いつか作れるといいんだけど
のんびりと過ごしているうちに、神殿の旗が朱色のものに取り替えられ、季節は夏になった。雲ひとつない青空の下、カラッとした風が草木を揺らしている。
朝食を取るためダイニングに向かうと、そこに待っていたのは鋭い目つきをした父さんだった。
「リカルド。話がある。座りなさい」
そう言って、父さんは腕組みをしたまま目を瞑る。
その右側には母さんが、左側にはグロン兄さんとミラ姉さんがそれぞれ椅子に座り、真面目な表情で俺を見ている。物々しい雰囲気だ。
俺はゴクリと唾を飲み込み、父さんの対面に腰を下ろした。
「お前に請われた『お願い』の件だ、リカルド。あれから私も色々と考えたが……結論から言えば、今日から先生に来てもらうことになった」
父さんは目をギラリと見開く。
実は春の初日に「家庭教師を付けてほしい」と両親に頼み込んだのだ。父さんは渋い顔をしていたけれど、普段はワガママを言わない俺の望みとあって、どこからか先生を見つけてきてくれたらしい。
「やる気があるのは大いに結構。しかしこうなった以上、幼いからと甘えは許されんぞ。自分から望んだことだ。しっかりと勉学に励むようにな」
「そっか! とうさん、ありがとう」
頭を下げると、父さんはため息交じりに俺を睨む。
「勉強の日々は楽しいことばかりではない。礼など言うのではなかったと、私を恨む日も来るだろう。それでも男なら、一度決めたことは最後までやり通すように。分かったな」
「うん、わかった」
俺が返事をすると、父さんは静かに頷く。
その顔は厳格な魔道具職人そのものである。大工房の責任者という役割を担い、我が家の意志決定者として真っ直ぐに立つ姿からは、決して逆らってはならない重い雰囲気が漂っている。
俺はそんな父さんを見ながら、昨日の夜中にこっそり聞いてしまった両親の会話を思い出していた。
『なぁ、母さん、母さん』
『あなた、落ち着いてくださいな』
『母さん、息子は、リカルドは大丈夫かなぁ?』
『大丈夫ですよ、あの子はしっかりしています』
『でもだって、あんな小さいのに勉強なんて』
『大丈夫ですよ、あの子は早熟ですから』
『心配だ……あの方が先生でうまくやれるかなぁ』
『大丈夫ですよ、私たちの子供なんですから』
『そ、そうだよな……俺の息子だもんな……』
『うーん……そう言えば、あなたの息子でしたね』
世の中、知らない方が良いこともある。父さんの威厳のためにも、ここは知らないフリを決め込もう。俺は黙ってテーブルの上のパンに手を伸ばした。
一方で、グロン兄さんとミラ姉さんは何やら言い合いを始めていた。最近良く見る光景だ。
「あーあ、リカルドは立派よね、リカルドは」
「……何か言ったか?」
「別に? 兄さんには何も言ってないけど」
「……ちっ」
「あれ、何か言われるような自覚あるんだ」
ミラ姉さんはまだ7歳だけど、口では10歳のグロン兄さんを圧倒している。よくあんなにクルクルと舌が回るものだといつも感心する。
「兄さんさぁ、この調子じゃリカルドにすぐ追い抜かれちゃうんじゃないの? 長男なのに情けないねぇ」
「……うるさいな」
グロン兄さんはこの頃、魔道具職人の修行に行き詰まっているようだった。そんな中、ミラ姉さんは兄さんを煽りに煽り、両親に嗜められては舌を出す。ここ最近の二人はずっと、そんなやりとりばかりを繰り返していた。
ミラ姉さんはクルッとこちらを向くと、俺の頬を突く。
「ねぇねぇ、リカルドはなんで勉強したいの?」
「ほんをよみたいんだ」
「本? 絵本なら読んであげてるじゃない」
「とうさんのほん。いろいろ、しりたい」
「いろいろ知ってどうするの?」
「んーと……」
俺が勉強をしたい理由。
どう説明したものか面倒なこともあるけれど、やりたいこと自体はシンプルだ。前の世界には存在せず、この世界にあるもの。
「まどうぐ、つくりたいんだ。とうさんみたいに」
「へぇ、そっかぁ」
ミラ姉さんはニヤニヤしながら父さんを見る。
父さんは「とにかくしっかりな」と言い残し、ゴツゴツした手で後頭部を掻きながらダイニングを去っていった。後ろ姿で表情は見えなかったが、耳が赤くなっていた……ことには、触れない方が良いだろうか。
前の世界では魔法も魔道具もなかったから、とにかく触ってみたいと思ったんだ。研究のしがいがある。父さんやサルト兄さん達も楽しそうだし、それに……。
やっぱり脳内に人工知能がいないと、寂しいもんな。いつか作れるといいんだけど。
慌ただしい朝食の時間が終わってしばらく。待ちに待った家庭教師がやって来たのは、ずいぶんと日の高くなった頃だった。
「リカルド。先生を連れてくるから、ここで待っていなさい。失礼のないようにな」
「はい、とうさん」
少しソワソワしながらリビングで待っていると、程なくして部屋の扉が開かれる。まず父さんが、その後ろから家庭教師が部屋に入ってくると、その姿に……俺の思考が停止した。
言うなれば、直立二足歩行のカラスだ。
鋭い眼光。硬そうな嘴。黒い体毛。
「なんだ。教師と聞いたが、子守は俺の仕事じゃないぞ……」
「しゃ、しゃべった!?」
「ん?」
「すみません。トリさん? とはなすの、はじめてで」
彼は俺をギロっと睨み、ため息をついた。
ゆっくりとしゃがむと、俺に視線を合わせる。
「はぁ……お前、名前は?」
「リカルド・リバクラフです。よろしく」
先生は左手を出すと、俺の左手を掴んで上下に振った。
父さんをチラリと見ると、威厳のある表情で首を縦に振っている。どうやら挨拶はこれで良いらしい。
「俺は竜族のカ・ルーホだ。ルーホ先生、と呼べ」
「はい、ルーホせんせい」
「今日からお前は俺の生徒だ、リカルド」
「はい、よろしくおねがいします」
「俺の言うことをちゃんと聞けよ?」
なんだ、優しそうな先生じゃないか。
カラスのような見た目には度肝を抜かれたけど、この世界にはこういった動物のような種族が存在しているんだろう。そういった前の世界との違いも、この先生から色々と教わっていきたいものだ。
そんな風にワクワクしていると、先生は俺の顔を覗き込みながら尖った嘴を開いた。
「さて。最初の授業は『竜族』についてだ。よく聞け。竜族に対して鳥だのトカゲだのと言うのは最大の侮辱だ。それとな、竜族はどの種族よりも誇り高い。誇りだけじゃない、能力だって至高だ」
先生はおもむろに背負袋から木の棒を取り出した。
なんだろう……。
目が全く笑っていない。
「だからなぁ……いくら無知とは言え、竜族を侮辱した者は報いを受けなければならない。例えそれが幼い子どもであってもな。ククク……」
「……えっと」
「てめぇ、よくもこの俺を鳥扱いしてくれたなぁ」
ピシャリ。
左手に持った棒を、思い切り床に叩きつけた。
「……庭を12周、走れ。全速力だ」
俺はとっさに助けを求めて周りを見る。
だが、気がついたら父さんはどこにもいない。きっとこの展開を読んでいて、とばっちりを受ける前に避難したに違いない。仕方ない……後で母さんに報告しておこう。
その後は、工房の広い庭をヘトヘトになるまで追い回された。しかしこの幼い体では、3周をどうにか走り切るところが限界だった。