祝福しているように聞こえた
岩山の周囲は、真夜中になっても吹雪が続いていた。
聖女に用意してもらった宿泊室で、俺の前に腰掛けているのはヘゴラ兄さんだった。彼はバツの悪そうな表情で、視線を逸らしながらボソボソと言葉を紡ぐ。
「リー坊。その、久しぶり……だな」
改めて見ると、ヘゴラ兄さんは弟子だった頃よりずいぶんと白髪が増えていた。彼なりに苦労をしたのだろう。
失踪した当時の事情も聞くことができた。
なんでも彼が将来のことを考えて鬱々としている時に、サルソーサス家の当主に声をかけられて舞い上がってしまったのだという。そして、ついに自分にも職人として飛び立つ時が来たのだと、喜び勇んでダーラ教に入信したらしい。
「……職人未満のこんな腕前でも、基本的な魔道具は作れるからな。人手不足のダーラ教ではそれなりに重宝されたよ。神父様の紹介で、三人の妻も手に入れた。やっと、自分の居場所を見つけた。そう思ったんだ」
しかし、その後はパッとしなかった。
クロムリード家から次々と新しい魔道具が売り出される。当然、彼にも同じレベルのものを制作することが求められたのだ。
はした金で盗人を雇っては魔道具をかき集め、分解して研究もした。それでも、全く理解の及ばない魔道具が多く、次第にヘゴラ兄さんはこの拠点での立場を悪くしていったらしい。
「リー坊。お前は聖者を名乗っているが、俺はお前の素性を知っている……協力しよう。信者たちにはお前のことを秘密にしてやる。作戦を話してくれれば手助けもするし、神父様との橋渡しだってしてやるさ。だから、俺と手を組まないか?」
そう言って身を乗り出してくる兄さん。
俺はため息をつきながら、彼を椅子に座り直させる。
「ヘゴラ兄さん、そんな建前はいらないよ。俺への偵察を神父さんたちに頼まれたんだよね。いつもの小会議室で、兄さんが報告を持ち帰るのを待ってるみたいだけど」
「っ!?」
俺の言葉に、彼は顔を歪めた。
まぁ、偵察虫で見ないわけがないからね。
「俺の作戦はここで話すまでもないよ。これから大聖堂に行くから、兄さんも来たら良い。そこで全てがわかると思うし、悪いようにはしないから」
そんな会話をして、俺は部屋を出た。
どうやら彼も後ろから付いてくるようだ。
大聖堂は信者で溢れかえっていた。
そこには、一般信者たちや幾人かの特別信者、聖女と世話係、それから3名ほどの神父も待ち構えている。夜中に祝福の儀式をする、というのが名目で集まってもらったのだ。
まぁ、ヘゴラ兄さんのように偵察目的の人もいるだろうけど、些細なことだ。
「こんばんは、皆さん」
グルリと見渡せば、みんなの顔には当初より生気が満ちているようだった。どうやら昼間はゆっくり休めたらしい。
「壁に寄りかかっている方は、すみませんがもう少し内側に。そう、ありがとうございます。そこから動いたり、外に手を出さないでくださいね」
そう言って、全員が壁から1メートルほど離れたのを確認する。みんな顔を見合わせながら戸惑っているけど、指示には従ってくれるようだ。
ふと見れば、ヘゴラ兄さんの横には三人の奥さんがいて、不安そうな表情を浮かべていた。
俺は大きな声でみんなに語りかける。
「これから皆さんがビックリすることが起こります。でも、絶対に大丈夫ですから、慌てず、私がいいと言うまで声を上げないでください。いいですね。静かにお願いしますよ」
そう言うと、みんなは緊張した面持ちで口元に手を当て始めた。うん、これなら問題ないだろう。
俺は小声でアルファに指示を出す。
すると、大聖堂の床が細かく振動し、ゆっくりと沈み始めた。
「っ!!!!」
事前に注意しておいて良かった。
部屋全体がゆっくりと地中に潜っていく中、慌てた信者を周囲が押しとどめる。みんな息を飲んで固まり、動いていく壁や床を眺めていた。
真っ暗な地下空間にたどり着くと、俺は次の指示を出す。すると、みんなの四方から壁が組み上がり、天井がせり出して淡く光り始めた。
部屋全体が前方に移動し始める。
だが、みんなは黙ったままだ。
「……あ。もう喋っても大丈夫ですよ」
俺がそう言った途端、みんなが堰を切ったように話し始めた。
「こ、これは何なんだ!?」
「一体何が起きてる」
「俺はどうなっちまうんだ」
「あばばばばばば……」
阿鼻叫喚、大混乱の図だ。
これは、もう少し事前説明をしておいた方が良かったかもしれない。これからのことを知っているのは聖女と世話係くらいで、他の信者たちは何が起きているのか全く分からないだろうから。
聖女が立ち上がったのは、俺が動き出すよりも早かった。
彼女が前に出てニコリと笑うと、取り乱していた信者も落ち着きを取り戻す。
さすがだ。
俺が何をどうしたところで、みんなの精神的な支柱はやはり聖女なんだと実感する。
