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無事に帰ってきてほしい

 秋も近づいてきたある日。

 いつもなら住民たちがのんびりと過ごしている中央広場は、珍しく緊張した空気に包まれていた。


 クロムリード騎士団、第一部隊。

 隊長1名、小隊長3名、下騎士12名、兵卒90名。合計106名の部隊が本日出陣する。秋の上旬頃には北のトータス地方に到着する予定だ。


「──ロムル王国と、クロムリード家の誇りを胸に戦ってこい。そして、必ずこの都市に、領都マザーメイラに生きて帰ってくるのだ」


 騎士団長であるノルブレイドさんが、車椅子に乗ったまま舞台上で皆を激励する。実は、俺も挨拶をと思っていたんだけど、ノルブレイドさんに止められたんだ。


『リカルド殿が話すと……なんというか、空気がしまらないので』


 そうかなぁ。

 まぁ、七歳の子どもだし、そんなもんか。


 騎士団長からの激励の言葉のあとは、第一部隊長から住民への挨拶だ。

 彼は隊長はノルブレイドさんの甥にあたるらしい。人族ながらその体格は鬼族並に恵まれていて、見るからに強そうだ。


「──クロムリード家には深い感謝を。この鎧をはじめとする軍装品は、行軍の負担をかなり軽減させるでしょう」


 隊長はそう言って頭を下げるが、まぁお世辞のようなものだろう。俺が用意できた軍装品なんて、ほんのささやかなものだ。


 まず、騎士鎧型強化外骨格(パワードスーツ)

 元は俺自身の護身用に開発していたものだけど、戦争が決まった際に騎士団に正式採用した。ゴツゴツしたシルエットの全身鎧で、ベースカラーは黒とカーキ。左胸にはクロムリード家の紋が入っている。

 この鎧は、装着者の動きを予測して、動きを補正したり力を増幅したりしてくれる。他にも体温・水分調節機能がついていて、ずっと着ていても不快にならないようにしていた。個人認証も行うため、登録者以外が鎧を利用することもできない。


 それから、緊急避難用腕輪サバイバルブレスレット

 この腕輪には、空気中の水分を集め飲料水にする機能、石や土を材料に簡易栄養食(カロリーブロック)を作る機能、火種を作る機能などが内蔵されている。戦地で孤立した時などには、なんとかこれで生き延びてくれるといいんだけど。


 それ以外には目新しいものはないかな。

 騎士団は夏の間、これらの装備を使った訓練をおこなってきた。各個人ごとに細かい体の動かし方も異なるから、鎧の人工知能と装着者が協調して動けるよう、最低でも30日ほどの訓練日程をこなす必要があったのだ。


『リカルド……。お前は、この技術がもたらす先をちゃんと想像しているか……?』


 そんな父さんの言葉を思い出す。不安はずっと付き纏っていた。


 この国ができる前、東西南北の各地方は四つの王国だった。その中でも、北のトータス王国は好戦的なことで知られていて、その気風は今のトータス地方に色濃く受け継がれている。また、蛮族地域のさらに北にある人族帝国ソリッドは、周辺の様々な国に侵略戦争を仕掛けている。


 今はまだクロムリード領軍のみに与えられているこの装備は、これから先どういう扱いになるだろう。国からの命令で、他領の軍や国軍に渡ることにもなるだろうか。


『人族は持ちたがりだからな』


 いつかのルーホ先生の言葉が蘇り、背筋を冷たいものが伝う。

 一応、戦争を抑止する技術にもいくつか案はあるけれど……。結局は、大きな力を用いた抑止力ということになるけど。先手を打って、開発を急いだほうがいいだろう。


「総員、世界樹(ユグドラシル)に敬礼」


 全員が揃って巨木を見上げる。今や高さ300メートルに達したそれは、完全にこの都市の象徴となっていた。各種リスクを考えて、このあたりの高さを成長限界に設定しているけれど、それにしても目立つな。


 騎士団は動きを揃えて行進し、中央通りを南に下っていった。このあとは、街道で待つ猪車に乗って王都付近へ。父さんやタイゲル家に挨拶をした後、北の領地へと向かう予定になっていた。

