血肉になるまで定着させるのが勉強だ
季節は秋、この世界に生まれてもうすぐ丸2年になる。神殿の旗が白いものに取り替えられる頃には、木の葉は少しずつ色づき始め、風もずいぶんと冷たくなった。
家庭教師の授業は、夏いっぱいをかけて基礎的なカリキュラムをみっちり行っていた。
語学の授業では、ロムル語と共通語の勉強。24文字からなる共通文字を覚えた後は、ひたすらに本の音読だ。
単語によって変則的な読み方があったり、よく分からない構成の文もあったけど、特に体系立った理論を教わることはない。丸一冊を暗記するほどひたすらに読み続け、実例を体で吸収していく学習方針だ。滑舌もずいぶんと良くなったように思う。
ちなみに、ロムル語はこの地域の人族が普段使っている言葉である。一方の共通語は、どの種族も発音・聞き取りがしやすいように神殿が制定した言語だった。
「リカルド。お前、覚えるのが早すぎるぞ……内容自体は知らないようだが、勉強のコツが分かってるようなスピードだ」
そんな風に呆れ顔で言われたけど、要はやり方の問題なのだと思う。
前の世界では、異なる星系の古い論文などを理解するために最低でも11言語ほど、研究分野次第ではさらに数言語を覚えるのが普通だったから、ある程度の慣れもあるんだろう。
次に計算の授業。これは少し戸惑った。
というのも、この世界では一般的に使われているのは十二進法。前の世界では十進法を使うことが多かったから、それに引っ張られてケアレスミスを連発することが多かったのだ。
これについても語学と同じく、数字を暗記した後はひたすらに四則演算をし続けた。「反射的に答えが出るほど血肉になるまで定着させるのが勉強というものだ」というルーホ先生の言葉には、俺も同意見だ。
数学の本質は変わらないものの、3でも4でも割り切れる十二進法は案外使い勝手が良くて、慣れてきた今ではこっちのほうが合理的だと思うことも多い。
そうそう、語学、計算の他には運動もしていた。
勉強休みと称しては何度も庭を走らされたんだけど、これがなかなかハードだった。ルーホ先生は「この歳でこれだけしか走れないのか……?」と驚いていた。どうやら竜族と人族では、基礎体力にかなりの差があるらしい。
庭を走っていると、最近では工房で働く弟子や奴隷の兄さんたちからよく声援が飛んでくる。庭を12周するくらいならはどうにかこなせるようになったから、当初に比べて持久力もかなり付いてきたんじゃないだろうか。
庭の芝生に座り込み、そんな風に今までの振り返りをしていると、ルーホ先生は俺の顔を覗き込んで唸るような声を上げた。
「リカルド。そろそろ、次に段階に進むか」
「つぎ?」
「あぁ。語学も計算も運動も、一通りの基礎は出来てきたように思う。まだまだ訓練は必要だがな」
そう言って、先生は顎の下に手を当てた。
さらに勉強を進めるというのなら、俺も教えてもらいたいことがいろいろとある。何からお願いしようかと考えていると――
「リカルド。お前、友達とかいないのか?」
「……きゅうにどうしたんですか」
唐突に授業とは関係ない話が始まった。
「いや、毎日勉強漬けだろう。授業のない時間に、家から出て遊びに行っている様子もない。なんというか3歳といえば、通常は近所の兄さん姉さんに手を引かれて遊んでいる時期だと思うが……」
「たしかに、そういうのはないですけど」
「それで、友達は?」
「……いません」
実は、家の外に遊びに出たこともあるんだ。職人街の中を散歩している時に、近所の子と顔を合わせたこともある。
ただ、同じくらいの年の子はどうしても、一緒に遊ぶというより「同じ空間でバラバラに遊ぶ」といった過ごし方になって、友だちとは言い難い。年上の子に遭遇したこともあったけど、『初めて見る顔だな。仲間に入れて欲しかったら家から菓子でも持ってこいよ』なんて取り巻きとゲラゲラ笑っているのを見ると、どうも積極的に仲良くしたいという気持ちにならなかった。
そんな話をすると、先生は小さく笑ってしゃがみ込み、俺に目線を合わせた。
「ガキ大将のことは一旦忘れたとして。お前は、友達が欲しいと思ったりはしないのか?」
「うーん……そうですねぇ……」
個人的な考えだけど、別に無理をして「友達を作ろう」って行動する必要はないと思うんだよなぁ。普通に人生を歩んでいく中で、自然と人とは触れ合っていくものだと思うし。そんな中で結果的に仲良くなったら、友達と呼ぶことになるんだろうけど。
逆に無理をして友達を作ろうとすると、余計なことを考えて本当の意味での友達にはなれない気がする。
「……と、おもうんですが」
「ふむ。お前の考えは、俺たち竜族のそれに近いものがあるな」
「そうですか?」
「あぁ。俺も個人的にはその考え方を支持する。ただ……お前はいささか優秀すぎるからな。竜族の同じ年の子供と比べても、お前ほどできるやつはそういないもんだ。そういうやつは、なんというかな。何気ない一言が嫌味として捉えられたりして、放っておくと孤立しがちなんだよ」
そう言って、頭を搔きながら少し心配そうな表情を浮かべた。真に迫るものがあるような気がするけど、先生もいろいろと経験してきてるんだろう。
こんな風に俺の将来を考えてくれているのは、素直に嬉しく思う。
「……基礎訓練は続けるとしても、秋の授業は少し家の外に出よう。お前にはお前の考えもあるだろうから、無理に友達を作れとは言わない。ただ、いろんなモノを見て、人と話し、そうして初めて学べることもある。これも勉強だ」
「はい、わかりました」
首を縦に振りながら、ついワクワクとした気持ちがこみ上げてくる。
これまでは外出の機会もなかなかなかったし、あっても本当に近場だけだった。明日は先生が街を案内してくれるらしいけど、どんな場所があるんだろう。
その日の俺は、旅行の前日のようなソワソワした気持ちで、眠りに落ちるのにいつもより時間がかかった。
※何度か指摘を頂いているので補足説明です。
この世界では十二進数が扱われていますが、小説の文章では十進表記をしています。小説が異世界語じゃなくて日本語で書いてあるのと理屈は同じです。
ところどころ12の倍数が使われていたりします。