想像もつかない
予定していた魔導書を配り終えたのは、夏も中旬の暑い時期だった。
現在家族で所持しているのは、父さん、グロン兄さん、ミラ姉さん、レミリアの四人。家族外では一人だけ、西の都市で活躍している元弟子のサルト兄さんにも送っていた。
最新版は、さながら旧時代のノート型コンピュータだ。使用頻度の高いモニタ、キーボード、カメラアイ、マイクスピーカーは標準搭載である。
搭載した人工知能の学習データはアルファのものを複製した。
ただ、人工知能がどんな性格を持つかは初回起動時の揺らぎで決まるし、これからみんなが色々な使い方をする中で変化もしていくことだろう。
それぞれ好きな名前をつけて、自分の仕事や研究を手伝ってもらっているようだ。
俺の研究室の一部は、最近はレミリアの研究スペースになっていて、彼女もいろいろなモノを自分で作り始めていた。
「リカルド……ちょっといい?」
「うん、どうした?」
レミリアの研究机。
その上には変則的な魔法陣が書いてあった。瓢箪型と言えばよいのか、二つ魔法陣を並べて外側の線を融合させたものだ。
「これを……見てほしい」
レミリアは二種類の魔石を手に持つ。一方は命力が溜まった魔石。もう一方は命力が空の魔石だ。
それらの魔石を、瓢箪型魔法陣の左右に置く。
魔法陣が起動してしばらく待つと、命力の溜まっていた魔石は光を失っていき、空だった方の魔石が少しずつ光り始めた。
「魔石間の命力移動、だよね」
「うん……。ここからが、相談」
そういうと、レミリアはひとつの小瓶を手に取り俺に見せる。水の中に何かが沈んでいるように見えるが、これはなんだろう。
「この瓶の中に沈んでいるのは、粉々に砕いた魔石……さっきの魔法陣に、これを乗せて」
レミリアは小瓶と魔石を手に持ち、先ほどと同じように左右の魔法陣へそれらを置いた。
魔法陣を魔力が流れる。すると小瓶の中に沈んでいた砕かれた魔石が、瓶の中央に向かって集まり始めた。そのまましばらくすると、それらは淡い光を放ちはじめた。
この現象は、初めて観測するけど……。
「……命力が溜まってる時と、同じ光」
「こんな事が起こるんだ。知らなかったな」
俺が驚いていると、レミリアはポツリと呟く。
「この状態で水ごと固めることができれば、人工の魔石ができるかな……と思って」
なるほど、それはものすごい発見だ。
俺は感心し、レミリアの手を握った。
人工魔石を作ることができれば、魔石を規格化することができる。これまでは魔石ごとに微妙に命力の量や強さが異なっていたから、魔法陣の効果にもブレがあったんだ。
それに、今までは使いみちがなくて捨てていた小魔石未満のクズ魔石にも活用法が見えてくる。特大の人工魔石を作れるのなら、規模感のまったく異なる魔道具だって作れる可能性が出てくるんだ。
俺も一時期いろいろ試したんだけど、魔石の分割はできても、結合は出来なくて諦めていた。
「すごい。大発明じゃないか、レミリア」
「……まだ、上手くいくか分からないけど」
「でもこの方向で試す価値はあるよ」
レミリアは左の魔石を取り外す。右の小瓶の中身は残念ながら光を放つことをやめ、魔石は再び沈殿物に戻ってしまった。だけど、これは大きな一歩だ。
「ミラ姉さんに協力を仰ぐといいかも。液体を一瞬で固められるような素材があれば、あの状態を固定できるかもしれないね……。光や熱で硬化する樹脂なんかかな。命力を通すことが大前提だけど」
「うん……砕いた魔石の量や大きさでどんな違いが出るかも、試してみようと思う」
その後もいろいろな相談を受けながら、暑い夏を過ごす。汗をかいたレミリアの表情からは、初めて会った頃の暗い雰囲気はまったく感じなくなっていた。
昼食が終わった俺は、母屋を後にして菜園付近へと向かう。実は最近、ここでとある木を育てる実験をしているのだ。
「アルファ、どうかな。成長は想定通り?」
『はい。前回は不明だった遺伝子パターンも、今回の結果を踏まえて予測が立つようになりました。次回はご要望の遺伝子改良を折り込んだ試作が可能かと思います』
アルファに解析進捗を聞きながら歩いていく。すると、俺が木を育てているエリアの向こうに、なにやら座り込んでいる人影が見えた。心配に思い近づいていけば、そこにいたのは……。
「……父さん?」
父さんは二冊の本を抱え、何やら頭を抱えて悩んでいる様子だった。また何か、俺の作ったものがトラブルを起こしたのだろうか……。思えば、ずっと迷惑をかけ通しているからなぁ。
