こっちの方がきっと楽しい
中級貴族になることが決まってから、父さんは忙しなく王都中を飛び回っていた。母さんは旧知の貴族にいろいろと手紙を書いていて、家の中は慌ただしい空気が漂っている。そうしているうちに、季節はあっという間に秋になっていた。
次の春には国王からの任命式がある。
その後は、魔道具職人協会と小規模な領地を我が家が経営していくことになる。いずれも、元寄親であるドルトン家から買い取る形だ。
春には議会への参加もあるし、秋には税の回収もある。父さんは領地経営の勉強や協会業務の引き継ぎだけでなく、各所への根回しや顔見せもしなければならなくて、大忙しの様子だ。
「リー坊、元気でな!」
そう言って、弟子たちが我が家を旅立って行った。父さんの弟子たちは、その殆どが他の魔道具職人のもとへと移籍することになっている。
下級貴族のままであれば、本業の魔道具職人を続けても何も問題はなかった。弟子を取るのも普通のことだ。
だが、来年から我が家は中級貴族になる。家業が禁止されるわけではないものの、他の仕事が増えすぎて弟子の教育まではとても手が回らないのだ。
もちろん、弟子がいなくなるだけで工房も職人も奴隷も残るから、魔道具の生産自体は続けるみたいなんだけど。
「ところでグロン兄さん」
「……なんだ」
「兄さんって中級貴族の跡取りになったんだね」
「やめろ。言うな。自覚させないでくれ」
兄さんはそう言って顔を隠して震える。
やっぱり父さんに似てきたような気がするな。
そんな落ち着かないこの頃だけど、家のリビングは相変わらず平和だ。
すっかりフードを外すようになったレミリアが、元気一杯のフローラと遊んでいる。フローラは俺のあげたクマのぬいぐるみが大好きで、片時も離さずにお世話をしたり話しかけたりしていた。
「ねー、くまたーん」
『はい、マスター。なんですか?』
「きょう、ごはんなにかなー」
『調理場に新鮮な魚介類が運ばれていましたよ』
「ぎょかいるい?」
『マスターの好きな魚などの海の食べ物です』
「わぁ、さかなー!」
レミリアが、ギギギ、と不自然に首を動かして俺のことを見た。なんだろう、何かマズいことでもあったか。平和な光景にしか見えないと思うけど。
「リカルド。あのぬいぐるみ……話してる?」
「そりゃ話すでしょう。ぬいぐるみだもん」
「え……そうだっけ……」
「そうだよ。何言ってるんだレミリア」
もちろん技術的に難しければ、ぬいぐるみとの会話は想像で補うしかないだろうけど。でも、話せるんなら話せたほうがいいに決まってる。
レミリアは魔導書を持ってるから人工知能の存在も知ってるわけだし、仕組みも理解してる。ぬいぐるみが話したところで、驚くようなものでもないはずだ。
みんなに魔導書を配るずっと前から、フローラのぬいぐるみには人工知能を仕込んであるしね。そりゃあ話しもするだろう。
「それじゃ、行ってくるよ」
「う……うーん? 行ってらっしゃい」
レミリアって意外と天然なんだな。何やら首を傾げている彼女を置いて、俺はリビングを後にしたのだった。
今日はドルトン家で、マールディアさんの定期検診を行う日であった。
診察を終えた俺は、ドルトンさんの前にデータを並べ、命力量の推移グラフを説明した。向かいに座るドルトンさんは、ずいぶんと疲れた顔をしている。
「リカルド君。初期と比べると、命力増加量はかなり抑えられているのはわかるよ。だけど……そう簡単に、減ったりはしないもんだね」
「そうですね。思いつく限りの方法は試しているのですが……」
結局のところ、体から無理やり命力を吸うパターンは気分が悪くなりやすい。自分で能動的に命力を消費するパターンはすぐに疲弊してしまう。一般的に効果的だとされていた食事療法は、数字上は効果がなかった。
