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すっかり失念していた

 雪でも降りそうな寒い日が続いていた。

 我が家は相変わらずの忙しさだ。父さんは王都中を飛び回っていて今も不在にしているし、母さんは旧知の貴族たちから来た手紙を読みながら机に向かっている。どうやら返信の内容に頭を悩ませているようだった。


 ふと見れば、フローラは母さんの横にちょこんと座り、真剣な顔で白い紙に何かを書き殴っていた。可愛い。


「あら、フローラは何を書いてるの?」

「りーにぃに、おてがみー」

「うふふ。きっとリカルドも喜ぶわ」


 おぉ、俺へのお手紙か……!


 聞こえてきた会話につい頬が緩んでしまう。

 フローラもずいぶんと成長してきたものだ。


「くまたん。ぎょかいるい、ってどうかくの?」

『マスターの好きな魚介類ですか?』

「そう、そのぎょかいるい」


 俺への手紙には魚介類が関連しているらしい。

 なるほど……まったく想像できないけど、どんな手紙をもらえるのか楽しみにしておこう。魚介類かぁ。


 そんなことを思いながら、俺はリビングを出て研究室へと向かう。

 春になったら王都を出て、新しく管理することになった領地へ向かうことになっている。そのための準備を冬のうちに済ませておく必要があるため、この頃は毎日研究に没頭していた。


 ドアを開けると、ちょうどレミリアがお茶を淹れているところだった。


「……そろそろ来ると思った」


 そう言って、カップを二つ持ち上げた。


 同じ部屋で研究をしているけど、彼女は彼女で俺とは別の研究をしている。行き詰まった時に気軽に相談できるのは良いものだなと思う。

 それに、俺は前世の技術から考えているけど、レミリアは魔法の知識をベースにしているから、発想の切り口が全く違っていて良い刺激になっているんだ。


「ありがとう。お茶もらうね」

「うん……。少し相談したいことがある」


 カップを持ってソファに座ると、レミリアは俺のすぐ隣に腰を下ろした。


 彼女の作っている人工魔石は、現段階での実用化は厳しい。ただ、魔導書(グリモワール)を活用しながら実験を繰り返しているから、ものすごい速度で性能や製法が洗練されている。上手くいけば、この冬の間には天然魔石より使い勝手のいいものが出来上がっているだろう。


 そんな風にソファの上で色々と話しをしている時だった。


 ゴンゴンゴン。

 荒っぽいノックが響きく。


 返事をすると、扉がバンと開き……そこに立っていたのは予想通り、カエル顔のマッチョ。鬼族のナーゲスだった。


 他の弟子が旅立っていく中、彼だけはこの工房に残ることになっていた。

 そもそも鬼族はあまり器用でない。その上、彼が魔道具職人の勉強を始めたのもつい最近だった。これからの困難を考えると、彼を引き取ろうという職人はついぞ現れなかったのだ。


 まぁナーゲス自身、他の職人のもとへ行くことを望まなかったのもあるけど。


「仲良く絡まってるとこ、邪魔して悪いな。レミリア、ちょっとお前のリカルドを貸してくれ」


 なんだか少し引っかかる言い方だ。

 俺とレミリアは顔を見合わせて首を傾げる。


「……別に、リカルドを連れてくのはいい。けど、いろいろ語弊がある気がする」

「そうか? まぁいいや、すぐ返すからよ」


 彼曰く、どうも鬼族の文化では夫婦の時間というものを非常に重要視しているそうだ。

 そのため、夫を連れ出すときには、必ず奥さんの許可を取る必要がある。特に夫婦二人で過ごしている場から連れ出す場合には、奥さんには相当気を使わないと後が怖いらしい。


 とは言うけど、そもそも。


「俺とレミリアは、別に夫婦じゃないんだって」

「ははははは……そうかそうか」


 分かっているのかいないのか。

 何度説明しても、ナーゲスは俺たちを眺めては笑うばかりだ。解せない。


「まぁいいや。レミリア、ちょっと行ってくる」

「……いってらっしゃい」


 少し頬を赤らめたレミリアに手を振られ、俺はナーゲスと共に研究室を出ると、庭へと向かっていった。



 庭の隅にあるのは、樹木の実験場だ。

 俺はそこでいろいろな遺伝子パターンの木を育てていた……のだけれど、冬のはじめ頃にはどれも完全に葉が落ちてしまったのだ。季節柄、こればかりは仕方がないと思っていたのだが。


