失礼なことを口走った気がする
豪華に飾られた猪車。
やってきたのは、大きくて古そうな建物の立ち並ぶ区画だった。
王城にほど近い中央行政街。
春の中央議会が開催される議事堂や、王族・上級貴族の住まう大規模な邸宅などが存在している。数メートルの煉瓦壁に囲まれた街は警備が厳しく、許された者しか足を踏み入れることはできない。
この国の政治の中心地だ。
俺は猪車の窓から外を見て、御者さんに問いかける。
「あっちの綺麗な庭園はなんですか?」
「はい。先代国王が、当時の第三夫人……現在の王母様をお慰めするために整備された大庭園でございます」
こんな広大な土地を、奥さん一人のために庭にしてしまうのか……ロマンチックなような、もったいないような。
猪車は一つの門を潜った。
ちらりと見えた門の装飾には、見覚えのある紋章が刻まれていた。この国の西地方を束ねるタイゲル家の紋だ。
猪車の表面や、手元の召喚状にも同じものが描かれている。
庭をのんびり進む。
とても広い敷地だ。職人街などすっぽり収まってしまうだろう。あちこちで庭師達が忙しく働いている。
「整備するの大変そうだなぁ」
「ふふ。ずいぶん現実的な感想ですね」
正面玄関で猪車を降りた。
御者さんにお礼を言う。
宝石類があしらわれた扉は、これを売っただけで屋敷の一軒でも簡単に建てられてしまいそうだ。もちろん、強盗などを企めば横に並ぶ屈強な衛兵たちが黙っていない。
「リカルド・クロムリード様ですね。どうぞこちらへ」
執事に案内され、待合室へとたどり着く。
ここはタイゲル家当主に面会する者が一時的に待たされる場所らしい。衛兵もいて、変な行動はできないようになっている。
部屋に入ったときには、俺の他に二名ほどが面会待ちをしている様子だった。
ドレスを着た短髪のご令嬢。
平素な服を着て緊張しているおじさん。
身分は違いそうだけど、二人とも白髪だ。
ご令嬢はそっぽを向いて不機嫌そうにしているため、俺はおじさんの横に座って話しかけた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは。君は?」
「リカルド・クロムリードと申します。今日はご当主に呼ばれて来たのですが」
「ここ、これは失礼を。貴族様でしたか」
地べたに座り込もうとするおじさんを押しとどめ、椅子に戻す。やたら腰が低いけど、子供にすらこんな調子でタイゲル家当主とまともに会話できるのだろうか。余計なお節介かもしれないけど、少し緊張をほぐしてあげたほうがいいかも。
「貴族と言ってもピンキリですよ。俺なんかは次男坊だから、将来家を出たらせいぜい下級貴族の末席です。ほら、楽にしてください」
「な、なんだか、気を使わせてすみません。私は庭師のジョンと申します。同じくご当主に呼ばれたのですが、なぜ私などが呼ばれたのか……」
ふーん、そっか。
そもそも俺が呼ばれた目的もわからないもんな。
向こうのお嬢様も含めて何かあるのかな。
「その……リカルド君は、ご当主がどんな人か知ってるかい?」
ジョンさんが俺の目を覗き込む。
そうだな、やっぱりどんな人か分からないと緊張するよな。俺も伝聞だけど、少し情報を共有してあげよう。
「直接会ったことはないんですけど。実は、母がご当主と学校の同窓だったようで、いろいろ話を聞いたんです」
「ほう。お母上からはどんな話を?」
「そうですね……」
ジョンさんは目を輝かせ、こちらに身を乗り出してきた。ふと見ると、ご令嬢も興味深そうにこちらを眺めている。彼女も面会前にできるだけ情報が欲しいのだろう。
「母いわく、一言で言うと……」
「ふむ」
「女ったらし、らしいですよ」
なんでも、可愛い女の子には片っ端から色目を使い、たまに引っかかる女の子と短いラブロマンスを演じては別れる。学生時代はそんなことを繰り返していたのだとか。
