席を立ち、背を向ける。
「僕が欲しいのは、そういうのじゃない」
いつになく強い語調。
ダイアナはしゅんとして、小さく謝った。
静寂。
俺はそこで、ハッと思いついた。
「そうだ。ノヴァ、ダイアナ、これ使ってみない?」
肩掛けカバンからひとつの魔道具を取り出す。
かなり前に試しに作ったはいいものの、どうにも使う踏ん切りがつかなくてお蔵入りになっていたものだ。
ノヴァはそれを手に取り、首を傾げた。
「リカルド、なんだこれは」
「うん。婚約を破棄する魔道具」
魔道具のことを説明すると、ノヴァは少し呆れたような目で俺のことを見た。ため息をつき、ハハハと乾いた笑い声を出したあとで、確かに使えるかもね、と呟いた。