『ちょっと待った。リカルド、これは季節のせいなんかじゃないぜ。お前の育て方の問題だ』


 そう言って待ったをかけたのが、他でもないナーゲスだった。彼の言い分に納得できなかったけど、そこまで言うのならと、俺は彼にこの実験場を任せてみたのだ。


 目の前には、その結果が広がっている。


「な? オレの言った通り、木が復活したろう」

「うん……。これは完敗だ」


 あの時は枯れかけてしまっていた木が、今では冬にも限らず青々と葉を茂らせ、堂々とそこに立っていた。一体どうしたらここまで回復させられるんだろう……。


「種明かしするとな。水が悪かったんだ」

「水?」

「あぁ。あんなクソ不味い水じゃ、木だって伸び伸びと育つわけねぇだろ?」


 驚いている俺の横で、ナーゲスは背負い袋を下ろすと、水の入った瓶をいくつか取り出した。そして、そのうちの二本を俺に差し出す。


「飲み比べれば、すぐ分かるぜ。まずこれが、お前のやってた水だ」

「うん」


 俺は瓶を手に取り、口に含む。

 うん……普通の味の水に感じるけど。


「これは……水だな」

「な? 酷い味だろ」

「うーん……?」

「それでだ、これがオレのあげた水だ」


 二本目の瓶を渡される。

 俺はそれを口に含み、味の違いを感じ取ろうとしてみるけど……分からなかった。やっぱり、普通の水だと思うんだけど。


「うん…………水だ」

「そうだろう。これが本当の水ってもんだ。最低限これくらい美味くなくちゃ、ちゃんと育たないぜ。分かったか?」

「全然」

「あぁん?」


 本当に、全く違いが分からなかった。

 鬼族は水にうるさい、というのは確からしい。


 なにせ、彼らは水の中に卵を産んで、孵ってから2~3年は水の中で過ごす。大人になっても頻繁に水浴びをする習慣があるから、細かい水の違いに敏感なんだ。

 彼らの作る酒が段違いに美味いのは、水の違いが大きいらしい。


「ったく、こんなに違うのによぉ」

「いやぁ流石に、人族には難しいよ」

「だけど、木の育ちは全然違ったろ?」


 そう言って胸を張るナーゲスに、俺は白旗を上げるしかなかった。種族の違いを今日ほど大きく感じたことはない。


「じゃあ、約束通りな。オレの分の魔導書(グリモワール)も作ってくれよ?」

「あぁ。というか、もう準備してあるよ」

「マジかッ!? さすが仕事が早ぇな」


 とりあえず、この二種類の水は後でアルファに解析してもらおう。人族に感知できない違いでも、人工知能であれば読み取れるかも知れない。

 そう思いながら、俺は少し頑丈めに作った魔導書(グリモワール)をナーゲスに手渡す。


 実は以前から、今後の勉強や研究のため魔導書(グリモワール)を渡すことは父さんと相談していたんだ。


「ところで、ナーゲスは何か作りたいものがあるの……?」

「おう、いろいろあるぞ。だが、まずは水の魔道具だ。この王都の水はどうも肌に合わねぇ」


 そう言って、服を捲って腹を見せてくる。


「ほら見ろよ、オレの肌。水浴びは欠かさずしてんだけどよぉ、結構カサカサしてんだろ?」

「意外とプルプルだけど……でもそれはいいね」


 俺が頷くと、ナーゲスは豪快に笑う。水の良し悪しは人族には分からないから、きっと彼にしか作れない魔道具が出来上がるだろう。


 魔導書(グリモワール)を抱えてウキウキと去っていくナーゲスを微笑ましく眺めながら、俺はポケットの中に手を入れる。

 取り出したのは、試作中の白いブロック(・・・・・・)だった。


「……よし、頑張ろう」


 俺は気持ちを新たにして、研究室へと戻っていった。



 その日の夕飯時に、我が家へ来訪者があった。

 家族の中で呼び出されたのは、俺と兄さんだけ。応接室に向かうと、父さんの向かいには一人の男性が座っていた。


「やあやあ、君たちがクロムリード家の優秀な息子さんたちだね」


 それは、ギラついた目が印象的な、恰幅の良い男性だった。

