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胸にしまった

 ダイアナの婚約者、第六王子ノヴァ。

 死体集めの切り裂き王子、と呼ばれる彼に連れられ、俺たちは屋敷を進んでいった。


 ノヴァは隣のダイアナに話しかけている。


「ダイアナ。例の赤目の病、僕も半年前から調べているんだ」

「だと思ったぜ。何か分かったのか」

「感染経路のあたりはついたよ」


 彼は分厚い眼鏡をクイッと上げた。

 ダイアナは彼の肩を掴む。


「じゃあ、感染は防げるのか?」

「いや、すぐには無理だろうね……猪車がある限り」


 彼は順を追って説明する。

 患者の体を調べた結果、赤目病の原因は特殊な細菌だろうということが分かった。その細菌はあらゆる生き物に感染するのだけど、どういうわけか車を引く猪については感染しても発症はしない。

 結果、気づかないうちに猪の間で感染が広がる。そして猪車が街道を旅していくにつれ、他の生き物をどんどん巻き込んでいく。


 病気の発生から半年。

 細菌の拡散範囲は既に誰にも把握できない。



 渡り廊下を抜ける。

 一般病棟、隔離病棟、製薬工房に実験動物棟。この屋敷は病院であり、医学の研究所だ。多くの患者さんが暮らし、従業員が働いている。


「治癒魔法に適性があったからね。子供の頃から叔父の手伝いをしていたんだ」


 彼は立ち止まって俺を見た。

 柔らかく笑いながら説明を続ける。


「叔父の頃はもっと小さな診療所だったんだ。でも、6年前に僕の代になってから徐々に大規模になってね。気がつけば、手の施しようがないと判断された末期の患者さんが、国中から送られてくるようになっていた。新しい薬や手術の実験台になってもらっている」


 もちろん強制ではない。現状維持や安楽死を望む者もいる。ただ、死ぬのを待つばかりの身であれば、未知の医療にかけてみたいと決断する者は意外と多いようだ。


「動物実験もしている。各種族に最も近いとされる7種類の動物を育て、意図的に病気にした上で薬を試している。トカゲ鳥、庭妖精、牙鼠、角蛙、大バッタ、糸スライム、槍海魚……」

「それで正確に検証できるの?」

「難しい場合も多いよ」


 動物との差異はいろいろある。でも、いきなり実際の患者さんというのは無理だ。そんなことを、彼は微妙な表情で語る。

 慎重に臨床試験を行っても、患者さんを死なせてしまうことも多い。体に負荷をかけるだけで、薬が効かないことも。



 ゆっくりと歩き、庭に進む。


 そこにあったのは、2つの巨石。

 表面にたくさんの文字が彫られている。墓石らしい。患者さん用と、実験動物用。

 遺体自体は焼いてしまうから、ここにあるのは墓標だけだと言う。動物たちは名前の代わりに管理コードを刻んでいるのだとか。


 彼は自らの手をじっと見る。そして、何かを思い出すようにギュッと握った。


「多くの罪のない動物を、こちらの身勝手で苦しめて殺してきた。実の母親の遺体すら、治療の手がかりを掴むために肉を切った。助けられなかった少女の血を抜いた。亡くなった赤ん坊の脳を顕微鏡で覗いた。何度もいろんなことを試して、それでも分からないことだらけだ。救えた数より、死なせた数のほうが圧倒的に多い」