「投薬関係は試せていないんですが、実験半分でやれることではないですしね……」
「そうだね。こうして事実関係を把握できるだけでも、マジで大進歩だけど……どうにかならないものかなと思ってしまうよ」
ドルトンさんは憂鬱そうな表情で窓の外を見た。俺は書類をトントンと揃えながら、彼が口を開くのを静かに待つ。
「クロムリード家が中級貴族に、か。跡継ぎであるグロンくんのところには、春から縁談がひっきりなしに来るんだろうねぇ……それは、とても自然なことだと思うよ」
「マールディアさんは……」
「昨日、話をしたよ。あの娘は……グロンくんの重荷にはなりたくない、と言っていた」
そう言うと、ドルトンさんは顔を歪める。
誰に責任があるわけでもなく、解決策もない。いつだって、現実は無情だ。
「ドルトンさん。すみません、力及ばず……」
「いや、謝ることは何もないよ。君のおかげで、マールディアの寿命は間違いなく伸びたんだ」
そう言って、彼は目を伏せてため息を吐く。
俺はどう言葉をかけて良いか分からないまま、ドルトンさんの執務室を後にするしかなかった。
部屋のドアを開けると、グロン兄さんは明るい声で話をしていた。
「マール、体調はどうだい?」
「えぇ、グロン。なんだか随分調子がいいわ。今日が楽しみだったからかしら」
「それは良かった、いい知らせがあるんだ。前にオルゴールに興味を持ってくれた甲殻族の楽団があるだろう? 今は秋の定期公演のために王都に来ているんだけど、今日の夕方この屋敷に呼べたんだ。庭で一緒に聞こうじゃないか」
「まぁ……!」
兄さんたちがキラキラとした目で話している後ろで、俺とミラ姉さんはそれぞれ淡々と準備を始めた。
姉さんは、いくつかの薬品の入った瓶を取り出し、それらを少量ずつ小瓶に入れて振り混ぜる。割合を変えたものが数種類用意された。それぞれの調合割合を紙に記録していく。これが今日のメインイベントだ。
「マール。それから世話役のみんな。今日はみんなのために、新しい楽しみを用意した。ミラとリカルドもいろいろ協力してくれたんだ」
兄さんは、絵筆を手に持って笑みを浮かべた。それを横目で見ながら、俺はマールディアさんたちの前にキャンバスを並べる。
「今日は絵を描こうと思う。この魔導筆は――」
兄さんが説明を続ける間、ミラ姉さんが皆の手に液体の入った小瓶を配る。
それは、魔力によって色が変わる絵の具だ。
魔導インクの研究で使用していた試料を使い、姉さんが様々な改良を行ったものである。液体の状態だと魔力が流れることで色が変化し、乾くとそのままの色が固定される。これ一つあれば、いろいろな色を表現できるというものであった。
一方で、俺が配るのは兄さんの作った魔導筆。簡単に言えば、命力を込めると筆先で魔力が揺れ動くものだ。つまりはこの筆先が、姉さんの作った魔導絵具の色を様々に変えていく。
「とにかく試してみようか。持ち手に命力を少しだけ込めて。そう、そのまま筆で絵具をかき混ぜてみて──」
兄さんが少しだけ命力を込めながら絵具をかき混ぜると、透明だったそれが青紫に変化した。横で一緒にやっていた俺と姉さんのものも似たような色だ。
しかし、マールディアさんたち4人のものは色が異なっていた。絵具が赤色──命力を目一杯込めたときに出る色になってしまっていたのだ。彼女たちは顔を見合わせて、少し困った顔をする。
とはいえ、実はそれも予想済みである。ミラ姉さんはその様子を見て、新しく調合し直した小瓶を配っていく。
「別の割合で調合した絵の具です。こっちの方が命力に対する変化が緩やかになるはずだから、大丈夫だと思う」
