それぞれ好きなことを始めた
世界樹が200メートルの高さに到達し、住民が3000名を超えたのは、夏も真っ盛りの暑い時期であった。とはいえ都市の中は空調がしっかりしているから、快適に過ごすことができる。
マザーメイラは相変わらず働かなくも生きていける環境になっていて、かなりの数の住民が何もしない時間を贅沢に満喫していた。特に、街に来たばかりであったり、これまで厳しい労働環境にいた者などにその傾向は強いだろうか。
だけど最近、少しずつ前とは雰囲気が変わってきている。領主側から何もしなくても、住民が自主的に様々な活動をし始めたのだ。
――簡単に言えば、要はみんな飽きたんだ。
『マスター・リカルド。例のファッションショーの件ですが……』
「うん。計画書を見たけど、警備の数が少ないと思うんだ。ノルブレイドさんに連絡して、もう少し出せないか相談しよう」
午前の執務時間。俺は父さんの執務室で、領主館を相手に様々な案件を話し合っていた。
ファッションショーの件もまた、住民が自ら発案した活動の一つだ。なんでも、秋の上旬に中央広場を使って大規模なショーを開きたいんだという。
そもそも都市が自動生産し安価に提供するのは、地味で無難な服ばかりだ。どうやらかなり初期から、服がシンプルで味気ないという不満の声が多く上がっていたらしい。ちなみに、その服の生産者は俺である。悲しみが深い。
そんな状況だったので、甲殻族や人族の服飾職人は自発的に集まり、あれこれと話しながら思い思いの服を作り始めていたのだ。
これまでの服飾職人は、生活のため仕方なく無難な服を作ることが多かった。売れなければ食べていけないため、冒険要素の少ない一般受けするものを作ってばかりいた。
しかし、この都市ではその心配は不要だ。結果的に彼らが作ったのは、自分自身がどうしても着たい、趣味全開で挑戦的な、人の目を引いてやまない、どこの街にも存在しない、そんな一着だった。
彼らはそんな服を着て街を練り歩いた。
『なんだなんだ、あのぶっ飛んだ集団は』
『すげぇ……ちょっとカッコいいかも』
『私はちょっとナシかな。シンプルでいいや』
『え、うそ。可愛くない?』
見た人の反応は様々でも、彼らは気にすることなく楽しそうにしていた。
クールに決まった仕事着を、フリフリに飾られたドレスを、革製のハードな短パンを、モコモコな怪獣のきぐるみを、半裸のきわどいオーバーオールを……それを見て少しずつ、自分も着たいと思う者が出始めたのだ。
ただそれには、毎日配布されるポイントだけでは少しばかり足りない。
『ポイント欲しいんだけどぉ、仕事ない?』
そう言って領主館へ来る者が増えた。
適性を見つつ要望を極力叶えながら、仕事の斡旋や事業立ち上げのポイント融資を行っていけば、自然と就職率が上がっていく。
おかげで近頃は、街も随分と華やかになったものだ。
そんな事を思い返しながら、ファッションショーについての細々とした話し合いが終わる。すると、領主館は次の案件を提示する。
『繁華街拡張の件はいかがでしょうか』
「うん。どうせなら、もうひと区画広げようか。ナーゲスに一任するから、汎用ユニットの手配をよろしく」
最近ではナーゲスと同じ蛙鬼族だけでなく、大鬼族や小鬼族などの姿も街中に見られる。基本的にさっぱりしてて人懐こい彼らは、水辺で話しているだけでも街の雰囲気を明るくしてくれた。
また、性に開放的な鬼族たちは、夜の街についても率先して整備していった。
美味しい水を使った鬼族の酒がどの店でも振る舞われ、容姿の良い男女の店員が客の心を満たす。法の範囲でなら、もっと大人な店も禁止はされていない。
そんな魅力的な夜の街を楽しみたいものは少なくない。ただそれには、毎日配布されるポイントでは全く足りなかった。
『ポイントが欲しいんだが、仕事ねぇか?』
こっちの方向でも、領主館へ来るものは日増しに増えた。