 技術のもたらす未来を考えると、不安は尽きない。それでも、戦場へ向かう兵士たちの顔を見ていると、その命を守る技術に妥協はできなかった。


 今はとにかく無事に帰ってきてくれることを祈るばかりだ。


 騎士団の壮行会が終わってしばらくすると、街は徐々にいつもの姿を取り戻していった。その様子を丘の上からしばらく眺め、俺は神殿の建物の中へと入る。


「やあやあ、リカルド殿。お忙しい中すみません。本日もどうぞよろしくお願いいたします」


 出迎えてくれたのは、領都マザーメイラで神官長を務めるカノッサさんだった。彼は夏の間に正式に赴任してきたんだ。

 一見すると、彼は中央公園で日がなお菓子でも齧っていそうな雰囲気の穏やかなおじさんだ。話しているとつい油断してしまうのだけれど……実はこの人は、結構なキレ者である。


『私は精霊学に不満を持っていましてな。改めてちゃんとした学問として再構築したいのです。リカルド殿のお力を少しだけお借りできれば』


 赴任早々、彼はそんな事を言ってきた。

 そして、精霊学の矛盾点、仮説の正しい検証方法、魔力や命力に関する想定の数理モデル、様々な話し合いが行われていった。時間を忘れ、ついつい話し込んでしまうこともしばしばだったけど。


 それにしても意外だったな。


「神殿って意外と、精霊学に固執してるわけじゃないんですよね。正直、驚きました」

「そうですね……。我々神殿の歴史はご存知でしょう。各地に存在する様々な宗教を取り込んで、数多の神々の教えを一つにした。そしてどの種族でも使える共通の言葉を定義し、暦を作り、歴史を綴っている」


 指折り数えてみれば、それはまさに偉業だ。

 神殿が制定するそれらがあるおかげで、こうして多種族が共存できる環境が出来上がっている。そうでなければ、言葉や常識の異なる種族同士で戦争になっていてもおかしくないのだ。


「……神殿の開祖は斬新な知識で皆を導きました。その上で、自らは神と民の橋渡し役に過ぎないと明言しております。我々は彼に連なる者として、各種族の生活に根付きながら、人々と神々の間を取り持つ役割を持っていると自負しています」


 伝承に残っている発言から考えると、おそらくは開祖も前世の記憶を持っていたんだろう。


 彼は将来を見越して、宗教観が暴走し必要以上に神官が力を持つことのないよう手を打っていた。石版に残された一言一句から、その意図がしっかりと伝わってくる。

 こんな大きな枠組みを用意するなんて……政治とも違う。学問でもない。もしかすると俺の前の世界にも存在しなかった、もっと大きな何かだ。これがこそが、本当の宗教というものなのかもしれない。


「天文学にしても精霊学にしても、神々との橋渡しのための道具立てに過ぎません。まぁ、精霊学を編纂していた学問神官の中には、面白くない者もいるでしょうがね」


 カノッサさんは苦笑いを漏らした。まぁ、神殿の中にもいろいろな人がいるのだろう。その表情からは苦労が伺える。


「神々がどのように世界を作ったのか。それを正しく解き明かす者は尊重するのが、神殿全体としての大きな流れです。精霊学の一言一句に拘っていては、本物の神官とは言えませんよ」


 そう言うと、彼は専用の魔導書(グリモワール)を開き、編集中の論文を表示する。この様子だと、今日は長くなりそうだな。俺は大きく背伸びをすると、椅子に腰掛けた。


 この領都にいながら、彼は既に二本の論文を神殿に発表している。そのセンセーショナルな内容は、既存の精霊学を飛び越えて新しい学問として認識され始めていた。

 神理学、と名付けられたそれは、現在は世界中の神殿で内容が吟味されているらしい。


「それにしても、パーソナルカードに表示される日付や時刻の正確さには驚きましたな。ただ、同じ時刻でも地域によって空の明るさが異なることがあるようなのですが、これの天文学的な理由付けや、神理学内での扱いについてリカルド殿の知見を」


 俺の知らないところでも世界は進み、気がつけば知らぬ間に変わっているものもある。


 ふと、ルーホ先生の顔が浮かんだ。

 この先どんな変化が訪れても――俺は自分のしていることに胸を張れるだろうか。

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