さて、引っ掻き回すとしようか
吹雪の続く早朝。
俺は作戦を決行に移すため、小屋を出た。
護身外套の光反射率を弄って表面を白色に変化させる。荷物を背負い袋に入れ、小屋になっていた汎用ユニットを土に戻す。野営結界を解除すれば、後片付けは完了だ。
強い吹雪の中を一歩一歩進む。
多目的眼鏡で視界を確保し、強化外骨格でなんとか体を動かしているが、生身だったらすぐに遭難していただろう。滑らずに歩けているのも、魔導刻印靴の【スパイク】を起動しているおかげだ。
やっとの思いで岩山の入り口へとたどり着くころには、俺の服はびしょ濡れになっていた。
まずはこの拠点の中に入れるかどうかだ。
そう考えながら、トントンと戸を叩く。
すると、扉の向こうで見張りをしていたのだろう獣族のおじさんが、ずいぶんと慌てた様子で飛び出してきた。
「入れ!」
「あ、はい」
狭く開いた扉の隙間からスルリと滑り込むと、おじさんはすぐさま扉を閉めて閂をかける。そして俺の体をガッシリと小脇に抱えると、横にある狭い扉を潜った。
その小部屋では、武装した数人の信者たちが火を囲んで座っていた。彼らの目が一斉に俺を見る。
「怪しいガキだ。可愛がってやれ」
俺の周囲がおじさん達で固められる。
そして、濡れた外套を強引に引き剥がされると、乾いた薄布で揉みくちゃにされ始めた。
「馬鹿野郎、こんな吹雪の中歩くなんて」
「寒かっただろう、大丈夫か?」
「死ぬ気かよ、このガキンチョが」
「お前、どこから来たんだよ」
「お湯しかなくて悪いが。ゆっくり飲め」
彼らはそうやって、寄ってたかって手厚く世話をしてくれた。完全に騙している身としては、すごく申し訳なくなってくるなぁ……。
俺はダーラ教式の礼をすると、コップに入ったお湯をちびちびと飲み始める。
「ほら、パンもあるぞ……っても、カッチカチの古パンだがな。湯でふやかして食べろよ」
そうやって、俺の手の中にはパンが押し付けられた。俺は言われたとおり、それを湯に浸しながらどうにか口に運ぶ。
実はここに来る前に、見張りの信者にはいろいろ聞かれると思って想定問答集を用意していたんだ。でも実際は、不思議とどのおじさんも俺に何も聞いてこない。むしろあえて踏み込もうとしていない様子だった。
焚き火のパチパチという音だけが部屋に響く。
しばらくして部屋の雰囲気も落ち着いた頃、俺はおじさん達に話しかけた。
「聞きたいんですが、ここの生活は……その、どうですか?」
おじさん達は顔を見合わせ、微妙な顔をする。
その中で、リーダー格と思われる片耳の欠けた犬獣族のおじさんは、俺の横に座ると優しく語りかけてきた。
「俺の名はガルームという。まぁ、そうだなぁ……大方、お前も酷え主人から逃げてきた口だろう。吹雪の中、ここまで来るのも辛かったのは想像できる。俺もそうだったからな」
ガルームさんはそう言って、俺の頭をポンポンと撫でた。
「本当は、安心しろ、と言ってやりてぇところだが……期待を持たせても残酷だからな。実際、ここの生活は厳しい。みんなで苦労しながらなんとか生きているが、食料だって全然足りねぇ」
俺は手の中のパンを見る。固くて味も何もあったもんじゃないけど、この拠点では貴重な食料のはずだ。
ガルームさんの方を見ると、彼は気にするなとばかりに首を横に振って、柔らかく微笑んだ。
「まぁ、でもよ。どんな生活でも、ここがダーラ教の教会なのは間違いねぇさ。虫を殺すような目で暴力を振るう主人はいねぇ。奴隷なんて身分は存在しねぇ。苦労はみんなで分け合う。神父様は……まぁ色々な方がいらっしゃるがな。聖女様のお陰で、昔より色々と良くなってもいるんだ」
ガルームさんは努めて明るい顔でそう語りかけてくる。俺を安心させたい、でも過度に期待を抱かせて落胆はさせたくない。そんな気遣いが感じられる温かい話し方だった。
そうして話しているうちに、段々と他のみんなも会話の輪に加わってくる。場が盛り上がれば、次第に生活の愚痴大会も始まった。みんなゲラゲラ笑いながら白湯の入ったコップを傾けている。
「あーあ、伝説の聖者様でも現れてくれねぇかな。ほら、石ころをパンに変えてくれるっていう、あれは……誰だったか」
「ロニン様だ、馬鹿。ちゃんとベンキョーしろって聖女様も言ってたろ。あーあ、この白湯も酒だったらいいのによぉ」
話に出ている聖者ロニン様は、偵察しているときにもよく聞いた名前だ。なんでも獣族の聖者らしく、旅をしては飢えた信者たちに食料を配り歩いたのが伝説になっているんだとか。
「聖者様よりボインの姉ちゃんだろうが!」
「お前はいつもそれだな……」
「ったりめーだろ。ここには女が足りねぇ」
「おいおい、ガキがいるんだからやめろよな」
そう話し、おじさん達は楽しそうに笑う。そこには国も地域も、境遇も宗教も関係ない。善良な者たちはどんな場所に立っているものだと、改めて思うことができた。
――さて、そろそろ始めるか。
俺は外套の水滴を払って羽織る。フードを被って眼鏡をかけ、気持ちを引き締めた。
「坊主、どうした……?」
「ありがとう、おじさん……いや、信者ガルームよ。頂いた白湯の暖かさ、心身に沁みました」
ポカーンと口を開けるおじさん達。
俺は床に転がった石を拾い、こっそり腕輪の魔道具を起動する。そして、石だったそれをガルームさんに差し出した。
「おいおい、この石が何……パンになった!?」
ガルームさんが大口を開けて固まる。
もちろん、これは聖者の奇跡なんかじゃない。
石をパンに変えたのは、俺の左手首につけた腕輪型魔道具。騎士団にも配備している緊急避難腕輪を改良して作った聖者の腕輪だ。
これは、ダーラ教の聖者の伝説を模していて、石をパンに、水を酒に変えることが出来る。まぁ、正確にはパンではなくて、似た食感になるよう作った簡易栄養食なんだけど。
「私は聖者ロニン様の使いです。聖女様のもとに集う信者たちを救いに来ました」
という名目で、レミリアを探しに来ただけなんだけどね。
俺は石や水樽と手に取ると、次々とパンや酒を作っていった。
彼らは呆けたままそれを受け取ると、恐る恐る口に運ぶ。笑顔が溢れたかと思えば、段々と競うように貪り始めた。長らく空腹だったろうから、仕方がないけど。
「食べながらでいいので聞いてください。聖女様にお会いする前に、まずはこの拠点の飢えた信者たちを救済したいのです」
彼らは夢でも見ているような表情でパンの最後の一口を飲み込む。それを見届けると、俺はゆっくりと立ち上がった。
「信者ガルーム。聖堂への案内をお願いします。他の皆さんは、信者たちへの声掛けと、パンに変えても良い石を集めてきてください。あ、神父の皆さんはまだ寝ている時間でしょうから、起こさなくていいですよ」
話しながら、俺はこっそり擬態虫を解き放つ。
さて、引っ掻き回すとしようか。