最低限のポイントが得られる現状では、現在までに生活に追われて望まない売春をする者などは出ていない。この先は分からないが、極力そんなことで泣く人は出てほしくないものだと思う。
前の世界では、生身の従業員がサービスを提供する性風俗業が消失したのは、かなり技術が進んだ後であった。
脳を刺激することでリアル以上の快感を伴うVR技術が一般化し、性風俗店が競争のため安価になり、それでも客が来なくなって自然消滅するまで長い時間がかかったのだという。
少なくとも、厳しい法律や倫理観だけで無くせるような種類の職業ではなかったのだろう。
『そういえば……ナーゲス様の魔道具の件ですが、台数を増やしたいとのことです』
「……あのサキュバスのやつ?」
『はい。サキュバスのやつ、です』
ナーゲスは画期的な魔道具を開発していた。
その名も一夜の夢魔。
構成要素はシンプルだ。
人工知能で制御可能な柔らかい触手。何故かお湯がヌルヌルになる風呂。そして遠隔会議で利用する立体プロジェクタ。彼はそれらを上手に組み合わせたのだ。
「まさか……脳刺激を一切使うことなく仮想性交を実現するなんてね……俺もまだまだ常識に囚われてたんだなぁ」
『連日予約で一杯だそうですね』
ぬるぬるした風呂の中で、指定した性格・見た目の仮想異性とウフフと会話しながらイチャイチャすることができるらしい。もちろん同性も可だ。
非常に高度な技術を、完全に夜の方面のみに振り切って活用していく様は清々しさすら覚える。
この調子だと、意外とこちらの世界では、望まない売春の衰退は近いのかもしれない。もうこの分野はナーゲスや鬼族たちに任せてしまおう。
そう決めて、次の議題を領主館と話し合う。
『次の案件ですが。冥族の住民が、移動が面倒くさいからごみ処理エリアに引っ越したいと──』
そうやって、様々な種族がそれぞれ好きなことを始めた。快適なだけで味気なかった街は、住民の手によって様々な色に染まる。混沌としていてハチャメチャで、だけどみんなが笑顔になって。
その様子を見て、ようやく俺は胸をなでおろすことができた。世界樹にもかなり手伝ってもらったけれど、各種調整にしくじれば怠惰なだけの腐った都市に成り果てていただろうから。
都市が賑やかになるにつれ、幾つかの大きな商会も本格的に事務所を置くことにしたらしい。行商人の中にも、硬貨袋よりパーソナルカードをメインにする者が増えてきている。治安の上でも輸送量の上でも、その方が圧倒的にメリットがあるのだ。
クロムリード領都マザーメイラは、こうして本格的に動き始めた。
午前の執務が終わると、よほど緊急の用件がない限り午後は研究時間にあてていた。今日もいつものように、裏庭でのんびりと実験を続けている。
「……リカルド。それなに?」
レミリアが背中からぴょこんと現れ、俺の手元を覗き込む。
俺が持っているのは、直径30センチメートルほどの丸い紙だ。そこには各種魔法陣が描き込まれ、中央には平べったい人工魔石がついている。確かにこれだけを見ても、何が何やら分からないだろう。
「これはこう、回転しながら空を飛ぶんだ」
「ふーん。よくわからないけど……リカルドのことだから、きっとまた何かに役に立つ魔道具なんだよね……たぶん」
「うん。そうなる予定だよ」
俺がその紙をクルクル回していると、レミリアは隣に腰を下ろす。彼女の手の中には、何か植物の種のようなものがあった。
「レミリアは、植物の研究?」
「……ん。上手く行ったら、教える」
「そっか。楽しみにしてるよ」
噂によると、この夏は茹だるような暑さになっているらしい。
この都市結界の中は常に快適な温度・湿度に保たれているけれど、降り注ぐ日差しは確かに強くて、体をポカポカと温める。
じんわりと汗をかく俺の首筋に、どこから持ってきたのかレミリアが冷たいタオルを当てた。