 着ているのは高そうな服だが、上下の色がチグハグで、靴はボロボロ。父さんにはペコペコしているんだけど、なんとなく俺や兄さんに向ける視線がねばついている気がする。


 父さんは俺たちに向かって説明を始めた。


「こちらにいらっしゃるのは、海沿いの町リビラーエで代官をしているモリンシー家のご当主だ。かの町で代々町長を務めている下級貴族家だが、次の春からは我がクロムリード家の傘下になる。ドルトン家から買い取る形だな」


 なるほど。それで挨拶に来たのか。

 俺は兄さんと顔を見合わせて頷く。


 春からクロムリード領になる場所は、ドルトン家の領地から一部を切り取って買い取ることになっている。と言っても、いきなり広い領地は管理しきれないため、一つの町といくつかの小村で構成された小さな領地になる予定だった。

 リビラーエは、その唯一の町だ。王都からは猪車で7日程度の距離にあり、人口も三千人程度と小規模である。


 年が明けたら俺たちもそこへ引っ越して、クロムリード領の領とになる予定だ。


「モリンシー殿にはこれから世話になることも多かろう。グロン、リカルド。ご挨拶を」


 父さんに促され、兄さんが一歩前に出る。


「長男のグロン・クロムリードです。統治についてはまだ勉強中の身ですので、これからいろいろと教えて下さい。より住みやすい領地を目指して、領主一族として尽力するつもりです。モリンシー殿、よろしくお願いします」


 そう言って兄さんが差し出した手を、モリンシーさんがギュッと掴んで上下に振る。


「モリンシーです。いやぁ、若いのに優秀そうな跡継ぎですなぁ……。しかし、お手を煩わせるまでもありませんよ」

「は……?」


 モリンシーさんはその顔に笑みを貼り付け、そのまま兄さんの手を両手で包み込む。


「うむ。研鑽を積んだ、良い職人の手ですな」

「……はぁ」

「いや、失礼。クロムリード家は非常に優秀な職人の家系だと伺っておりましたので……ですが、領地運営は初めてでございましょう。面倒ごとも多い。ここは、ぜひ今まで通り我が家に任せていただければ、何もご不便をかけることもなく──」


 彼の舌はクルクルと回り続ける。

 自分を下に言ったり、俺たちをだいぶ持ち上げたりし……そうやって熱弁するのは、いかに領地運営が面倒で大変か、という内容であった。


「町に暮らす者たちも、あまりに急な変化は受け入れ難いものがありますからなぁ」

「……そうですか」

「そのあたりの町民感情も、私の方で上手く調整していくつもりでございます。細々としたことで、領主様を煩わせるわけには参りませんからなぁ」


 回りくどい言い方をしているけど、つまりは領地運営に俺たちを関わらせたくないのだろう。

 あぁ、すっかり失念していた。今までリビラーエの町を世話してきたのは、このモリンシーさんなんだもんな。そりゃ、何も知らないポッと出の成り上がり貴族に、領地で好き勝手されたらたまらないだろうな。


 モリンシーさんが熱弁を振るう一方、兄さんはどんどん不機嫌になっていく。兄さんも、将来マール姉さんと暮らす町だからって、いろいろ考えていたからな。これも仕方ないだろう。


「モリンシーさん。次男のリカルドです」

「おや。これは挨拶が遅れて失礼したね」

「いえ、よろしくお願いします。リビラーエって海沿いの町なんですよね。もしかして、海族とも交流が──」


 俺は挨拶に割り込む形で兄さんを引き剥がすことにした。まぁとりあえず、領地のことは今すぐに方針が決まるものでもないし。後でじっくり考えてみるとしよう。


 海沿いの生活を聞いてみると、モリンシーさんはなかなかの話上手で、色々なエピソードを面白おかしく話してくれた。海族にはまだ会ったことがないんだけど、漁業なんかは彼らの協力があって初めて成り立っているらしい。


 俺としては、できればリビラーエの町の人たちとも仲良くやっていきたいんだけどなぁ。

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