被害はゼロだ
夏も下旬。
ノヴァの屋敷に植えた世界樹は、目標とする200メートルに到達した。都市と同様の機能を整えると、澄んだ空気や美味しい食事は患者さんたちの体調を少しだけ良くしてくれたようだ。
町の方からは、何台もの猪車が列をなしてやってくるのが見える。あれには、大量の赤目病患者やその家族たちが乗っているはずだ。
「みんな来てくれて良かったなぁ」
切り裂き王子の悪い噂は、やはり領内に根強い。
普通に人々に語りかけても、わざわざこの屋敷に来てくれる人は少なかった。マクシモ家の協力も当然のことながら期待できない。
だから、方法を変えたんだ。
パーソナルカードの動画アプリ。
クルス放送局の公式ページを開く。
フェンリスヴォルフに拠点を置く民間動画放送局。その独自取材番組が、最近大きな話題を呼んでいた。
取材班が極秘ルートで入手したという『怪奇・生き物を飲み込む古代遺跡』という動画は、現在多くの人に衝撃を与え続けていた。赤目病患者が豊穣祭壇に集まっていく様子もあわせて放映されている。
「やっぱりメディアの力は大きいね……」
どんなに農場が忙しくても。切り裂き王子が怪しくても。動画のように溶けて消えるよりはマシだ。そう判断した領民が、避難を呼びかけるノヴァの屋敷へと列をなした。
あとは、この屋敷近辺を大都市のような環境に仕立て上げて、みんなを受け入れるだけだ。これまでの都市開発経験から工程も効率化されているから、問題はほとんどない。
タイゲル家と繋がりのある下級貴族の手伝いもあり、避難は比較的スムーズに行われていった。現在、祭壇に近い内陸の町村からはかなりの住民が消え、寂しい様子となっているようだ。
屋敷の方から、ダイアナが手を振って近づいてきた。
彼はすっかり男の服装が板についていた。髪も短く刈り込んで、胸部にもさらしを巻いて軽鎧を着ている。何も言わなければ男にしか見えないだろう。
「今日はココとの通信はいいの?」
「あぁ。昨晩は儀式だったから、今の時間は寝てるんだ」
巫女のココには衰弱していく演技を続けてもらいながら、3日から4日おきに【異界封印】を発動してもらっている。俺たちの方ではそれに合わせ、事前に各地の豊穣祭壇の地下入り口を封鎖してる。
当然被害はゼロだ。
一方のダイアナは、あれからずっと一日の大半をココと通話しながら過ごしていた。
ココの抱える罪悪感。ダイアナは、それをすべて受け止め、笑い飛ばす。一人で閉じ込められていた時と比べて、ココはずいぶん元気が出てきた様子だった。
「スルバの様子は?」
「……何か焦ったように頭を抱えてる。少し前は荒れてココに対する暴力が増えてたけど、近頃はそんな余裕もねぇ。顔も少しやつれてたな」
スルバはすっかり頭痛薬漬けで、起きている時間は酒を飲み続けている。現状、彼側の事情については何もわかっていない。これについてはココにも聞いてみたのだが。
『父上と兄上だけに適性がある魔法があるらしいんです。なにやら偉い人の声が頭に響くのだとか。神託魔法、という魔法です』
それ以上の詳細は彼女にも分からないらしい。
イラついたスルバは、ノヴァの暗殺も企てた。
まぁ、すべて未然に防げていたけどね。スルバが指示を出す様子もしっかり偵察できているから、ある意味当たり前の話だ。
「そうだ、リカルド。そろそろ昼飯だって」
「もうそんな時間か。わかった、行くよ」
「ノヴァのやつも呼んでこいよな」
「来るかなぁ」
「そろそろ何か食わねえと死ぬぞ、あいつ」
屋敷に入り、階段を上る。
ノヴァはここ最近、資料室に篭りきりだ。
扉を開ける。
大量の書類が散らかっていた。
埋もれた人影はいびきをかいて寝ている。
俺は彼に近づいて肩を叩く。
「ん……リカルド、か」
「昼食だってさ。作業は捗った?」
「あぁ。やっと全データを魔導カルテ化できた」
ノヴァは魔導書を閉じる。
部屋中に散乱しているのは、膨大な数の臨床データ。このデータを世界樹に登録するため、彼の魔導書はここ40日ほどフル稼働だった。
文字通り、寝食を惜しんで働いていたのだ。
彼は床に転がる眼鏡を手探りで掴み取る。
立ち上がり、大きく伸びをする。
お腹がグゥと鳴った。
俺たちは顔を見合わせて笑いながら、屋敷の食堂へと向かった。
「今の状況をまとめよう」
ノヴァは白い壁にペンを走らせる。
俺、ダイアナ、それからノヴァの部下である数人の研究者たちが膝を寄せ合って情報を整理していた。
