すごく良い表情だった
王都に着いたのは、冬の終わり頃。
俺は一人、貴族街のクロムリード邸へと向かう。
繁華街や広場。
王都の様子は以前とそこまで変わらない。
ただ、パーソナルカードの普及率がかなり上がっていた。ポイント支払いに対応する商店もチラホラと見かけるようになっているし、道行く人がカードで通話している様子も見られる。
報告としては聞いていたんだけど、実際に目で見ると嬉しいもんだなぁ。
家の門までたどり着く。
顔見知りの門番さんの姿が見えた。
俺は手を振って駆け寄る。
「お疲れ様。元気だった?」
「坊っちゃん! ずいぶん身長が伸びましたな。こちらは変わりなく過ごしておりますよ」
我が家では保有していた奴隷を順次解放していた。
警備奴隷、家事奴隷や職人奴隷だった者たちも今は給料で雇われている。強制はしていないけど、彼も含めて奴隷時代と同じ職務に付く人は意外と多い。
また、恋仲にあった奴隷同士には正式に世帯を持つ者も多かった。彼もまた、家事奴隷の一人を奥さんに迎えていた。
「そういえば、おめでただって?」
「えぇ、次の春の間には生まれるだろうと」
「おめでとう。もうすぐ父親かぁ」
門番さんは照れたように笑う。
彼は奥さんと二人、家族用宿舎で暮らしていた。これから人数が増えるとなると、部屋が少し手狭かもしれない。拡張も考えようかな。
領地での暮らしを望む者は、グロン兄さんが秋のうちにマザーメイラに連れ帰っていた。一方、王都の屋敷や工房で働く者たちには宿舎を用意している。
部屋の広さで独身用と家族用の棟を分けてあるけど、設備に大きな違いはない。四肢が不自由な者にあわせたバリアフリー設計だ。
「坊っちゃんは奴隷に優しいですな」
「普通だよ。それに、もうみんな奴隷じゃないでしょ」
「そうでしたな……でも、妊娠休暇なんて聞いたことありませんよ。給料をもらいながら夫婦で休めるなんて」
奥さんはお腹の張りが酷いため、早めの休暇を取ってのんびりしている。門番さんも一緒に休んでいいと言ったんだけど、さすがに気まずいからと、週に何度かは働いているみたいだった。休んじゃえばいいのにね。
幸いなことに、奥さんはゆっくり横になっていればそこまでつらくはないらしい。
「家は今どんな感じ?」
「当主様とミラ様が王都に滞在中です。当主様は本日は王都北東の温泉町へ。久々に羽を伸ばしていらっしゃいます。ミラ様は例の……」
「護身術?」
「はい、貴族のお嬢様方を相手に庭で指導していらっしゃいます。見に行かれますか?」
「んー、荷物を置いたら行ってみるよ」
姉さんが武術の師匠か。
一体どんな感じなんだろう。
俺は門番さんに手を振って母屋へと向かった。
庭に向かうと、ミラ姉さんが指導をしていた。
横にはマール姉さんも立っていて、ミラ姉さんのサポートをしている。門下生は20名ほど。みんな動きづらそうなドレスを着て組手をしていた。なんでも、パーティーで襲われても対処できるよう練習してるんだとか。
姉さんはなかなか堂々としていて様になっていた。
「ミラ姉さん」
「あら、リカルド。今着いたの?」
「うん。ごめん、邪魔しちゃったかな」
ミラ姉さんと話をしていると、門下生たちがチラチラと俺に目線を向けた。
マール姉さんがこちらに来る。
「リカルドさん、お久しぶりね」
「マール姉さん。ずいぶん調子がいいみたいだね」
マール姉さんはすっかり元気だ。
命力硬化症の症状はもうしばらく出ていない。経過も順調で、最近は魔導笛がお気に入りのようだ。命力を込めながら、様々な音色で演奏を楽しんでいるらしい。
関節の可動域を広げるリハビリも、強化外骨格を用いて順調に済んだ。今ではミラ姉さんのサポート役として護身術の指導ができるまでになっている。
それにしても、グロン兄さんの作った治療用の魔道具はずいぶん種類が豊富になったものだ。筆、笛、彫刻、歌唱といった芸術系の魔道具から、調理器具や食器などの生活品に至るまで。患者さんの趣味嗜好に合わせた無理のない治療が可能になっていた。
マール姉さんとしばし話をしていると、ミラ姉さんが思いついたように手を叩いた。
「そうだ、ちょうど良いわ、手伝ってくれる?」
ミラ姉さんがニヤッと笑う。
なんだか嫌な予感がする。
俺は視線をそらした。
マール姉さんの苦笑いが目に入る。
「私やマールが相手だと、みんな遠慮しちゃって」
「え?」
「お願いしたいのよ、投げられ役」
投げられ役……?
見ると、門下生たちは目を爛々と輝かせていた。
一見お淑やかにドレスを着こなしている彼女たちは、その下にしっかりと戦闘用の装備を身につけている。
護身用肌着。
ミラ姉さんが作った簡易版の強化外骨格で、暴漢に対して無手で立ち向かうための投げ技や関節技などに特化してサポートしてくれるものだ。
ミラ姉さんは俺の肩に手を置いて微笑む。
巻き込まれるのは決定事項らしい。
俺はため息をつきながら、変形外套を【ジャイアント】に切り替え、大柄な暴漢役に徹することにしたのだった。
フラフラになった俺が休憩している木陰に、ミラ姉さんが現れる。ちょっぴり申し訳なさそうな顔をしながら、コップを持っていた。
「ありがと、リカルド」
そう言って俺の横に腰掛け、コップを手渡してくる。
俺は果実水をゆっくり口に含みながら、組手を続けるお嬢さんたちに目を向けた。
「武術の師匠なんてはじめは嫌がってたのに、ずいぶん熱心に教えてるんだね」
「うん。まぁ、ね……」
姉さんは背伸びをすると、遠くを見るような目で空を仰いだ。カラッと晴れている、澄んだ青空だ。
「覚えてる? ずっと前に、リカルドについポロッと漏らしちゃった言葉」
「え?」
「男に生まれれば……って。あの時は、魔道具の教本すら開かせてもらえない自分が嫌で。魔道具職人の修行に真面目に打ち込まない兄さんにも憤りを覚えてた」
魔導インクを作った時のことか。
あの頃は、姉さんらしくない沈んだ顔をしてたな。
姉さんが魔導インクで初めて描いた光の魔法陣は、今でも机の引き出しに大事に保管されている。
「弟子になりたいってお嬢さんの一人が、言ったの」
「……」
「女じゃなければ良かった……そうすれば、腕ずくで嫌なことをされることも、誰にも言えず泣き寝入りすることも、なかっただろうって」
姉さんは少し顔を伏せた。
貴族法では、無理やりにでも既成事実がある場合、男性は責任を取って女性を妻にすることになっている。だが、女性側もそんな男に嫁ぎたくないだろう。
結果的に、陰で襲われても声を上げることが出来ない状況が出来上がる。
上下関係に厳しくて面子を重要視する、男尊女卑の貴族社会。傷つく女性も多いそうだ。
姉さんは俺を見て、柔らかく微笑む。
「リカルドみたいに……なりたかったの」
「え?」
「新しいものをバシッと作り出してね。ほら、もう大丈夫でしょ、なんて。なーんでもない顔して、みんなにサラッと言ってあげるのよ。それが私のやりたいこと」
「……そっか」
「うん」
だから、もうちょっとだけ婚活は後回し。
苦笑いしながらそう言った横顔は、姉さんらしいすごく良い表情だった。





