試してみるか
まだ薄暗い空の下、街道を東へ進んでいく。
予定ではこのまま王都方面まで行き、途中の関所町を経由して北のトータス地方に向かうつもりでいた。
徒歩で進みながら、前方に広がっている舗装された街道を眺める。領都を作る前は荒れ果てていた山道も、今では行商人向けにすっかり整えられていた。
片側二車線ずつの滑らかな車道と、その両脇の広い歩道。さらに外側には、真新しい低木が点々と植えられている。この木は街道の整備のために作ったを結界樹で、魔物避けの弱い結界を発生させるものだ。クレル諸島産のとある樹種をベースに改良を重ねたものだった。
俺は歩道を歩いているけど、こんな早朝にも関わらず車道には既に猪車が行き交っていた。
「おーい坊主、朝早くからご苦労だな!」
飛んできたのは、車道を進む行商人の声だった。彼は大型の猪車にたくさんの荷物を積み込んで、豪快に俺を追い抜いていく。
以前猪車に乗った時に聞いたんだけど、こうしてお互いに声を掛け合うのも御者の大事な仕事なのだとか。こっちの道はぬかるんでいる。あっちは魔物が出ているから少し待ったほうがいい。そういった情報を短い時間で交換して、リスクの少ない旅を心がけるのだ。
しばらく行くと数台の猪車が停まっている広場が見えてきた。
クロムリード領内の街道には、所々にこういった休憩所を設けている。魔物からは都市結界を小さくしたような魔道具で守り、また地下水を利用して都市浄化装置と同様に空気環境も整えていた。無人販売所には保存食や果実水なども置かれ、パーソナルカードで購入可能だ。
こういった街道整備も、マザーメイラにたくさんの商人が来てくれている理由の一つだろう。休んでいる人はみんな、なかなか快適そうだ。
するとそこで、先ほどの声が再び飛んできた。
「おーい坊主、また会ったなー! お前さんは休んで行かねぇのかー!」
「大丈夫でーす、ありがとう!」
ヒゲもじゃの世話焼きおじさんに手を振る。
今のところ俺に休憩は不要だった。
俺やレミリアの着る専用の強化外骨格は、騎士団のような全身鎧タイプではない。あくまで護身用として、服の下に着用してもわからない程度の薄型のものだ。
もちろん鎧ほどではないけど、防刃・耐衝撃性にも優れているし、命力補充を早める魔法陣も内蔵されている。速度を出し過ぎなければ、理屈の上では一日中走り続けても平気だろう。
背負袋から燻製肉を取り出す。ひと口齧る。
香ばしい空気が鼻を抜ける。
日が昇ってあたりは随分と明るくなっても、俺は休まずに黙々と歩き続けた。心の底にずっしりと溜まった焦燥感のようなものが、俺の足を動かし続ける。
すると再び、車道から声が掛かった。
「おーい、また会ったなー、坊主!」
「あ、どうもー!」
「旅を急ぐんなら、宿場町まで乗ってくかー?」
「ありがとう、でも大丈夫ですー!」
「あんまり無理すんなよー!」
おじさんの声色からして、本当に心配してくれているのだろう。ただ。親切に声をかけてくれるのは嬉しいけど、休憩時間も加味すると徒歩で進んだほうが早く着くはずだ。
それに今は、一人で考えごとをしながら歩きたい気分でもあった。
レミリアのパーソナルカードの位置情報は北を指している。北と言えば、周辺集落や帝国との小競り合いが絶えず、今もまさに戦争が行われている場所だ。
彼女はそれらと何か関わりがあるのだろうか。あまり考えても仕方がないけど、いざという時のために様々な可能性は考慮しておくべきだ。
いくつかの休憩所を素通りする頃には、日もすっかり高くなっていた。
背負い袋から取り出した昼食は、パンに色々な肉や野菜を挟んでソースをかけたもので、領都でも人気のファストフードだ。昨日のうちに瞬冷したものが、ちょうどよく自然解凍されていた。
「……ここがクロムリード領の終わりか」
