記録には残らない
マリエールさん曰く、季節の移り変わりに合わせて差し替えている神殿の旗の色は、人生にも例えられるらしい。
若くて多感な青春の時代。
自分の道を突き進む朱夏の時代。
落ち着いて余生を楽しむ白秋の時代。
静かに終わりを待つ玄冬の時代。
前の世界でも、地球本星の昔の文化に似たようなものがあったような気がするけど、俺は専門外だったから記憶は定かではない。
そんなことを思い出しながら、目の前の貴族を眺めた。俺たち兄弟が青春、父さんや母さんが朱夏だとしたら、このお爺さんは白秋の頃といったところだろうか。
「……よく来た」
母さんの実家である古めかしい貴族屋敷。
お爺さんは険しい顔で静かにそう言うと、腕を組んで黙り込んだ。気難しそうに刻まれた皺が、一筋縄ではいかない雰囲気を醸し出している。事前に聞いた話だと、王軍の指導教官をしている北の武門貴族らしいけれど。
母さんが丁寧に一礼をして、話し始める。
「お久しぶりでございます、お父様。この子達が私の息子と娘……貴方の孫になります」
「……そうか」
そう言葉少なに答えると、彼はジロリと睨むような目つきで俺たちを見た。正直に言って、あまり居心地の良いものではない。
母さんは俺たちを並べ、順番に紹介し始めた。
「長男はグロン、11歳。次の春で成人します」
「ほう……」
祖父さんの目が興味深そうに揺れる。
対するグロン兄さんはピンと背筋を伸ばし、堂々と立っていた。父さんも言っていたが、兄さんはクロムリード家の次期当主として、既に他の家から値踏みされている立場だ。この頃は他家の者と会う際、いつもこのように気を張っているらしい。
「長女のミラは8歳。花嫁修業は私が仕込んでおります」
「うむ。学校は?」
「これまで平民として過ごしておりましたし、貴族学校へは通わせておりませんわ。嫁ぎ先は未定ですが、平民の有望な職人家に嫁がせるのが良いかと存じます」
「……ふん、そうか」
ミラ姉さんもまた、どこぞの令嬢のような穏やかな笑みを貼り付けている。ただ、その表情はなんだかぎこちなく、柄にもなく緊張しているようにも思われた。
将来に関する割と重要な方針が語られている気がするけど、おそらくその会話の一割も耳に入ってはいないんじゃないだろうか。
「最後に次男のリカルド、4歳。優秀な子です」
「ほう、この子は貴族学校へ通わせるのだろうな」
「いえ、その必要はありませんわ」
「何?」
祖父さんは眉間に皺を寄せ、母さんを睨んだ。
母さんはそんな視線などものともせず、一枚の書類を机の上にスッと置く。いつの間にこんなものが用意されていたのだろう。見れば、俺とルーホ先生の名前が記載されている書類のようだが。
「ほう、竜族の……しかもカ・ルーホ殿のお墨付きか」
「えぇ。この歳にして、学問は既に広く深く修めております。貴族学校などで無駄な時間を過ごさせるには、勿体無いほどの聡明さですわ」
「ふむ……それほどの麒麟児か……」
祖父さんの俺を見る目は、先程より強い興味の色が現れている。その鋭い視線に居心地の悪さを感じた俺は、警戒心を強めながら彼を見返した。
「どれ、発言を許そう。リカルドと言ったな。お主はこれまでどのようなことを学んできたのだ」
「はい、お祖父様。言語はロムル語、共通語、リゾ語の会話と読み書きを習いました。計算は一通りの四則演算と方程式を。歴史学は神殿歴512年までの国の興亡や政治・文化・技術・思想の変遷を。精霊学や種族学も一通り習っております。また、父と一緒に魔道具を考案しては、王都の新しい工房でいろいろと作成しています」
「そ、そうか……優秀なのだな」
祖父さんは少しだけ視線を彷徨わせた後、母さんを見た。
「……新興貴族を蹴落とそうと、小うるさい横やりも多いだろう。いろいろと噂も聞いている。子供たちの誰かを学校に行かせるのであれば……いや、そうでなくとも、子どもたちの誰かを私の養子にした方が面倒がないとも思ったのだがな」
そう言って、彼の目が俺に向けられる。
なるほど、祖父さんの値踏みするような視線にはそういう意図があったのか。
「はぁ……そんなことだろうと思いました」
母さんは深くため息をつく、俺の頭をポンポンと叩いて微笑んだ。
「心遣いは感謝いたします。ただ、成り上がりと侮りを受けるのも一時のことでしょう。それに、これは我が家が超えるべき試練。どうしてもという状況にならない限り、逃げるつもりはありませんわ。貴方のもとに子供を養子に出すことも」
「しかしな……」
「私はもうザーロン家の娘ではありません。クロムリードの妻です。ご用件が以上でしたら、これで失礼いたしますわ」
母さんが不機嫌そうに椅子から立ち上がる。
すると次の瞬間、部屋の扉がスッと開く。入ってきたのは、優しそうな顔をしたお婆さんだった。
「おやおや、だから言ったじゃありませんか」
「だがしかしな……」
「どんな理屈があっても、母親から子供を奪おうとすれば嫌われても仕方がありませんよ。メイラ、安心なさい。父さんは私から説得しておきますからね」
