実験を始めよう
王都に来て丸一年が過ぎようとしていた。
熱気の篭もった空気がリビングを吹き抜ける中、首が座り始めた妹のフローラは、俺に抱き上げられたまま楽しそうに玩具を舐めていた。
「……なんか手慣れてるわよね」
「え、そうかな」
「何人か隠し子でもいるんじゃないの」
ミラ姉さんが妙なことを口走る。
まぁ、これでも前の世界で子育てをした経験はあるからなぁ。細かいことはもう記憶の彼方だけど、多少の慣れはあるんだろう。
今俺たちが暮らしているのは、貴族街の屋敷ではなく職人街の工房だった。これは防犯についてドルトン家と相談した結果で、一箇所に固まって生活したほうが家族を守りやすいだろうということになったのだ。
そうしてフローラをあやしながらのんびり過ごしていると、窓の外から大声が聞こえてきた。
「おーい、リー坊、例のヤツ試作してみたんだ。ちょっと来て確認してくれ」
「あ、すぐ行くよー」
声をかけてきたのは父さんの弟子たちだ。
彼らが王都に引っ越して来たのは、成人式も落ち着いた春の終わり頃。本格的に王都の工房が立ち上がったため、こちらに移動してきた形だ。
ちなみに昔いた工房は、現在は魔道具職人協会に管理を委託している。とはいえ、元から働いていた職人や奴隷はまるまる残っているから、業務の方は特に問題なさそうだけど。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
「はーい」
俺はミラ姉さんにフローラを預け、リビングのドアを開けた。吹き抜ける風に乗って、木々の青葉がサラサラと擦れる音が聞こえる。
工房の敷地内には、竜族の警備兵が見回りを行っていた。ワニ顔、ニワトリ顔、ヘビ顔、カメ顔――みんなドルトン家から紹介してもらった実直な者たちばかりだ。
業務中、彼らは極力無言を貫いている。なるべく目立たず、護衛対象の生活の邪魔をせず、それでいて危険からは確実に守る。それが彼らの理想とする姿らしい。さすがは誇り高い竜族と言うべきだろうか。
「それにしても、今日は暑いな」
照りつける日差しに目を細めながら、俺は夏の庭を進んでいく。
菜園のそばまでやってくると、そこではレミリアと母さんが何やら話をしていた。最近は、二人が菜園や調理場で一緒に過ごす姿をよく見かける。
「あ……リカルド」
「レミリア。母さんと散歩?」
「うん……」
見ればレミリアは手に小さな花が握り、柔らかく微笑んでいる。母さんと一緒に摘んだんだろう。
レミリアが母さんやミラ姉さんと初めて会ったのは、つい先日のことだった。以前から話だけはしていたけれど、顔を合わせたのは貴族街の屋敷を出て工房で暮らし始める日だ。
『フードを取ってもいい?』
『……はい』
『これは……ひどい火傷ね。誰にやられたの?』
『……姉さんと兄さんと、お母様』
『そう……』
母さんはそれ以上は何も聞かず、
『もう大丈夫よ』
それだけ言って、レミリアの顔を自分の胸の中に埋めた。
すると、母さんの膝の上に載ったレミリアは、ぽつりぽつりと自分の出自を明かし始めた。
彼女の生家は、東のドラグル地方の中級貴族であるジルフロスト家。魔法貴族として知られる名家だ。ただ、第二夫人だった実母が亡くなってから、レミリアは冷遇されて過ごしてきたらしい。
そんなことを思い出していると、レミリアがちょこちょこと近寄ってきて俺の袖を引いた。
「……リカルド」
「ん?」
「これから、魔道具の研究……?」
「うん、弟子の兄さんたちのところにね」
「わかった……あとで行くね」
俺は二人に手を振ると。工房棟へ向かう。
この建物には、父さん、グロン兄さん、俺の研究部屋がある。近々ミラ姉さんの部屋も用意される予定だけど、弟子の兄さんたちの研究スペースは共用の大部屋だ。
工房の入り口に差し掛かったところで、ちょうど父さんと兄さんが出てきた。
「グロン兄さん、どこにいくの?」
「あぁ、これからお茶してくるんだ」
そう話す兄さんは声が弾んでいて、口元もニマニマと綻んでいた。
「愛しのマールから手紙が届いたんだ。夏の新作オルゴールを喜んでくれて、話したいって」
「よかったね」
「あぁ。ドルトン家でお茶会をしてくる」
あぁ、幸せそうだな。
オルゴールについては、芸術に明るい甲殻族のアドバイザーを入れて量産品を作っていて、貴族の奥様・お嬢様方によく売れているらしい。
ただ、兄さんが自分の手で作る一点もののオルゴールは全てドルトン家のマールディアさんに贈っている。
嬉しそうにしている兄さんの傍らで、父さんはなんだか疲れ切った様子で肩を落としている。大丈夫だろうか。
「父さんは、どこにいくの?」
「あぁ、これからお茶してくるんだ」