 この施設は神殿と連携している。

 研究成果は医学神官のもとに送られていき、実際に世界中の医療現場で役立つことになる。だから、彼のしていることはとても意義のあることなのだ。


「切り裂き王子、か。絶妙なあだ名だ」


 そう言って、静かに微笑む。

 若くして彼の功績は多い。転生者と呼べるほど前世の記憶がハッキリと残っているわけでもないらしいから、彼は本物の天才だった。

 それでも、心に折り合いをつけるのは難しそうだ。



 庭を横切り、少し離れた棟へと向かう。近づくと、建物の中から笑い声が聞こえてくる。賑やかで楽しそうな様子だ。


 気になって窓を覗く。

 みんな10歳前後くらいだろうか。少年少女が、マッサージを受けたり体を動かしたりしながら、のんびりと会話している。

 ずいぶん明るい顔をしてるな。


「ここはリハビリ棟さ」

「リハビリ?」

「そう。長らく体を動かせなかった患者さんが、徐々に訓練している建物だよ。ここの方々は、完全に回復したら退院していくことも多い」


 ノヴァは瓶底眼鏡をずり上げる。

 そして、意味深な笑みを俺に向けた。


「ここの子たちに君を紹介したら、大騒ぎだろうね」

「……え?」

「今リハビリをしているのは、元々、命力硬化症の末期だった子たちなんだ。分かるだろう。もう体を動かせなくなって、ベッドの上で終わりを待っていた子供さ」


 よく見れば、グロン兄さんの作った魔導筆や魔導笛を手にしている子もいた。ミラ姉さんの魔導絵具や魔導粘土、俺の作ったハンディタイプの命力測定器を持っている子もいる。

 みんなニコニコ笑っていた。


「あの笑顔だけは、どうしても君に見せたかった。いつか、君のお兄さんやお姉さんにも見せたいものだ」


 そっか。こんな風に救われている子がいたんだな。あとで、兄さんや姉さんにも教えてあげよう。

 ノヴァは嬉しそうに笑った。




 バルコニーで果実水を飲みながら夜空を見上げる。

 結局、いろいろと話し込んでいるうちに夕方になったので、そのまま泊まらせてもらうことになったのだ。

 夜空には歪な形の月が三つほど浮かんでいる。


「リカルド。相談があるんだ」


 そう言ってノヴァが現れる。

 ダイアナは既に寝たから、今は二人きりだ。


「その前に、ノヴァに聞きたいことがあるんだけど」

「ん? どうした急に……」


 ノヴァが俺の対面に座る。

 前々から気になってたことだ。


「ダイアナってさ。体は女だけど、心は男だよね」

「……ガサツだって意味か?」

「ううん、文字通りの意味。体の性別は抜きにして、心は生まれつき男なんじゃないかなって。可愛い女の子が好きみたいだし、言動から察するにそうじゃないかと思ったんだ」

「前世の知識か」

「似たような友達がいたんだよ」


 つい失念しがちだけど、こっちの世界では心と体の性が一致していないことを基本的には大っぴらにしない。身分証明書にも、体の性別を書く欄しかない。目に見えないものだし、良く思わない者も多いんだとか。なんでだろうね。

 ノヴァはため息をついて俺を見る。


「それを知って、君はどうする気だ」

「いや。知らなかったとはいえ、これまで女扱いしちゃってたから。もしそうなら改めようと思って」

「……それだけか?」

「他に何があるの?」


 俺が首を傾げると、ノヴァは笑う。

 頬をかいて、眼鏡をずり上げた。


「……言うとおりだよ。ダイアナは男だ」

「やっぱり」

「この事は他言無用だ」


 俺はノヴァに頷きを返す。

 彼は遠い目で空を見つめる。


「あいつはな、馬鹿なんだ。自分が男だってことを、試さずにはいられないみたいでさ」


 試す……?

 どういうことだろう。


「ほら、よく冗談混じりに言ってるだろ……『揉むか?』って。あそこで鼻息荒く食いつかれると、あいつは傷つく。逆に冷たくあしらわれると、自分が女じゃないような気がして安心するみたいなんだ。馬鹿だよな……そんなのはじめから試さなきゃ、変に傷つくこともないのにさ」


 ノヴァは苦笑い混じりにそんなことを言う。


「なぁ、リカルドの前世で、あいつみたいに体と心の性が一致しない奴は、どういう扱いをされてたんだ」

「どういう? うーん……別に、どういう扱いもなにも」


 心が男性か女性か中性か。

 体が男性か女性か中性か。

 好みは異性か同性か両方か。


 男男異、女女異ってパターンが多数派だけど、こんな雑な分類方法だけでも組み合わせ的にはざっくり27通り。ちゃんと分類すればもっと多いし、他の観点での分類方法もある。

 少数派だとしても、それはただ生まれ持った個性だし、それ以外のなにものでもない。というのが、俺の感覚なんだけど。


「はは、この世界じゃ精神疾患扱いだよ」

「えーまさか。治すもんじゃないでしょ。そういう風に生まれてきたんだから、それでいいと思うけど」

「……うん、僕もそう思う」


 前の世界では、仮想現実(VR)空間で気軽に体感覚を変えたり、拡張現実(AR)ツールで見た目だけ弄ったり、といった技術を誰でも気軽に使えたものだ。

 過去には高度な性転換手術を行ってきた歴史もあるらしいが、ホルモンバランスをいじるのは不都合も多いからな。


「ところで……ノヴァはダイアナのこと、好きなの?」

「……親友としてな。恋愛感情はさっぱりだ」


 そんな答えが返ってくる。

 言葉と表情はチグハグだけれど。


「……うん、そっか」

「たださ。この世界がもう少しだけ、あいつに生きやすく出来てたらな、とは思ってるよ」


 きっとそれには、技術の進歩が必要だ。

 人工知能が高度化しないと、本当の意味での奴隷仕事はなくならないように。細胞培養技術が成熟しないと、家畜を檻から解き放つことはできないように。

 同性間生殖などの人工生殖技術が一般化しないと、恋愛・結婚と性を切り離して考えることすら難しい。それに、人の心が追いついてくるのにも時間がかかる。


 ノヴァはパンと手を叩いて俺を見た。


「まぁ、そんなところだ。リカルド、そろそろ本題に入っていいか。事件について相談があるんだが」

「うん。ごめんね脱線しちゃって」


 俺はノヴァと議論を深めていく。

 彼の切なそうな表情は、静かに胸にしまった。

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