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これ以上何も言うつもりはない

 8歳の冬が始まった。

 雪こそ降ってはいないものの、最近は朝晩の冷え込みが次第に辛くなってきている。


 俺たちはあれから、イビルシールの北にある特別保養施設に滞在していた。

 ここは通常、身体と精神を病んでしまった巫女が最期の時を過ごす施設だ。5年から10年に一度使われる場所で、豪華だがかなり古い石造りの邸宅である。


「リカルド……たすけて」


 部屋に入ってきたレミリアの長い耳は、それはもうキンキンに冷え切っていた。二人でソファに座り毛布にくるまる。


「へっちゅん……」

「相変わらず、可愛いクシャミ」

「……ばか」


 いつものように、冷えた耳を指でこね回す。

 レミリアは脱力して俺に体を預ける。最近は俺の耳いじりスキルも随分向上したようだ。


 はぁ、落ち着くなぁ。


 そんな風に過ごしていると、トントン、と扉をノックする音が聞こえた。俺はレミリアの耳をこね回しながら首だけでそちらを向く。どうぞと言うと扉が開いた。


「あ、ジェイドさん」

「……ずいぶんと爛れた生活を送っているな」

「今日はどうされましたか?」

「お前たちにいろいろと報告がある……のだが、その前にレミリアの耳から手を離したらどうだ」


 俺とレミリアは顔を見合わせると、ソファに大人しく座り直した。

 獣族のおばさんがお茶を持ってきてくれる。彼女は普段町長の家で働いてる家事奴隷らしいんだけど、俺達の滞在期間中はこちらで世話をしてくれていた。



 黒い悪夢への対処が全て終わった後、ジェイドさんはレミリアに謝罪をした。床に頭をこすりつけながら、声を震わせて。


『レミリア。本当に申し訳なかった。私が、ただただ愚かだった。兄を名乗るのもおこがましい……許してくれなどとは、とても言えない……』


 残酷な仕打ちをしたこと。それなのに、ルルシアさんを救ってくれたこと。そして、手のひらを返したように謝罪をする自分自身への嫌悪感。

 俺としては言いたいことは沢山あったけれど、ジェイドさんへの対応はレミリアに任せることにした。そうしてほしい、と彼女に請われたのだ。



 対面に腰掛けたジェイドさんは、書類の束を取り出して机に置いた。最近は色々と忙しくしているようだ。


 彼は一枚の契約書を俺に差し出す。


「婚約締結書?」

「お前たちのな。クロムリード家とジルフロスト家で正式に取り交わした」


 あれ、既成事実で略奪結婚する話は……。

 そう聞くと、ジェイドさんは視線を逸らし、ため息を漏らした。


「そんな外聞の悪いことできるか。クロムリード家のみならず、ジルフロスト家の面子としても問題がある。幸いレミリアに婚約者はいないしな。どうせ強引に嫁にするつもりなら、はじめから婚約者にしてしまった方が何かと面倒がないだろうが」


 レミリアの顔を見ると、口をモニモニと動かして幸せそうにしている。

 何が変わるわけではないけど、やはり公式に認められた仲になるのは嬉しいものだな。俺はレミリアの目を見つめ、頭を撫でる。すると、彼女はくすぐったそうに俺の胸に頭を預けてきた。


「ふん。平和そうな顔だな……町ではまだ、お前たちは療養中の扱いなんだが」

「……まだ町は騒がしいですか?」

「あぁ。大変な騒ぎになっているな。みんな毎日大笑いして酒を飲んでやがる。お前たちに向かって乾杯し続けているぞ」


 そっか。以前のような、淀んだ顔じゃなくて、笑って酒瓶を傾けているんであれば、それは本当によかった。

 俺は嬉しくなって、レミリアの耳をこねながら小さく笑う。


「例の動画もずいぶんと盛り上がってる。町の様子が落ち着くまでには、まだ少しかかるだろう」

「……なんとかなりませんかね」

「諦めろ。むしろ、この動画の存在で各種調整がスムーズに済んだのだ。クルスとかいう奴に感謝するんだな」


 以前、俺達の動画を投稿した少年クルスは、今回の黒い悪夢との戦いでも当然のように撮影・編集をしてネットワークに投稿していた。どうやら、遠方からカメラの望遠機能を使って撮影していたらしい。編集の腕もメキメキと上がっているようだ。


