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そんな気がしていた

 神殿の旗が白から黒に変わった。

 3歳の冬。本格的に冷え込んできた空気に、吐息が真っ白に染まる。


 工房に暮らすみんなが早朝の庭に集められると、父さんは真剣な表情で話を始めた。


「……サルトの開発した魔道具が協会に認められ、準職人から職人への格上げが正式に決まった。今しばらくはこの家で働く予定だが、来年の春には嫁を娶り、新しい工房を作って独立することになる」


 その発表に、工房のみんなが湧く。

 研究熱心で優しいサルト兄さんのことを慕っている人は、弟子にも奴隷にも多かった。また、職人になっても修行していた工房でそのまま働く職人が多い中、20歳で自分の工房を持つサルト兄さんの優秀さは際立っている。


「サルトの考案した魔道具のいくつかは、来年からは新しい工房の方に生産が移る。合わせて、弟子や職人奴隷の何名かはサルトの工房に移ってもらうつもりだ。希望があれば私やサルトに打診してほしい」


 サルト兄さんと一緒に魔道具を考案したメンバーや、生産を担当している職人奴隷、彼らと恋仲である家事奴隷などは一緒に移り住むことになるのだろう。サルト兄さんの隣にいた弟子の一人が、ニヤリと笑ってその背をバンバンと叩く。


 一方で、浮かない顔をしている人たちもいた。


 例えば、この中で一番古株の弟子であるヘゴラ兄さん。

 彼は次の春が来れば30歳になるはずだ。だが、独立した職人として認められるにはもう一歩足りないようで、その表情からは若干の焦りがにじみ出ていた。結婚する見込みも立っていない。


 そして、俺の実兄であるグロン兄さん。

 先日も夜中に小さい音で弦楽器を鳴らしていたが、いまだ修行が行き詰まっていて、ミラ姉さんとの仲も険悪だ。その視線はヘゴラ兄さんに向いているけれど、自分の将来への憂鬱を深めているのだろうか。



 いつも通りの朝食の場になれば、ミラ姉さんは待ち構えていたかのように容赦なくキツい言葉を吐き出す。もちろんその向き先は、険しい顔をしたままのグロン兄さんだ。


「あーあ、ずいぶん長いスランプだこと」

「……ふん」

「やっぱり職人として認められるには、やる気が大事よね。グロン兄さんよりリカルドの方が早く職人になるんじゃないかしら」

「……ちっ、黙れよ」


 グロン兄さんが逃げるように窓の外を見れば、ミラ姉さんはつまらなそうに鼻を鳴らす。二人の仲は悪くなる一方だ。父さんが嗜めれば大きな喧嘩には発展しないけど、家の空気はずっと悪い。その様子を見ながら、俺はポケットの中に手を入れた。


 二人のために用意した秘策。

 コレ(・・)で状況が変わるといいんだけど。


 ダイニングを後にして庭に出ると、待っていたのはルーホ先生だった。木の切り株に腰を下ろし、その手に手紙のようなモノを持って何やら読み耽っているようだ。俺の足元で落ち葉がカサリと音を立てると、先生はさっと顔を上げる。


「リカルドか……。さぁ、今日も授業を始めるぞ」


 朝の発表のゴタゴタがあったため、少し遅れる形でルーホ先生との授業が始まった。

 この頃は10日に一度くらいの頻度で街に出かけていて、様々な場所に赴いては先生から色々なことを学んでいる。机上での勉強も続けているが、文字や計算などの基礎はある程度固まってきていたため、授業時間は午前中だけになっていた。それでも、新しく学んだことは沢山ある。


 例えば歴史について。これは面白かった。

 歴史と言っても、資料が残っているのはここ500年程度のことで、それ以前のことはどの種族にもちゃんとした記録としては残っていないらしい。歴史書の冒頭には荒唐無稽な神話がそれらしく載っていて、その最後に神殿の起源が語られている。それを神殿歴1年として、この世界の歴史が綴られていくのだ。

 現在は神殿歴512年。神殿は国を跨いで様々な記録を収集・保管し続けていて、歴史学者がその資料を研究しては、一般人にも分かりやすい書籍などにしている。


「歴史に残っている約500年。そのどこを見ても、不変・不滅のものは存在していない……。人生は『突然の出来事』と言うモノで出来ている、などと言った変動期の歴史家もいるものさ」