目の前の川には橋がかかっていた。そしてその先は道が舗装されておらず、魔物避けの結界もない。ここから先は別の貴族が管理しているため、勝手に街道を整備するわけにもいかないのだ。
俺は護身外套のフードを被り直し、橋を渡る。
ちなみにだけど、レミリアも俺と同様に護身用の魔道具を身に着けている。おそらくは強化外骨格と護身外套で身を守りつつ、魔法で戦って旅をしているはずだ。
そこから少し進んだところで、多目的眼鏡のスピーカーからアルファの声が響いた。
『マスター、魔物接近中です。左から来ます』
その言葉を聞き、俺は荷物を置いて身構える。
魔法を使えるレミリアとは違い、俺はこれまで魔物と戦う術を持っていなかった。彼女を追いかけるためには、何か武器を持つ必要があった。
眼鏡の左レンズに地図が表示された。
魔物の位置は赤いアイコンとして示され、吹き出しのように魔物の簡単な情報が表示されている。どうやら付近にいるのは3体の石ウサギらしい。
幼い頃、魔物を実際に見るまでは、その命を奪うことに抵抗を感じていた。だけど実際には、魔物と動物には圧倒的な違いがあった。
血走った目、開いた瞳孔、飢えた唸り声、剥き出しの牙。それらは魔物に共通する特徴であり、獰猛な動物にしてもここまで理性を失って狂ったような顔はしていない。見境なく周囲の生き物へ襲いかかる魔物は、他の生物とはどうやっても共存できない存在だった。
それにどうやら、魔物は生殖では増えないというのが通説のようなのだ。人工魔虫で観察したこともあるけど、やつらは何もない空間にポンと現れる。どういう原理なのか、全くもって謎の存在だ。
しばらくすると、額に石の付いたウサギ型の魔物が俺の前に現れた。それらは口からヨダレを垂らし、低い唸り声を上げている。
『初戦闘としてはちょうど良い相手かと』
「うん。いろいろ試してみるよ」
石ウサギは比較的弱く、戦闘が専門でない行商人や御者奴隷でも楽に対処できる魔物だ。武装の試運転には最適だろう。
まずは万能作業手甲。
俺は両拳を握り【ブレード/シールド】と呟く。右の手甲の先からは半透明の魔力の刃が、左の手甲には魔力の盾が展開された。これはレミリアの使う反射魔法壁の劣化版。物理反射こそ再現できていないものの、魔力製の壁は強固だ。
「トリンの立ち回りが早速役に立つね」
『サポートはお任せ下さい』
飛びかかってきた1体目を左手のシールドで受け流し、2体目にブレードを振り下ろす。すると、石ウサギの首が飛ぶ。
アルファが強化外骨格でサポートしてくれれば、俺のような素人でもこのくらいの動きは可能だ。
一歩下がって体勢を整える。
首を跳ねた魔物は動かない。残るは受け流した1体と、少し離れた場所でこちらを警戒している1体だ。
「うん、これは戦いやすいね」
『剣と盾のスタイルは攻守のバランスが取りやすいですね。安定して戦えそうです』
魔法壁で作られたブレードやシールドは、形や重さもある程度自由にできるし、破損や疲労を気にする必要もない。実戦での使い勝手は上々だ。
さて、次の戦い方を試すとしよう。
俺は手甲の武器を解除すると、両足に軽く命力を込めて【ボム/スプリング】と呟いた。ブーツが小さく光り、足裏に魔法陣が展開される。
『マスター、来ます』
「避ける」
2体の石ウサギが同時に襲いかかってくると、俺は左足の魔法陣【スプリング】を起動して後方へ跳んだ。
魔導刻印靴は、俺の望んだタイミングで設定した魔法陣を起動できる仕掛けがしてあるが、使い勝手は上々だろう。
石ウサギの1体が俺に駆け出してくる。
それに合わせ、俺は右足を強く蹴り上げた。
ちなみに足技での戦闘方法は、竜族護衛アリーグの動きを解析してある。蹴られた石ウサギは【ボム】の魔法陣によって破裂した。