 そして、この動画は国中に衝撃を与えた。

 彼はすっかり動画投稿主として有名人になり、動画の評価も伸び続けている。狩人をしなくても、それだけで生活できる程に稼いでいるらしかった。


 そうそう、彼の成功に続けと面白い投稿者も出てきているんだけど、どうにもみんな二番煎じ三番煎じ感が拭えなくて。なんというか、パッとしないんだよね。


「あー……脱線したな。次の書類だ」


 ジェイドさんは別の書類束を取り出す。


「上級貴族ドラグル家から、我がジルフロスト家への都市開発依頼書。そしてドラグル配下の中級貴族家各当主からの同意書だ」

「それってつまり──」

「あぁ。この町を防衛都市として開発する件、正式に許可が下りた」


 封印の町イビルシールは、東のドラグル家が直轄している町だ。俺やジルフロスト家が勝手に開発するわけにはいかない。

 ただ、次回以降の黒い悪夢に備えるには、白い塔の森をちゃんと整備しなきゃならない。エネルギー生産も整え、不測の事態にも巫女なしで対応できるようにしておく必要があるだろう。


 とにかく、都市開発の許可が下りてよかった。今回の対処で計測した各種データも、かなり役に立つのではないだろうか。


「……新しい都市を作る。ジルフロスト家が管理するという体制には、まだ各所から不満も出ているがな。いずれ収束するだろう」


 各家持ち回りとはいえ、東の中級貴族にとって魔神の巫女を輩出するのは金銭的にも精神的にもかなりの負担が伴う。厳しい意見もいろいろと出たが、都市開発自体に反対する声はなかった。どうやら動画の効果も大きいらしいけどね。