そう言って、優しそうに微笑んだまま、ゆっくりとこちらに歩いてくる。よく見ると、その顔立ちは母さんによく似ていた。
「グロン、ミラ、リカルドですね。手紙にあった通り、賢そうな子たちだわ。ほらほら、そんなに固くならずに。あちらに焼き菓子がありますからね。お母さんと一緒に召し上がっていらっしゃい」
俺たちは促されるまま立ち上がり、部屋の外へと案内された。
「やっと孫の顔を見られて嬉しいわ。いろいろとお話を聞きたいから、私も後から行きますからね……お祖父さんと、少しだけ、お話をしてから、ね」
彼女はそう言って背を向ける。
部屋の扉がピシャリと閉じられ、小さく『ヒッ』という声が聞こえた。
母さんは額に手を当ててため息を吐く。
「はぁ……まったく、嫌になっちゃうわ」
「メイラ様、お久しぶりでございます」
「あら婆や。久しぶりね。お元気そうで何より」
「メイラ様も、すっかり奥様に似ていらしたようですねぇ。さぁさ、どうぞこちらへ。お茶と焼き菓子が用意してありますよ」
そうして、使用人の案内で俺たちは別の部屋へ向かい廊下を進んでいく。その道中、ミラ姉さんが何か納得したような声色でボソッと呟いた。
「お祖母さん……母さんに似てたね」
グロン兄さんと俺は顔を見合わせると、コクリとひとつ頷いた。母さんは「そうかしら」なんて言うけど、この二人は絶対に親子だと、俺たちは確信していた。
そんな風に新しい出会いもありながら、マリエールさんの貴族講座は日々続いている。秋も深まる頃にはマナーについて一応は学び終わったため、現在は貴族の基礎知識を学んでいるところだ。
「ではおさらいです。ミラ、上級貴族の数と名前は?」
「四大貴族とも言われる四つの家ね。東のドラグル家、南のフェニキス家、北のトータス家、西のタイゲル家……」
「口調は?」
「……ですわ」
国の領土は、王都を中心とする王族直轄の中央府と、四大貴族が管理する四つの地方に分けられる。それぞれの家名が地方名になっていて、俺達がこれまで暮らしていた場所は西のタイゲル地方と呼ばれる場所だった。
「では、グロン。中級貴族の数と名前は?」
「各上級貴族の下に、6〜9家ずつ、合わせて31家。名前は……ってそんな全て言えるわけ無いだろう」
「次期当主でしょう」
「……っく」
もちろん最高権力を握るのは王族と上級貴族だが、実質はその下の中級貴族が国を回していると言っていいだろう。それぞれの領地で数十の都市や町村を管理し、また様々な職業協会の運営を任されている。
俺たち下級貴族や平民は、王国法上は中級貴族の所有資産として扱われる。職業協会や町で集めた税金が、該当の中級貴族の元へと吸い上げられていくという寸法だ。
マリエールさんは俺に向かって試すような目を向ける。
「リカルド、中級貴族の名前は?」
「うん。まず東のドラグル家の配下が――」
俺は中級貴族家の家名を一つずつ挙げていく。
所属する上級貴族ごとにまとめてだ。
ちなみに、俺たちクロムリード家が所属しているのは中級貴族のドルトン家。魔道具職人協会を始め、多数の工業系職業協会の協会長を務める家である。平民時代から税を収めていたのも、また父さんを下級貴族に引き上げたのもこのドルトン家の当主だった。
全ての家名を挙げ終えると、ミラ姉さんは目を丸くして俺を見た。
「家名を全部なんてよく覚えたわね」
「うん。ちょっと歌にして覚えてたんだ」
「歌?」
俺はそう言って小声で歌い始める。前の世界でも、単純な暗記モノはよく歌にして覚えたものだ。人によって向いている暗記術はあるけれど、俺の場合はメロディをつけるだけで不思議とスラスラと出てくるみたいだ。
そういえば、この分野でよくヒット曲を飛ばしていたプロデューサーのトゥンク氏は脳科学者でもあった。彼のプロデュースした「暗記ング娘」というユニットは当時一大旋風を巻き起こし、皆が脳内再生しては口ずさんだものだ。
「リカルド、詳しく教えろ」
「グロン兄さん?」
「数日後にドルトン家のパーティーがあるらしい。俺と父さんも招待されている。その場で我が家のことが正式にお披露目されるらしいんだが……。他の下級貴族どもが、ウチの知識不足を馬鹿にしてこないはずがない」
「うん。別に減るもんじゃないし、いいよ」
俺は歌詞を紙に書き、兄さんに歌を教えた。
各上級貴族ごとにひとつずつ歌にまとめていて、合計四つの歌にしている。気づけばマリエールさんとミラ姉さんも隣で覗き込んでいて、一緒になって歌っては覚えていく。
「ユキやこんこ、アラレやこんこ、北は寒いよトータス地方──」
数日後のパーティーでは特に問題も起きず、むしろ感心されて帰ってきたというのだから、教えたかいがあったというものだ。
そしてその後、王都貴族を中心に謎の四つの童謡が流行することになる。貴族の子女は必ずそれを口ずさみながら遊び、時代に合わせて家名が入れ替わることもありながら、後世まで歌い継がれたという。その歌を作ったのが誰だったのかは、記録に残ることはなかった。