申し訳ない気持ちで、父さんの隣に座る。
「あぁ、リカルドか」
「ごめんね、いつも大変な思いをさせて」
「ははは……。そんなことは気にしなくていい。正直に言ってしまえば、私もリカルドたちがどんなものを作るのか、ワクワクしているんだ。私も職人の端くれだからね。グロンに家督を譲って隠居したら、好きなものをいろいろと作ってみるつもりさ」
そう言って笑いながらも、どこか影のある表情を続ける父さん。俺は父さんの手の中に抱えられている本を見た。
片方は魔導書。
そしてもう片方は……。
「えっと、『たのしい魔道具 アシュロ・クロムリード著』……ってこれ、例の本だよね」
「あぁ、そうだな」
その本は、魔道具職人協会に泣きつかれて作ったものだった。
『クロムリード家と他の職人の作る魔道具のレベルが違いすぎるんです! 全部じゃなくて良いんです、でも……なんとか他の魔道具職人のレベルを底上げしてもらえませんか? このままじゃ他家が潰れてしまいます……』
そんな風に言われたものだから、父さんは新しい教本作りを大急ぎで始めたのだった。
俺たちは家族総出で知恵を出し合った。研究の最新知識を集め、公開しても問題のない基礎的な内容を選別し、分かり易い図解なども考える。
そんな中、父さんの魔導書は早々に活躍することになった。忙しい父さんに代わって、人工知能が初稿を執筆してくれたのだ。最後には父さんの手直しが入ったけど、想定より早く完全版が出来上がった形だ。
「それで、父さん。どうしたの? 何か内容でまずかったところがあった?」
「いや、大絶賛だった……。国内外の職人からこぞって本の注文があってな。ライバルだった家にも白旗を上げられた。独立した弟子たちには、俺から贈っておいたしな……増刷に次ぐ増刷。大成功と言っていいだろう」
そう言いながらも、父さんは心の底から喜んでいるような様子ではない。本が成功した、ということは、何かその他の面倒ごとだろうか。
あ、もしかして。
魔法使いから何か言われたのだろうか。
「父さん。教本に書いてしまったけど、魔力と命力が別物だっていうのは、そういえば魔法使いの秘伝の知識だったよね。もしかして魔法貴族から何か言われたりしたの?」
「え、うん。ふんぞり返って『そんな基本的なことに今さら気付いたんですか?』だってさ。やたら見下されたけど……まぁそれくらいかな」
うーん、それだけか。となると……。
俺はもう一度父さんに目を向けながら考える。そういえば、今日は朝から神殿に出かけると言っていたはずだ。もしかして、神殿で何か言われたのだろうか。
「神殿で何かあった? 例えば、書いてる内容が精霊学に反する、とか……」
「うん、言われた。真っ赤な顔で興奮した神官が、これは今までの精霊学を破壊するものだ、と近寄ってきてね」
「え……」
もしや、宗教裁判のような……。
「握手を求められた。ぜひその知識を、世界のために役立てて欲しいと。新しい学問書の執筆を頼まれたけど、お茶を濁して帰ってきたよ」
「そ、そっか……」
これも落ち込んでいる理由じゃなさそうだ。そうなると、一体何があったんだろう。俺にはもう、思いつくことは一つもない。
「父さん。そろそろ正解を教えてほしいんだけど。どうしてそんなに沈み込んでるの? あ、何か母さんに謝らなきゃいけないようなことをした? 悪いことをしちゃったんなら、俺が一緒に謝ってあげるから。さぁ、正直に」
「うん……あのね……」
そして、幼児退行気味の父親の口から事情が語られていく。
父さんは今朝、ドルトン家に呼び出された。そしてそこには、西の上級貴族タイゲル家の当主がいたらしい。その口から直接、これまでの魔道具や書籍に言及され、非常に褒められたのだという。
「それでね。来年からうち、中級貴族に格上げなんだって。短期間にデカいことやり過ぎだって。影響力も資産も持ち過ぎなんだってさ。それで、ドルトン家では管理しきれないし守りきれないから、タイゲル家直下に組み込むんだって。領地持ちの元老院議員になるんだって。もう何がなんだか……」
父さんは爪を噛んでガタガタ震える。俺に話してしまったことで現実を直視してしまったのか、そのまま四つん這いになってオエオエとえづきはじめた。
俺はその背中を擦るのに必死で、驚くタイミングを完全になくしてしまったのだった。





