良しとしようじゃないか
魔道具研究に精を出しているうちに、暑い夏はあっという間に過ぎ去っていた。
妹のフローラはずいぶんとレミリアに懐いて、今も彼女の長い耳へ無邪気に手を伸ばしている。レミリアはくすぐったそうにフローラの手を外しながら、クスクスと小さく笑っていた。
「それじゃあ、行ってくる」
「……うん。いってらっしゃい」
レミリアはコクリと頷くと、フローラを抱き上げながら手を振る。
一方のフローラは、何やらむにゃむにゃと叫びながら俺に向かって必死に手を伸ばしていた。この頃は俺が外出しようとすると、途端にグズり始めるようになった。それにお座りも上手だし。どうしよう、うちの妹は天才かもしれない。
玄関に行けば、待っていたのはグロン兄さんだった。ビシっと決まった外出用の服装だけど、マールディアさんとのデートの時よりは少しカジュアルな雰囲気だ。
「来たかリカルド」
「あれ、ミラ姉さんは?」
「まだ見てないな。寝坊か」
今日はグロン兄さん、ミラ姉さんと三人で王都の街へ出かける予定になっていた。もちろん護衛も必要だから、ニワトリ顔の竜族トリンさんがこっそり一緒に来てくれることになっているけど。
「そういえば兄さん。秋の新作オルゴール、マールディアさんは喜んでくれたの?」
「……あぁ、バッチリだ。少し切ないメロディだから、夕暮れに庭を見ながら聞いているらしい」
グロン兄さんといろいろと話をしていると、ほどなくしてミラ姉さんがやってきた。
「姉さん遅かったね」
「あら、レディは準備に時間がかかるものよ」
「寝癖が跳ねてるぞ、ミラ」
「うそっ!?」
そんな話をしながら工房の門を出る。
今日の外出の目的は、俺の実験のためだ。
どうやらその実験内容は、二人にとっても興味のあるものだったらしい。いろいろと話をしているうちに、こうして一緒に実験に付き合うことになったのだ。
道中、グロン兄さんは何やら黙り込んで考えごとをしているようだった。一方のミラ姉さんは、いつもの調子だ。
「そういえば、気になってたんだけどさぁ……リカルドは、レミリアとはどうなの?」
「どうって……?」
「ほら、二人は朝から晩までずっと一緒にいるじゃない。将来はやっぱり結婚とか考えてるのかなってこと。レミリアの方は、リカルドに相当気を許してると思うけど」
「えー、まだ5歳だし気が早いよ。それに今の状態じゃ難しいんじゃないかな」
俺の回答に、姉さんの目が鋭くなる。ただ、そんな風に睨まれても、状況的には厳しいと思うんだけど。
「だって、レミリアは公には失踪してる貴族令嬢でしょ。中級貴族の。しかも魔法貴族の教育を受けていて、門外不出の内容を知ってる。なぜかジルフロスト家から捜索の手は伸びてない様子だけど……うちが匿ってることを大っぴらには言えないよ。婚約者です、なんて表に出せると思う?」
「あー……そういうことね、なーんだ」
姉さんの声色が元に戻り、うんうんと頷く。
「火傷のこととかは、関係ないのね」
「え、どういうこと?」
「ううん、いいの。じゃあさ、例えばだけど、レミリアの周りのゴタゴタがぜーんぶ片付いたら、彼女をお嫁さんにもらうこともありえるわけ?」
「そりゃ、可能性としてはありえるでしょ。今はそこまで考えてないけど」
俺の回答に、姉さんは嬉しそうに鼻を鳴らしているけど。だから、今はそこまで考えてないってば。でもまぁ、そうだな……。
「将来の話だけど、もし嫁にするって決めたら、たぶんゴタゴタが残ってても関係ないと思うよ。さっさと家を出て、どこかの僻地にでも逃げて、自由気ままに生活してるんじゃないかな。ほら、跡継ぎなら兄さんがいるし」
「あらあら、次男坊はずいぶんお気楽ね」
「まぁ、兄さんには悪いけどね。ただ――」
話しながら、レミリアとの会話を思い出す。
彼女に対しては一つだけ、どうも違和感を覚えていることがある。それは、魔法のことを語るときの彼女の姿だ。
「俺はレミリアから魔法についていろいろ教えてもらってるんだけど、彼女は5歳にしてはありえない量の知識を持っているんだ」
「それ、リカルドが言うの?」
「俺なんて普通の範疇だよ」
俺の回答に、ミラ姉さんは大きく首を傾げる。
「それに、魔法を語る時だけはやけに饒舌で、内容も深い。どんなに無理やり詰め込んでも、普通の教育をしてあの歳でああはならないと思うんだ」
「鏡を見なさい、鏡を。ほら貸してあげるから」
「この手鏡がどうしたの? まぁとにかく、レミリアに関してはまだ少し身の回りに気を付けた方がいいかなって。今後何もなければいいけど……」
俺はなぜか渡された手鏡をミラ姉さんに返却しながら、レミリアのことを考える。今の状況で、むしろジルフロスト家から何のアクションもない方が不気味だ。
「いろいろと状況が見えるまでは、目立たないように動くのがいいと思ってるんだ」
「えっ……目立たないように……?」
「うん。目立たないように」
姉さんは信じられないモノを見るような目で俺を見た。
うん。そりゃあ、多少は目立ってしまっている自覚はあるけど。そこまで目を丸くするほどではないと思うんだ。だよね……?
