真っ白になった
早いもので、気がつけば7歳の夏が始まっていた。領都の真新しい神殿の旗は、青緑から朱色のものに取り替えられている。
この頃は住民の受け入れが加速していき、先日ついに1200名を超えた。とはいえ設備にもまだ余裕があるから、物理的にはもっと増えても大丈夫だろう。
住民の中に奴隷はいない。というもの、移住の前提条件として、所有奴隷は全て我が家で買い取ることにしているのだ。
家事奴隷は、前の世界で言えば自家用宇宙船を一家に一台を持つようなものだ。生活必需品の扱いとはいえ高価なものだし、維持費や医療費もかかる。それが無償提供の生活魔道具に置き換わるのだったらと、受け入れてくれる人も少なくなかった。
買い取った奴隷たちはすぐに解放され、彼らもまた新たにマザーメイラの住民となる。そんな風にして、街はどんどん賑やかになっていった。
そんなある日のことだった。
『こちらグロン。聞こえるか』
「こちらリカルド。映像・音声とも良好だよ」
『了解。では定期報告を始める』
そう話すグロン兄さんの姿は現在、立体プロジェクタで空間に投影されていた。
立体プロジェクションの原理自体は、前の世界のものとそう変わりはない。その場で対面しているように話ができるのは便利なものだ。
また、通信方法も至ってシンプルなものだ。
領都にある世界樹と同様に、王都に新しく建てた屋敷にも小さな世界樹が育っている。その2つの間では遠距離同期通信が可能になっているので、俺と兄さんの魔導書を端末にして安定した連絡が取れるようになっているのだった。
『それでリカルド、例の小村の人たちは?』
「うん、村人242人、受け入れ完了したよ」
話題に上がっているのは、つい昨日受け入れたばかりの住民の件であった。
マザーメイラの運営がある程度安定してきたところで、俺たちは領内の小村から多くの移住者を受け入れ始めていた。実はこの冬、領内はかなりの冷え込みが襲っていたらしく、各村へのダメージは深刻なものだったのだ。
「その中には妊婦さんが13人もいたんだけど、全員栄養状態が悪くて即入院だったよ」
『……そうか』
「もっと早く移住の打診をしてればね」
『仕方ないさ。俺たちは神様じゃないんだ。全てを見通して上手くやるなんてできっこないからな……あまり自分のせいにするなよ、リカルド』
兄さんはそう言うけど、俺は今回の件を深く反省していた。
実際のところ、当初は村々がそこまで差し迫った状況であるとは認識できていなかった。報告書にあった「例年通り」という言葉を鵜呑みにし、小村の状態を甘く見積もり、救いの手を差し伸べるのが遅れてしまったのだ。
モリンシーさんとの雑談で実態がわかると、俺は父さんと相談して各村に手紙を送った。その結果、3つの村の人たちはこの都市に移り住むことになり、2つの村からは断りの手紙が来て、残る1つの村はまだ音沙汰がない。
課題は多いし、思うところはいろいろある。まぁでも、今はまず受け入れた村民たちのケアをしっかり考えないとな。
それから、領内の情報収集について兄さんとしばらく話した後で、次の話題に移る。
『次に……そうだ、申請していたポイント協会の営業許可がついに下りた』
「そっか。意外と早かったね」
ポイント協会とは、我が家の新しい事業だ。その利用者はお金でポイントを買ったり、ポイントを売ったりできる。
いろいろと調べてはみたけど、実態のない数値データを売り買いしている商売は今のところ他に存在していなかったので、新たに職業協会として作るしかなかったのだ。
『今はまだ、国の方はイマイチその有用性を理解できていないようだな。割とトンチンカンな質疑があったあと、思いのほかすんなりと認可がおりた……と父さんが言っていた』
「良かった。もっと揉めるかと思ってたよ」
ちなみに領都の内部では先んじてポイント制度を導入している。これは、前の世界での初期の電子マネーを想像してもらうと分かりやすいかもしれない。
導入の鍵になるのは、住民登録の時に作ったパーソナルカードだ。あれにはポイント決済機能がついていて、領都内での買い物はすべてカードを読み取り機にかざすだけで出来るようになっていた。
行商人にはこれまで領都の入り口でゲストカードを配っていたけど、国から正式に職業協会として認められたため、彼らにも近々パーソナルカードを作成することになるだろう。
『領都の就職率はどうだ?』
「うん。現在は成人以上で3.2%だね」
『それだけしか働いていないのか?』
「いや、こんなに働くとは思わなかったよ」
ポイント制度を採用した一番の理由は、働かなくても生きていける都市を作ることであった。
住民のパーソナルカードには、何もしなくても1日に144ポイントが付与される。これはお金に換算すれば、おおよそ銅板1枚。銅貨12枚分の金額として利用することが可能になっていた。
集合住宅は無料だから、生活に必要な経費は衣服と食事、日用雑貨くらいか。とにかく、ポイントの範囲で贅沢をせずに暮らしていくのであれば、労働は全く不要なのだ。
『そんなにみんな働かないものなのか……』
「まだその段階じゃないんだよ。仕事を選べない人生を送ってきた人だって多いし。本当にやりたいことを見つけるのは、これからだと思う」
