最大限頑張るだけだ
魔神の巫女にはいろいろな我が儘が許される。
やりたい事、食べたい物、着たい服、見たい歌劇。可能な範囲で各種調整がされ、町にはモノが溢れる。ただ、今回の巫女はあまり多くを望まなかった。
恋人との結婚式を挙げたい。
彼女が願ったのは、ただそれだけだった。
巫女の館の前では結婚式が行われたのは、夏の暑い日のこと。新郎はジルフロスト家の長男で、新婦は魔神の巫女である。
町の人に見守られながら、神官の説法を聞く。そして、純白のドレスを着た新婦を、新郎は横抱きにして館へ入った。二人は正式に夫婦になり、短い新婚生活を送りはじめた。
それだけを切り取れば、幸せそうな光景だっただろう。
それから数日後。
俺とレミリアと共に一軒の宿へ向かった。
そこは貴族が宿泊するような高級宿で、広い会議室は大商会の打ち合わせなどにも使用されるのだという。今回はそんな場所で、とある人物と面会することになっていた。
宿の人の案内で、応接室へと入る。
そこにいたのはジルフロスト家の長男。レミリアの兄だ。
歳はグロン兄さんと同じくらいだろう。見たところ、彼はレミリアとはあまり似ていなかった。赤い髪、長い耳、鋭い目つき。不機嫌そうにこちらを一瞥し、俺たちへ着席するよう促す。
「リカルド・クロムリードです」
「ジェイド・ジルフロストだ。噂によると、クロムリードの次男は、病気で領地に引っ込んでいると聞いていたが……」
「少し体調が良かったもので、フラッと」
「西からここまで来た、か? まぁいい」
レミリアの兄、ジェイドさん。
彼はレミリアを見ながら、憎々しげに顔を歪めた。
「生きていたか、役立たず」
「……はい。この通り」
それだけ吐き捨て、彼は再び俺を見る。
イライラと足を鳴らしている。
「重要な話とは何だ。俺は忙しい。手短に言え」
彼はきっと、早くルルシアさんのもとに帰りたいのだろう。期間限定の新婚生活だもんな。
俺は事前にレミリアから頼まれていた通り、彼の暴言については何も指摘せずに話を進めることにした。
「では簡潔に要点だけ。レミリアは俺の嫁にします。あと、巫女は彼女がやります。ご質問は?」
「……質問だらけだ馬鹿野郎。順を追って話せ」
えー、なんて理不尽な。
言ってることが真逆だ。
そう思って横を見ると、レミリアが俺をジト目で見ていた。やっぱりダメだっただろうか。
「では1つ目。現在、レミリアに婚約者は?」
「今はいない。生きていたのなら、せいぜいどこかの下級貴族の後妻あたりに落ち着くだろう。こんな火傷面の役立たず、貰う側が気の毒だが」
「えっと、申し訳ないのですが……」
俺は彼に頭を下げる。
「彼女とは既成事実がありますので、貴族法に則り、私は責任を取ってレミリアを妻にすることにしました。慰謝料の相談は私の父とどうぞ。パーソナルカードを持っていらっしゃれば、連絡先をお教えします」
ミラ姉さんが第五王子に襲われそうになった例の件と理屈としては同じ。襲っちまえばこっちのもん作戦である。
もちろん、まだ8歳の俺達に体の関係があるわけはないけど。まぁそれについては、俺達が「ある」と言い張ればどうとでもなるわけで。
レミリアは彼に見せつけるようにピトッと体を寄せてきた。俺は彼女の肩を抱いてアピールする。
よし、完璧だ。
「……物好きな奴。まぁいい、役立たずの処遇についてはどうとでもなるだろ。最終決定は父だが」
「ありがとうございます」
レミリアは生まれつき魔法を使えなかった。つまり、魔法貴族としては欠陥品扱い。婚約者もいなかった。俺たちの結婚で困らせる人は少ないんじゃないかと思う。
人生、何が幸いするかわからないものだ。
「それで。もう一つの件だが」
「はい。レミリアがルルシアさんに代わり、今回の巫女をやります」
次の瞬間、ジェイドさんの怒気が膨らむ。
そして、レミリアに激しい憎悪の目を向けた。
「おい、役立たず。魔神の巫女になる条件は」
「……結界魔法を使えること」
「そう。使えることだ」
彼は立ち上がり、右手を前に出す。