そんな話をしながら、俺たちは小川の辺りへやってきた。そういえば、以前レミリアと出会ったのも確かこのあたりだったな。
「それでリカルド。アレはどこに沈めたの?」
「目印の杭が……あれだ。ちょっと待ってて」
俺は川の中にジャブジャブと入る。
そして、水に沈めてある網袋を取り出した。
兄さんと姉さんのいる川辺に戻ると、袋から魔石をジャラジャラと取り出す。うーん、これはだいぶ光が弱いな。
俺は荷物から取り出した魔道具に魔石をセットすると、表示された数字を一つずつ紙に記録していく。すると、兄さんが興味深げに覗き込んできた。
「リカルド、その装置はなんだ」
「あぁ、魔石用の命力測定器だよ。蓄積されている命力量を、魔石が放つ光量を元に計測してるんだ。今はまだ精度の問題があるけど、ざっくりでも数値化しないと統計が取れないからね」
そう話しながらひと通りデータを記録し終わると、俺たちは護衛を連れてその場を離れる。足を進めながら、自分の立てた仮説について説明した。
一般に、魔石のエネルギーは日に当てることで再度蓄積される、と言われている。今回したいのは、それが本当かという検証だ。
「……参考値として、工房にある魔石補填室のデータも取ってあるんだ。比較してみると、さっきの水中魔石は想像以上に命力の溜まりが悪かった。水中では、日に当たっても命力はほとんど補填されないらしい」
可能性はいろいろあるけど、光を当てること自体は命力の補填とあまり関係ない、というのが俺の予想だ。
「リカルド。厳密に実験するなら──」
「私なら魔石の周囲の物質を──」
「いや今回のは予備実験だから──」
そうやって、二人と一緒に話をしながら進んでいく。この頃はグロン兄さんもミラ姉さんもこういった議論が得意になってきたから、俺も気づくことが多くて助かるんだよね。
「それで、次はどんなパターンなの?」
「うん。地面の中に埋めた魔石がどれくらい命力を溜めるのか、データを取ろうと思って」
そんな話をしながらやってきたのは、魔道具職人協会だ。
家の庭だと植物が多く植えてあるから、今回の検証には適さないと判断したんだ。この周辺は事務所街だから、純粋に地面だけの条件でデータが取れそうだと睨んだんだ。
「こんにちは、昨日の件で来ました」
「おぅ、クロムリード殿んとこの子か。魔石ならここにあるぜ」
窓口にいたおじさんが、魔石袋をジャラジャラと鳴らして持ち上げる。俺はその様子を見て固まった。昨日地面に埋めておいたソレが、なぜそこに。
「いいか坊主。地面なんかに埋めても魔石は補填されねぇんだ。こういうのは日に当てとくもんさ。俺が昨日補填所に──」
おじさんは誇らしげに説明を始める。
あぁ、なんてこった。
触らないようにお願いしておいたのに、変に気を利かせてわざわざ普通の補填方法にしてくれちゃったわけか。そうだよな、5歳の子供が妙な行動をしてたら、こうなってもおかしくないよな……。
俺が床に膝を落とすと、左右の肩にポンと手が置かれる。顔を上げれば、グロン兄さんとミラ姉さんがそれぞれ優しい表情で俺を見ていた。
「落ち込むな、リカルド。世の中にはこういう理不尽があると勉強できた。今はそれだけでも良しとしようじゃないか。凹んでいる分だけ、さらに時間を浪費することになるぞ」
「そうね、実験自体は無駄になってしまったけれど、こういう経験は狙ってはできないもの。こんな余計なことをする人もいるんだって、私も兄さんも知ることができたわ」
「ほら、立ち上がるんだ。また別の場所で実験をしよう。俺はいくらでも付き合ってやる。信頼のおける人と一緒であれば、こんなことはそうそう起きないさ」
「そうよ、それに本筋のパターンはこの後でしょう。まずはそっちの実験を片付けに行きましょう。必要なら、今度は邪魔されない場所でやり直せばいいのよ」
俺は二人に支えられてゆっくりと立ち上がる。
そうだよな……。
おじさんも良かれと思って行動してくれたんだ。そこに悪意はなかった。実験はまたやり直せばいいし、今はせめて笑顔でお礼だけ言って帰ろう。
「おじさん……ありがとう」
「悪かった、俺が悪かったから、頼むからその痛々しい笑顔はやめてくれ」
おじさんと頭を下げ合いながらその場を後にする。
結局、この場所での実験は失敗に終わった。地面に埋めた時の命力量については不明だ。ただ、誰に悪気がなくてもこういったことは起きる。それを学べただけ、今回は良しとしよう。
気を取り直して、次が本筋のパターンだ。
俺たちは協会を出て、次の実験場へと向かっていった。