「確かに。過去の大国もどんどん滅んでいきますし、細々と続いている国も政治形態自体はコロコロ変化していますしね」

「そうだな……」


 ルーホ先生は左手で俺の頭を撫でながら、何やら懐かしそうに空を見上げた。


「どんな変化や終わりが来ても、強く誇りを持って生きていけ。自分の芯がしっかりしていれば、何事も乗り越えていける。竜族では、子供にそう教え込むものさ」


 竜族らしいですね、と言うと、先生は俺を見て穏やかに微笑んだ。


 ちなみに、歴史と並行して精霊学についても学んでいたけれど、こちらは辛い授業だった。というのも、この学問は「様々な物理現象は目に見えない精霊の行動によって起きている」という理屈で成り立っているんだけど、その説明の根拠が酷いのだ。「神官の誰々さんが神のお告げを夢で聞いた」という記述が延々と続いていくのである。

 この世界には魔法や魔道具があるから、全ての神秘を否定するつもりはないし、前の世界と物理法則も違うだろうと思っている。それでも、その「精霊モデル」を使って説明できないことがあまりにも多く、複数の理論間での矛盾も多かった。


 ルーホ先生も精霊学については懐疑的な態度を取っていたけど、「精霊学を知らないと意味のわからない慣用句などもあるからな。とりあえず参考情報程度に把握しておけ」と話し、半ば投げやりな授業になっていた。


「なぁ、リカルド」

「なんですか、先生」


 歴史書に落としていた視線を上げ、先生を見る。


「既に気づいているも知れないが……お前の今勉強している範囲は、一般的な家庭教師が教える内容を逸脱している」

「やっぱりそうですか」

「あぁ。学校に通うような貴族が、時間をかけて成人までに習う内容だな。お前がどこまでも付いて来るから、私もつい調子に乗って教え過ぎてしまった」

「ですよね……。薄々、そんな気がしてました」


 顔を見合わせたまま、どちらからともなく笑い合う。

 ミラ姉さんなんかと話をしていても、歴史や精霊学に関しては全く知らないようだった。前の世界ほど数学理論が発展しているわけでもないから、家庭教師という立場から学ぶような内容はもうさほど残っていないのだろう。


「この冬が明けたら、私は祖国に帰ることにする」

「先生……」

「実家から手紙が来てな。父親の体調が思わしくないらしい……。これでも家を継がねばならぬ立場だから、帰らないわけにはいかないだろう。もう少し、お前がどんな風に成長していくのか、もう少し見ていたかったが」


 そう言って、ルーホ先生は先程読んでいた手紙をヒラヒラと揺らすと、丁寧に畳んで懐にしまう。

 先生がどういう経緯で俺の家庭教師になったのかは不明だけど、おそらくは竜族国に確実に戻る必要のある身分、貴族か何かなんだろう。寂しくなるけれど、いつまでも拘束しておくわけにはいかなさそうだ。


「帰国までに、もう一つくらい言語を学んでおくか。ロムル語以外の人族の言語だと、北の人族帝国ソリッドの帝国語か、南のクレル諸島のリゾ語あたりなら多少は教えられるが」

「じゃあ……」


 俺はルーホ先生の目を見て、兼ねてから考えていたことを相談する。


「あの、竜族の言語を学びたいです」

「ん?」

「この先どうなるか分かりませんが、そのうち旅行か何かで先生の故郷に行ってみたいなって。竜族の言語が分かればと思ったんですが……ダメですかね?」

「うーむ……」


 先生は頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。

 そして、細い舌をシュルシュルと出しながら小さい音を出したり、歯の間からシーシーと音を出したりし始めた。突然のことに、俺は首を傾げるしかなかった。


「聞き取れたか?」

「いえ……」

「そういうことだ。神殿が共通語を制定した大きな理由は、異なる種族間でもコミュニケーションを取れるようにするためだ。種族によっては発音に癖も出るが、概ねどの種族にも発音・聞き取りがし易いよう考えて作られている。共通語のできる以前は、種族間での争いが絶えなかったらしいからな……。根本のところから難しいのだろう」


 そんな話をされれば、竜族語を習うことは諦めざるをえなかった。結局、残りの期間で習う言語は、クレル諸島のリゾ語に決めた。海産物の美味しい場所らしく、旅行で訪れるなら竜族国よりも楽しめるだろうというのが先生の言だ。


「さて、今日の午後はいよいよか」

「はい。あの策で上手くいくといいんですけど」

「あぁ……私もそう願っている」


 気がつけばずいぶん日も高くなっていた。もうすぐ昼食の時間だろう。

 俺はルーホ先生に一礼をすると、読んでいた書籍を鞄に仕舞い込み、母屋へと戻っていった。


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