「うん。強力だけど、トリッキーだね」
『機動力で相手を翻弄しながら、一撃で仕留める戦い方ですね。相手によっては有効でしょう』
俺はブーツの魔法陣を解除する。この戦い方も、アルファのサポートがあれば、思っていたよりは使いやすいかもしれない。
そう思いながら前方を見れば、最後の1体が踵を返して逃げていくところだった。
『見逃しますか?』
「いや、もうひとつだけ試すよ」
俺は両手を握り【ニードル/レーダー】と呟く。すると右手の手甲には5本の魔力針が、左の手甲には照準器が展開される。
左手をターゲットに向けると、命力を捕捉してロックオンした。両手を重ね、フッと息を止める。次の瞬間、右手の魔力針が射出された。
全力で逃げていく石ウサギを、魔力針は正確に追いかける。一瞬の後、その頭が四散した。
このスタイルは、発射時の隙が大きいのが課題だろう。ただ、他のスタイルでは届かない遠距離の敵を仕留めることができる。役に立つ場面も多いかもしれない。
『マスター、お疲れさまでした』
「うん。サポートありがとう、アルファ」
汗ばんだ手を拭いながら息を吐く。
手甲には7種類、ブーツには4種類の武装をそれぞれ仕込んであるけど、それぞれ使い勝手はそう悪くなさそうだ。あとは俺自身が慣れていくしかないかな。
俺は手甲に【スコップ】を展開して穴を掘ると、近くに転がる2つの死体を地面に埋める。石ウサギの魔石は小さすぎて役に立たないらしいから、今は放置でいいだろう。
穏やかな午後の空気を吸い、気を取り直して街道を進んでいくと、休憩所が見えてきた。がらんとした何もない広場には、多くの猪車が休んでいる様子が見える。
まぁ、俺は特に休憩する必要はないだろう。そう思いつつ歩いているところで、背後から聞き覚えのある声が響いた。
「おーい、坊主! 大丈夫かー?」
「あ、どうも。また会いましたね」
「ずっと歩き通しじゃねぇか。急いでるのか知らねぇが、満足に休憩も取ってねえんだろ……って割には、疲れてる様子もねぇな。どうなってんだ」
「あはは、ご心配ありがとうございます」
なんだか心配かけてしまって申し訳ないな。ただこのペースだと、やはり宿場町には俺のほうが先に到着するだろう。
「ところで坊主。お前、妹とかいねえか?」
「いますけど、どうしてですか?」
「んー、秋のはじめくらいだったか。お前のによく似た外套を着て仮面をつけた女の子がよ、やっぱり一人で同じ道を歩いてったんだ」
「っ!?」
「猪車に乗せてってやろうかとも思ったんだが、疲れた様子一つ見せねぇで歩いててな。俺たちが猪車を休めてるうちにさっさと町に行っちまったよ。あん時は驚いたぜ」
「その話、詳しくお聞きできますか」
予定は変更だ。俺は休憩所でおじさんと一緒に立ち止まると、その話を詳しく聞いた。
彼女には誰か同行者がいるわけではなく、一人で黙々と歩いていたらしい。周りにいた他の行商人のおじさんたちの中にも何人か目撃者がいた。背格好を聞くに、レミリアで間違いないだろう。
分かってはいたけれど、連れ去りなどではないことが改めて明確になったな。
結局、そこから宿場町までは猪車に乗せてもらうことになった。親切にも安い宿を教えてもらい、夕飯までごちそうになってしまった。
おじさんには俺と同じくらいの歳の子がいて、来年の春には家族でマザーメイラに引っ越す予定なのだそうだ。
行商人のおじさんたちとパーソナルカードの連絡先を交換する頃には、少しだけ気持ちが楽になっていた。
「……ちょっと気を張りすぎてたかもな」
いなくなったレミリアに、初めての一人旅。こんな状況だから、自覚しているよりずっと焦っていたのかもしれない。少し意識して、気持ちを落ち着けよう。
俺は大きく背伸びをすると、宿のベッドに寝転がった。