もちろん、ポイントの配布は無計画ではない。
世界樹が生み出すエネルギーを活用し、各種生産設備は自動化されて都市内に価値のある品物を日々生み出している。また、人工知能を活用して行われるサービスでも、目に見えない価値が付与される。
基本的には、そういった生産される価値の総量と、人々に配布するポイントの量が釣り合っていなければ経済が破綻してしまうのだ。
乱暴にポイントを発行すれば、モノの値段が崩れて収集がつかなくなる。かと言って配布するポイントが少なければ、住民はパン1つ買うことができない。
こういったものの最適解を見つけるには、非常に繊細な調整必要になるだろう。それこそ前の世界でも、人工知能が発展する前は、通貨価値を守るためだけに毎日大勢の人が働いていたという。
当然、この都市では世界樹に完全に任せていた。
『それで、働いてる者はどんな分布なんだ』
「今のところ獣族・鬼族中心かな。残念ながら、日々のポイント内で購入できる俺の農作物は食べるに値しないらしいから……悲しいなぁ」
『だが、良いものを安く提供しすぎるのはダメなんだって言ってたろう? それこそ、誰も働かなくなって堕落した都市になってしまうって』
「……それはそれ、これはこれだよ」
獣族の農家や料理人は、品種改良や料理の試作に熱心だ。そして、その美味しい食材や料理はやはり購入ポイントも高くなる。
美味しい食事を楽しみたい者は結局ポイントを稼ぐ必要があり、最近ではアルバイト程度の労働を始める者も出てきた。領主館でも何人か案内員を雇っていた。
鬼族については、ナーゲスが鬼族の住民や親戚を集めて何やら怪しげな魔道具を開発していた。たしか「全自動ぬるぬる風呂」だったかな。夫婦円満に役立つらしく、売れ行きも好調みたいだ。
住民が多くなってきて、最近は夜の繁華街なんかも賑やかになっている。鬼族はそういった場所を取り仕切るのも上手いので、いろいろと活躍してくれてるらしい。
『あとは……そうだな、学校の様子はどうだ』
「ん? あいかわらず盛況だよ。想定してたより大人が多いかな。運営データをこの前送ったと思うけど……あれ、一度話さなかったけ?」
『……そうだったな』
なんとなく、歯切れが悪いけど……。
どうしたんだろう。
領都の西エリアにある学校は、無料で開放している。住民は年齢を問わず自由に通うことができて、学びたいことを自由に学ぶことができた。教師は人工知能だ。
農村などで労働力として見られていた子どもたちも、現在は学校でやんちゃに遊んでいる。また、とあるお爺さんは「本を読むのが夢だった」と言って、文字をゆっくり覚えながら図書館で読書を楽しんでいるらしい。
「だいたいそんな感じ。大きな問題はないよ」
『こちらも、王都側の社交パーティは一段落したところだ。秋には領都に行けると思う。ただ、な』
「……どうかした?」
兄さんは珍しく言葉を濁し、話し辛そうな顔をしていた。その視線は俺から逸れていて、まるで何か気まずい情報でも隠し持っている様子だ。
嫌な予感がする。
『上級貴族のタイゲル家の当主と会談をした』
「寄親だからね。それで?」
『まず、北部で戦争がある。確定事項だ』
きな臭いという噂は前から聞いていたけど、いよいよかぁ。
俺としては、元弟子のヘゴラ兄さんがどうなっているのか気になるところだ。あれから何の動きもないけれど、無事に生きているのだろうか。
『戦争準備の詳細は後でメモを送る。騎士団との相談はリカルドの方で進めておいてくれ』
「うん。わかった」
『それと……うん、なんというか、な』
俺は兄さんの言葉を静かに待った。
話題に上がっていないことと言えば……そう言えば、ミラ姉さんの近況を聞いていない気がする。婚活はあまり上手く行っていないみたいだけど、その後どうなったのだろうか。
そんな事を考えていると、兄さんが重々しく口を開いた。
『実はな……タイゲル家には、婚約者の決まっていない者がいた』
「それって……?」
『あぁそうだ。我が家に白羽の矢が立ったんだ』
なるほど、そういうことか。
我が家は平民上がりだからこそ、貴族社会での発言力は弱い。そういった部分を補う上では、上級貴族との繋がりを持つという戦略もナシではないのだろう。
問題は、ミラ姉さんの気持ちだけど……。
「でもそっか、姉さんにもついに婚約者が……」
『……違う、お前なんだ』
兄さんは言葉を詰まらせながら、話を進めた。
『タイゲル家の子と、お前の婚約が決まった』
「……どういうこと?」
『クロムリード家の力を取り込もうとする流れが強くてな。先方が、かなり強引に話を進めてきた。父さんがいろいろと建前を並べたが、歯牙にもかけない。レミリアを匿っている件を言うわけにもいかないだろう? 父さんは全力で断ろうとしていたが……この件はもう、決定事項になってしまった』
兄さんの言葉が頭に入らない。
一体何を言っているのだろう。
ふと、背後に気配を感じ、振り返る。
「……レミリア」
おそらく、今の話を聞いていたのだろう。レミリアは表情をピクリとも動かさず、俺のことをまっすぐ見つめていた。
――頭の中が、真っ白になった。
 