父さんのため息混じりにそう話し、ジトーっとした目を俺に向ける。
「お前が作った耐水不燃紙の製法と新規格の件で、製紙職人協会から手紙が届いたんだ。利権の相談をしたいんだと」
あの件か……ごめん父さん。
でも、既存の紙は水や火に弱くて長期の保存には向かないし、縦横比は1:√2になってないと何かと使いづらかった。だから俺は、耐水不燃紙とそれを生成する魔道具を作ったんだけど……。
魔道具については、利権の調整が面倒くさいため俺の研究部屋でのみ使用が許されている。ただ、紙自体は使いやすいからと我が家の書類にも利用してしまっていたので、そこから目を付けられたのだろう。
「紙質を見た製紙職人が、かなり騒いだらしいからな。まぁ、リカルドが気にすることではない」
そう言いながら、深い溜め息を吐く。
楽しそうな兄さんと疲れ切った父さんは、その様子自体は対照的だけど、見送った背中はずいぶんと似てきたように思う。
二人を見送ったあと、俺は弟子の兄さんたちの集まる研究室に来ていた。
この頃は魔法陣への理解もかなり深まってきたと思うけど、実際の魔道具をを作るとなると技術が足りない。やはりそこは、時間をかけて修行をしているみんなの方が圧倒的に上手いし早かった。
「来たな、リー坊」
「ありがとう。例のやつ試作できたって?」
「あぁ。ただ、言われた通りに作りはしたが、どんな魔道具なのか想像もつかねぇんだ。こんなに複雑なのに、ダミーの魔法陣も一切含まれてないんだろう? なんなんだよ、これ」
「んー、そうだなぁ……」
机上では上手くいく計算だし、魔導ペンで作った実験品も想定どおりの挙動をしている。だけど、やはりちゃんと魔銀を溶かして作った魔道具を動かすとなると、違った緊張感がある。
俺はいろいろと素材を準備しながら、弟子の兄さんたちに話をする。
「一般に、同じ本を二冊作るにはどうする?」
「そりゃあ、筆記奴隷を雇うだろうけど……」
「例えばだけど、筆記奴隷より速く、正確に、疲れずに、模写してくれる道具があったら、便利だと思わない?」
「……ま、まさか」
魔法陣のチェックをしながら考える。
この世界には印刷機の歴史がまだない。奴隷がいるのが普通だから、マンパワーをかければ解決するような作業に対してあまり抵抗感がないんだ。100ページの本を書き写すのであれば、10人の奴隷に10ページずつ書き写させるのがここでの普通の考え方だ。
郷に入ったら郷に従え。
でも、俺が今後作りたいものを考えると、これは確実に必要になる技術だ。少し技術史を進めてしまうかもしれないけど、避けては通れない。
さて、実験を始めようか。
「まず、この枠に紙を置きます」
俺は本をバラした1ページを置く。
弟子たちは興味深げに見ている。
「で、この魔法陣を起動すると、紙の表面の模様をスキャンします。今は分解能も荒いし、白黒でしかデータ化できないけどね」
魔法陣に指を置く。
紙の表面を光が走査する。
まぁこれは、決められたマス目が白か黒かを判断してデータ化するだけなんだけどね。マスが細かいほどデータは綺麗に読み込めるけど、データ量も跳ね上がるから今回はソコソコにしておいた。
上手く行っていれば、データが中央のメモリキューブに読み込まれているはずだ。弟子の兄さんたちはやたらポカーンとしてる。
兄さんたち、忙しい中で超特急で試作してくれたからな。少し寝不足なのかもしれない。
「本当はこのメモリキューブの中身を覗けるインタフェースがほしいところだけど、それは後回しにするとして」
俺は何も書いていない紙をもう一つの枠に置く。
弟子の兄さんたちがゴクリと唾を飲んで見守る。
「この魔法陣を起動するとデータが……あぁ、失敗した!」
ここまで上手く行ってたのに、凡ミスだ。
これは完全に俺のせいだ。
「左右反転してプリントしちゃったよ……。やっちゃったなぁ」
出来上がった紙をピラッと持ち上げる。
目の前には、本のページの内容が逆さまに印刷された紙があった。スキャンする時か、プリントする時か、どっちかに反転処理を入れなきゃいけないかも。あとで原因は追ってみよう。
顔を上げると、弟子の兄さんたちが大口を開けて固まっている。
まぁこの世界にはなかった魔道具だから、多少の驚きはあると想定はしていたけど……それにしても兄さんたちの表情の歪み方がすごい。もしかして、けっこうやっちゃってるやつだろうか。
「リー坊……とりあえず、師匠が帰ったら緊急会議だ」
まぁ、公開はできないだろうと思ってたけど。
最近ちょっと、非公開の魔道具を作りすぎてるような気がする。色々作ってきたから、だんだんさじ加減が分からなくなってきたんだよね。