「……私は皆さんを、真の信者と認めます」
聖女は静かな声色でそう語りかける。決して大声ではないのに、心地よく響く不思議な声だ。
「私はこれから皆さんを連れ、新しい都市を作りたいと思っています。ダーラ教の聖地となる、聖なる都市を」
聖女の言葉とともに、聖堂は前へ前へと進んでいく。
「そこには、奴隷など一人もいません。そして、どれだけ大勢の人が逃げてきても『もう大丈夫』と言ってあげられる。そんな、大きな大きな都市を作りたいと思っています」
彼女は胸に手を当て、ゆっくりと説明していく。みんなはその言葉を素直に受け入れているようだった。
「現在は、大聖堂から地面の下に潜り、新しい都市の予定地までモグラのように地中を進んでいるところです。地上は寒いですからね、御使い様の力に頼ることにしました」
モグラのようにと言っても、地下トンネル自体は既に掘ってあった。新都市の予定地点までは6時間ほどかかるだろうから、着く頃は朝だろう。
通ったあとは元通りに埋め戻しているから、地下教会に残っている神父たちには聖堂がもぬけの殻になったようにしか見えない。追いかけてくることもできないはずだ。
聖女はみんなを見渡して、優しく囁いた。
「到着したら、みなさんにも都市作りを手伝っていただきます。なので、今はゆっくり休んでくださいね」
そんな聖女の言葉に合わせるようにして、アルファが天井の照明を少し暗くする。みんなは安心しきった顔で布団を被り、寝息を立て始めた。
そんな中、俺は部屋の隅でアルファと話をする。
「岩山の中にレミリアはいた?」
『いえ、全てハズレでした。世話係も全員別人。拠点の壁を破壊して隠し部屋も調査しましたし、安置所の遺体や墓場の遺髪も解析しました。聖女や世話係の居住区画を含め、岩山のすべてをひっくり返して探しましたが、結果としてどこにもいませんでした』
「……うん。盛大に空振りしたなぁ」
ヘゴラ兄さんの部屋から回収しておいたレミリアのパーソナルカードを手に取る。幸いにも分解などはされていないようだけど。
そういえば、目撃証言が関所町からぱったり無くなってたっけ。たぶんそのあたりでカードを盗難にあって、ヘゴラ兄さんの手に渡ったんだな。
また探し直しかぁ。
いつの間にか、俺もみんなと一緒に寝入ってしまったらしい。
気がつけば、大聖堂は横移動を停止して上昇を始めていた。ちらほらと起き始めている人もいて、周囲の信者となにやら雑談をしている。聖女も既に起床していて、大きな杯の前で祈りを捧げていた。
上昇が止まる。
ほどなくして四方の壁が崩れていき、まだ薄暗い空が広がった。みんなはキョロキョロとあたりを見渡している。
吹雪を防いでいる都市結界や、まだ小さい世界樹、大きな滝の下には都市浄化装置もある。
そしてそのそばに、王国の神殿によく似た教会がポツンとひとつ立っていた。
俺は聖女に歩み寄る。
「着きましたよ」
「ここが……?」
「はい。これからあなたが作る都市です」
見つめ合うこと数秒。
聖女はコクリと頷くと、力強く立ち上がる。
「さぁ、みなさん。これからここに、新しい都市を作りましょう。といっても、まずは腹ごしらえからですね。まずは協力して、朝食を用意するところから始めましょうか」
彼女の言葉に、信者たちは少し戸惑った顔をしながらも活動を開始した。眠っていたものもほとんどが目を覚まし、持ってきた食材や火種を箱から出して並べ始めた。
活気に包まれるみんなを見ながら、俺は聖女にそっと話しかける。
「聖女様。ここはロムル王国のサルソーサス領内に位置しています。あなたのお父様にも既に都市作りの許可を取ってありますので、存分に開発してくださいね……王国貴族の、アンジェラ・サルソーサスさん」
俺の言葉に、彼女は口の端をニヤリと持ち上げた。
「聖者様、感謝します。できれば、冬の間くらいは都市作りに協力してくださいね。ダーラ教とは何の関係もない、リカルド・クロムリードくん」
あちゃー、バレてたか。
口元に手を当ててクスクスと笑うアンジェラさんを見ながら、バレる要素があったか考えてみる。振る舞いは完璧だったと思うんだけどな。
「たぶん、信者たちもみんな気付いていますわ」
「えー……」
「身元までは知らないでしょうけれど、ダーラ教に所属する方でないのはまるわかりですわね」
おかしいなぁ。ダーラ教徒の行動はけっこう研究したはずなんだけど。
「後で教えてくださいね」
「ふふ、どうしようかしら」
空は徐々に明るくなり、朝食のスープの匂いがあたりに漂い始める。
穏やかなアンジェラさんの表情。
その向こうにある大きな滝の水音が、ダーラ教の新たな幕開けを祝福しているように聞こえた。
次回、第五章の最終回です。