「まず、古代魔法【効果対象識別】。ダーラ教の文献に残っている古代の魔族魔法と、今回の赤目病の症状が酷似していることが分かった」
ホーリーライアーにいる聖女のアンジェラが、ダーラ教の古い文献を調べてくれたんだ。
それによると、この病気は魔族が生み出したもので、特定の魔法効果を及ぼす対象を選別するのに使うのだとか。文献には、魔族や魔法使いには感染せず、力のない民にだけ影響を及ぼすもの、という記載があった。
ノヴァは実験条件やその結果を書き出す。
ほぼ仮説通りの結果だったようだ。
「結論から言えば、血中命力濃度が一定以上になると、赤目病の原因菌が死滅することが分かった」
魔族に近いほど。
つまり、命力量が多いほど赤目病にはならない。
重症患者たちの多くは命力量の少ない者たちだった。
「つまり、僕のような魔法使いや、命力硬化症を患っている人たちが感染することはほぼない。リカルドやダイアナもそこそこ命力量がある方だから、リスクとしては比較的低い部類だろうが、極力病棟には近づかないようにしてくれ」
これは治療方法を考える上でも有用な情報だ。
一時的に血中命力濃度の上がる劇薬があるらしいんだけと、それをベースにどうにか危険度を抑えれば、有効な治療薬を作れるかもしれないのだとか。
研究者たちは実験動物を使って検証を行っている。
また、赤目病の重症患者たちの世話係として、感染リスクの低い命力硬化症の子たちが率先して手を上げてくれた。いいリハビリになる、と言いながら協力して頑張ってくれている。
「それから、マクシモ家の遺跡内部に赤目菌の培養設備を見つけた。この設備は他と独立していたから、こっそりと内部機能だけ破壊できた。ただ、他の設備──領主館丘頂上の中央祭壇、各地の豊穣祭壇なんかは、複雑に保護されている。暴走の危険があるため不用意に破壊はできない」
赤目菌の拡散状況は引き続き調査中だ。
ただ、分かっている感染者の分布を考えると、おそらく春の豊穣儀式の際、巫女の乗った猪車などに菌を仕込んだものと推定される。
ノヴァは壁に未解決課題と今後の方針を書いてゆく。
赤目病についてはこんなところか。
今はとにかく治療薬の開発が急がれる。
『マスター・リカルド、よろしいでしょうか』
アルファの割り込みが入る。
緊急の用件のようだ。
俺はみんなに断って要件を聞いた。
『マクシモ家当主が帰宅しました』
「そっか。当主はどんな様子?」
『スルバさんと同じく、少し焦ったような表情をしています。映像をご覧になりすか?』
「うん。よろしく」
白い壁に偵察ユニットからの映像が投影された。
みんなでそれを見る。
当主とスルバは向かい合わせに座った。
怒気を放つ当主の前で、スルバは肩を落とす。
二人とも余裕のない表情を浮かべている。
『全部、ノヴァのヤツが悪いんだ……』
『そうは言うが、ここ最近はネズミの一匹すら封印できていないようじゃないか』
『きっと何かしてるんだよ。ノヴァの屋敷に巨木が立ってから、何かおかしくて……』
『巨木だと……ちっ。クロムリードも噛んでるのか』
当主は苛ついたように足踏みをした。
顎に手を当てて目を閉じる。
そして、ため息をつきながら目を開けた。
『あのお方の怒りを沈めるには、当初の計画通りではダメだ。【広域異界封印】をやるぞ』
『……本気ですか、父上』
『うむ』
『そんなことをすれば、この領地全体が破滅です』
『我々が破滅するのと、どちらがいい。背に腹は変えられん。それにちょうど良いじゃないか』
当主はニヤリと口角を上げる。
スルバとそっくりの嗜虐的な顔だ。
『あの魔法は領内全域──ノヴァの屋敷も射程内だ。つまり、アイツが集めている赤目も全員【異界封印】される』
『……そうか、全責任をノヴァになすりつければ!』
『狂った切り裂き王子の暴走だ。被害者の顔をしていれば、国からの復興支援にも期待できるだろう』
『さすが父上。それなら何も問題ありませんね』
スルバの顔に余裕が戻った。
二人は酒の入ったグラスを傾ける。
『実行は今夜だ。準備を急げ』
『はい。生贄はどうします?』
『ココでいいだろう。どうせ病気だ、政略にも使えん。巫女は別のを見繕えばいい』
『おっしゃる通りに』
スルバは意気揚々と部屋を出ていった。
ドアが乱暴な音を立てて閉まる。
当主は椅子に座ったまま目を閉じる。
力の抜けた手から酒瓶が転がった。