ボソボソと何かを呟いて手を動かすと、手の前に【炎球】が生まれる。こうして距離があっても、肌が焦げるような熱量を感じる。
「ルルシアに代わるだと。馬鹿言え。適正はあっても、命力のないお前に務まるはずがない」
「……使えるように、なった」
「ふん。ならばこれを防いでみろ」
彼は右手を複雑に動かす。すると、赤かった【炎球】は次第に青白く変化していった。激しい熱と光を放ちながら、それは小さく凝縮されていった。
これは俺の装備では防げないだろう。
「馬鹿な夢物語で俺を惑わすつもりか。ふん。仮に魔法を使えるようになったとして、お前が俺たちを助ける義理がどこにある」
「……」
「ルルシアの事で苦しむ俺に、あらぬ夢を見せて──なぁ役立たず、それは復讐か何かのつもりか。憎いだろうなぁ。お前の顔を焼いた俺のことが。俺もお前が憎いよ。お前に魔法が使えれば、ルルシアが身代わりになることはなかった……!」
そう言って、ジェイドさんは【炎球】を放り投げる。
次の瞬間、レミリアは【魔法壁】を発動した。
半透明の壁が、魔法をかき消す。
目を丸くしている彼に向かい、レミリアはしっかりと立って胸を張った。
「この通り……私は、魔法を使える」
過去、命力の足りないものが後天的に魔法を身につけることはなかったと言われている。怪我や病気の類ではなく、身に持って生まれた性質の話だからだ。
レミリアは魔法腕輪を見せつけ、簡単に説明する。
「魔法を使える理由は、道具で補ったから。それに……ルルシアさんを助ける理由は、義理や復讐なんかじゃない。私自身が『レミリア』を助けるため」
レミリアの言葉に、ジェイドさんは訝しげな顔をする。
「魔法使いには、魔法知識とともに頭に焼き付けられた別の人格が宿っている。兄さんも持っているから知ってるはず」
「……お前は」
「そう。私はマスター・レミリアの魔法人格」
魔法に関する膨大な知識。
それらは、少し勉強した程度で簡単に身につくものではない。古から伝わる陣型魔法の中には、そういった魔法知識を脳内に転写するモノもあった。
魔法貴族の子供は、生まれてすぐに適正に応じた魔法知識を頭に書き込まれる。同時に、もとの人格を壊さないため、魔法知識を扱うための第二の人格が作られる仕組みになっていた。
それが、魔法人格と呼ばれるものだ。
彼女はゆっくりと立ち上がる。
「あの日。あなたに顔を焼かれ、姉さんに体中を裂かれ、お母様に土手から蹴り落とされた日。最後に『消えたい』と口にして、マスターの精神は閉ざされた。あれから……ただの一度も目を覚ましていない。これまでずっと、私がレミリアとしてこの体を動かしてきた」
彼女は震えながら俺の手を握る。
俺はその手を強く握り返す。
「好きな人ができた。だから旅に出た。ルルシアさんを救う。マスターの人格を目覚めさせる。それから、マスターにもリカルドを好きになってもらう。それが出来たときに初めて……私の気持ちを伝えるつもりだった」
ルルシアさんは、魔法を使えないレミリアにも優しく接してくれる人だったのだいう。だからなおさら、身代わりにしてしまうことに深い罪悪感を覚えていたのだ。
ルルシアさんを救わないと、レミリアの主人格はこのまま一生目覚めなくなる気がする。彼女がそんな確信を持っていたのは、幼い頃から感覚を共有してきたからだろう。
彼女は真っ直ぐな目でジェイドさんを見る。
「リカルドが追いかけてきてくれて、順番が変わった。先にお嫁さんにしてもらっちゃった。だからこそ……胸を張ってリカルドの横にいるために。マスターを目覚めさせるために。私は巫女になる」
そう宣言すると、レミリアは静かに座った。
ジェイドさんの表情からは、感情は読めない。
俺は彼を見ながら口を開いた。
「ジェイドさん。最後に一つだけ」
「……なんだ」
「もし全てが終わった時にルルシアさんが無事だったら。その時は一つ、俺からもお願いしたいことがあります」
「……内容は?」
「それは、終わった後にでも」
さてと。
あとは俺も、最大限頑張るだけだ。