話をするにつれ、ジョンさんはなんだか居心地悪そうにキョロキョロし始め、ご令嬢はジョンさんの方を少し睨みつけていた。あまり女性のいる場ですべき話ではなかったかも。
「母さんいわく、顔の作りはいいし、頭もいい。ワイルドな感じで肩肘も張らずに、人当たりもよくて爽やか。お金も身分もある人だから、まぁモテるかもしれないわねって」
そう説明していくにつれ、ジョンさんはなぜだか少し嬉しそうな様子で勢いを増した。ご令嬢はつまらなそうにそっぽを向いている。ジョンさんの緊張もだいぶほぐれてきたかな。
「あはは、そうか……君のお母上も、実はこっそり憧れていたのではないか?」
「いえ、全く。趣味じゃないって」
「え?」
「一度、強引に唇を迫られたことがあったそうなんですけど、気持ち悪くて思わず放り投げちゃったみたいです」
「気持ち悪い……」
ジョンさんの勢いが急激に衰えた。
どうしたというのだろう。
逆に、ご令嬢はこちらを見てニヤニヤしている。
「母さんの実家は北の武門貴族で。チャラチャラした軟派な男はどうにも好きじゃないらしくて」
「チャラチャラ……軟派……」
「まぁ、あくまで母さんの評価ですよ。一般的にはワイルドで型破りな美男子。当時はドラグル家の跡継ぎと人気を二分してたみたいですけど……って、どうしました?」
なんだか項垂れている。
今の話にどこかジョンさんの落ち込む要素はあっただろうか……彼の事情が分からない。
一方のご令嬢は、それはもう愉快そうな顔をしていた。両手で口を押さえて爆笑を堪えているようだ。
ジョンさんが、俺の顔を覗き込む。
「君自身は……タイゲル家のこと、ご当主のことを、どう思ってるんだい?」
んー、そう言われても。
実際、会ったこともないからな。
「思うところは、何もないのかい?」
「まぁ、父さんが婚約を渋ってるのに、強引に胎児と婚約させられたのは困りましたけどね。当時は諸事情で表に出せなかったものの、いい仲の娘もいましたし」
あの時も思ったけど、ずいぶん無茶なやり方をする。
型破り、と言えばそうなのかもしれないけど。
「母さんの『空気を読まずに物事を強引に進めるところは嫌いね』という言葉は、まぁ納得です」
「んぐっ」
「ただ、悪い人ではない……とは、思いたいですかね」
ジョンさんとご令嬢は、揃ってキョトンとした顔をする。こう見ると、二人はなんだか似てるな。まるで父娘みたいだ。
「昔、俺の家庭教師をしてくれた、竜族のカ・ルーホって方がいたんです。彼もご当主の学友だったって」
「……あぁ」
目を閉じて、懐かしい顔を思い出す。
カラスのような黒い羽と嘴。
誇り高い背中。
「先生が昔言っていたんです。タイゲル家当主は、軽薄だが芯は一本あるやつだ……って」
「……そうか」
「珍しいんですよ、先生が人族を褒めるのは。ルーホ先生にそう言わせる人が、悪い人であってほしくないな、と」
ジョンさんは気の抜けた様子だ。
緊張もすっかり解れたらしい。
ほどなくして呼びに来た執事に連れられ、俺たち三人は揃って応接室に通される。執事のおじいさんがやけにニヤニヤとしていたのが気になった。
応接に入る。
俺は扉のそばの席へと案内される。
一方のジョンさんが向かったのは、扉から遠い上座。俺と向かい合わせになる形だ。後ろをついて行ったご令嬢が、彼の横に立つ。
この配置は……。
ジョンさんは立ち上がり、胸元のボタンを外した。
メイドが現れ、豪華な上着を羽織らせる。
彼は口角を上げながら歯をむき出しにする。
「初めまして。ジョン改め、当主のホルワイト・タイゲルだ。隣は娘のダイアナ」
「え、えぇぇ……」
「てめぇ、さっきはよくも好き勝手言ってくれたな」
すっかり顔を赤くした当主。
爆笑しているダイアナさん。
執事さんも非常に愉快そうに目を細めていた。
確かに型破りではあるけどなぁ……。
そういえば、いろいろと失礼なことを口走った気がする。
大丈夫かなぁ。