 多くの中級貴族家から署名をもらえたので、ドラグル家の決断も早かったようだ。


 ジェイドさんが書類をめくる。


「そういえば、たしかお前はあの白い塔の群れを『白い森』と表現していたな……だが、町の者には『悪夢を喰らい尽くす幻狼の白い牙』のように見えていたらしい」

「……どういうことですか?」


 問いかけると、ジェイドさんは都市計画書の最初のページを見せてきた。そこにあったのは、新しく作る都市の名前だ。


「えっと、防衛都市フェンリスヴォルフ(地を揺らす幻狼)……」

「そうだ。ちなみに、都市名についてはお前の素案は満場一致で却下だったぞ。なんだあれは」


 そんな。白い塔に黒い悪夢。白黒都市モノトーンドリーム。ぴったりだと思ったんだけどな。


 俺の提案した都市名には太い斜線が引いてあった。


 レミリアが俺のことをジト目で見る。

 ダメだったか。


「最後の書類だ。読め」

「召喚状? これって」

「西のタイゲル家からだ。王都に来いとさ」


 う……。行きたくないなぁ。


「一応、俺には療養中ですって建前が……」

「だから向こうも建前で、王都にお前用の療養施設を用意したと書いてあるだろう。言っておくが、上級貴族の呼び出しを断れると思うなよ」


 本当に面倒だ。

 父さんいわく、当初は我が家の力を削ぐ動きが強かったらしいんだけど、最近では我が家を取り込もうとする動きのほうが盛んなようだった。

 その中でも特にタイゲル家は、次男の俺になぜだか着目しているようなんだけど。


「マザーメイラにはタイゲル家から婚約者も来ているんだろう……生まれたての赤ん坊だったな。そのあたりの話もいろいろあるんじゃないか」

「だから嫌なんですよ……」


 心の底から深いため息が出る。

 こうなったら、この前作った婚約を破棄する魔道具を……使うべきかなぁ。悩ましい。


 レミリアは俺の肩を叩き、ゆっくり微笑んだ。


「リカルド……きっと大丈夫」

「レミリア?」

「貴族社会で生きるなら、仕方のないこともある。たぶん、変なことはされないはず」


 確かに今のクロムリード家を敵に回すようなことはしないだろうけど。


「でも都市の開発も残ってるし」

「フェンリスヴォルフの都市開発は、私がやっておく。本当は一緒に行きたいけど……これはきっと私の役目だから」


 レミリアが俺の頭を撫でる。

 そうなると、またしばらくレミリアと離れなければならないのか。まぁ、グロン兄さんの結婚式には一緒に出席するだろうから、ずっと離れてるってわけでもないだろうけど。


 レミリアの耳を触ると、彼女は俺の頬を包み込む。そんな俺たちの様子を、ジェイドさんはなんとも言えない微妙な顔で見た。


「おい、リカルド」

「……なんですか?」

「あー……お前と最初に会った時の話だ。全てが終わったら、一つだけ願いを聞いてほしい、と言っていなかったか。その、なんだ……。可能な限り便宜は図るが」

「んー、そうですね」


 俺は姿勢を正してジェイドさんを見た。

 彼は首を傾げて俺を見る。


「まず、可能な限り、耐え難い地獄を想像してみてください」

「……あぁ」

「本当に想像できてますか。例えばそうですね……灼熱の鉄板の上で、熱された鉄の甲冑を着て踊る。手足から伸びた四本のロープを四台の猪車とつないで、猪車を東西南北に走らせる。体を固定して水を飲んだり吐いたり飲んだり吐いたり。逆さに吊ってノコギリで──」


 俺は指を一つ一つ立てながら話をする。


 彼は気分の悪そうな表情をし始めた。

 かなり具体的に想像しているのだろう。

 ひとまずこんなもんかな。


「いいですか。今度レミリアを傷つけたら」


 俺はジェイドさんに顔を寄せる。


「今言ったモノなど、生ぬるい天国だ、と言わせてあげます。地獄というのは、死後ではなくて生きている間に行く場所のことですよ。覚悟しておいてください。その程度の技術はありますから」


 口角を上げて彼を見る。

 すると、彼はコクリと頷いた。


 まぁ、この世界の基準だと甘いんだろうな。

 レミリアのことを思えば、割り切れない感情もある。でも、そのレミリア自身が「任せてほしい」って言ってるしなぁ。


「お願いしようと思っていたことは、もう大丈夫です。レミリアのことを役立たずって呼ばなくなりましたし。謝罪の言葉も受け取りました」

「……あぁ」

「それに、俺たちの婚約のこと。本当はけっこう大変だったんですよね。あと、実はあなたがこっそり、古い火傷跡を治せる治癒魔法使いを探し回っているのも、知ってますし」


 そう言うと、ジェイドさんは気まずそうに目をそらした。心の中までは読めないけど、過去の行いについては、彼なりに後悔しているんだろう。


「とにかく、俺からはこれ以上、何も言うつもりはありません」


 レミリアと視線を交わし、頷く。

 母親が違うこともあるからか、レミリアとジェイドさんは顔立ちがあまり似ていない。政略結婚した第一夫人がジェイドさんの母親で、恋愛結婚した第二夫人がレミリアの母親だ。そして、レミリアの実母はもう亡くなっている。


 虐めの中心にいたのは、第一夫人らしい。

 だから、ジェイドさんとは和解したとは言っても、俺としてはあまりジルフロスト家に深入りしない方がいいと思ったんだけど。


『それでも、もう少しだけやってみる。どうせ最後はリカルドの腕の中に収まるって、決まったから。マスターの人格を取り戻す糸口になるかもしれないなら、やれるだけやってみようかなって』


 家族だから無条件に仲良く、なんていうのは幻想だろう。結局は人と人の関係だし、変えようのない気持ちもある。


 ただ、以前とは変わったことも多い。

 ジェイドさんは、淡々とレミリアのために動くことで贖罪を始めた。その奥さんのルルシアさんは、レミリアの火傷を撫で、事情を知り、涙を流していた。


 何より、レミリア自身の横顔は、出会った頃よりも凛々しく力強い。


「レミリア、辛くなったら俺に言うんだよ。すぐ助けに来るからさ」


 レミリアが少しでも納得できる形に落ち着いたらいいよな。彼女の耳を撫でながら、俺はそんなことを願っていた。

これにて六章終了です。

たくさんのご感想・ポイント評価、本当に感謝します。

今後ともよろしくお願いします。

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