マールディアさんが受け取った絵の具を筆でかき混ぜると、今度は兄さんが示したような青紫になった。
少しずつ込める命力を増やしていけば、絵の具は緑、黄色、赤と変化していく。逆に込める命力を減らしていくと、青紫まで色が戻ってくる。
「じゃあ、キャンバスに好きな絵を描いてみてくれるかい。色合いの違う筆も何種類か用意しているから、暗い色や淡い色、白黒なんかは筆を持ち替えてくれ。いろいろと試してみて、意見がほしい」
やがて彼女たちはキャンバスに筆を載せ、様々な絵を描き始めた。マールディアさんは特に器用で。キャンバス上で色を変えながら綺麗なグラデーションを描いた時には、みんな思わず拍手をしたほどだった。
部屋には楽しそうな笑いが溢れている。
すっかり緩んだ空気が流れる中、俺は隅の方でニコニコと笑っている兄さんに近づいていった。
「上手くいって良かったね」
「あぁ。一日中魔石を握り続けるのは、辛そうだしな。生き延びるためだけに、好きでもない魔道具を使い続けるのも苦痛だろう」
そう言って、兄さんはマールディアさんに穏やかな視線を向ける。
彼女の命は決して長くない。結婚は難しい。
グロン兄さんは、その事実にちゃんと向き合っていた。その上で、マールディアさんのために何かを作りたいと言っていたんだ。だから、俺とミラ姉さんも全面的に協力した。
兄さんに婚約者ができて、マールディアさんと会えなくなったとしても。それでも、彼女のために残せるような何かを――
「どうせ魔道具を使って過ごさなきゃいけないならさ。きっとこの方が、楽しく過ごしてくれるはずだよな」
そうだね。こっちの方がきっと楽しい。
その後も俺たちは、夕方になるまで笑いながら絵を書き続けた。兄さんは筆の改良点をまとめつつ、マールディアさんとの会話を楽しんでいた。
その後やってきた甲殻族楽団の演奏を聞いて。二人が隠れてキスをするのを、みんなで見ないフリをして。顔を大きく歪めせたドルトンさんに見送られて。そうやって、この一日は終了した。
――その僅か10日後だった。
「数値が、下がっている……?」
測定器の数字を、信じられない気持ちで見る。
何度測り直しても結果は同じだった。これまではどうやっても増えるだけだった命力量が、どういうわけか減っている。消費した命力量が、溜め込まれた命力量を上回っていたのだ。
おそらく原因は……魔導筆だ。
それしか考えられない。
「リカルド君。どういうことかね」
「分かりません。今回だけという可能性もあるし、理屈もまだ何も……。ただ、この方向で試して見る価値は十分にあると思います」
それから秋の間中、同様の治療法をいろいろと試し、一応の仮説を立てた。
魔導筆は、少量ずつでも自発的・継続的に命力を使っている。どうやらその間は、体が命力吸収の動きを弱めるらしいのだ。
これまでの治療法では、魔石を使って外部から無理やり命力を吸い取ろうとしたり、魔道具で体内の命力を一気に消費しようとして上手くいかなかったのだろう。
この推測を元に、兄さんは筆以外の魔道具も考案し始め、ミラ姉さんも魔導粘土などの試作をした。どれも治療には効果的で、マールディアさんの命力量は下がり続けた。
そして、数値の改善と共に、彼女たちの体調は目に見えて良くなっていった。世話役の少女たちのうち症状の軽かった一人などは、一般人と変わりない命力量にまで改善したのだ。
冬が始まって少しした頃、グロン兄さんとマールディアさんの婚約が正式に発表された。
家族が招かれた食事会で、ドルトンさんはそれはもう盛大に顔を歪めていた。泣き笑いしながら兄さんに抱きつくと、バンバンとその背を叩く。
その様子を見るマール姉さんの微笑みには、今はもう一点の曇りもなかった。
 





