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駆け上がってしまえ

 ようやく王都に到着した時には、神殿の旗は既に朱色になり、夏が始まっていた。ジリジリと焦がすような日差しに、冷やしたはずの果実水もすっかり。


 貴族街に建てられた新しい屋敷のリビングでは、ミラ姉さんがぐったりとテーブルに伏せていた。


「私……もう二度と旅に出たりしないわ」


 そう言って、すっかり温くなっているだろう果実水に口を付けては、不快そうにベーッと舌を出す。

 本来であれば、引っ越しは春のまだ涼しい時期に引っ越しをする予定だった。それが、王都での屋敷・奴隷の準備に追われ、魔道具職人協会の拠点移動手続きにも時間がかかり、なんやかんやと邪魔が入って春が過ぎてしまった。


 暑い中を猪車に揺られ、本を読むような静けさもなく、毎晩ダニや羽虫と格闘した日々。10日ほどの旅だったけど、前世・今世を含めても最悪の生活だったように思う。今考えてみれば、先生が涼しい春に旅立ったのにはちゃんとした理由があったわけだ。


「ミラ……今日は無理せず休んでいなさい」

「うん。母さんもね」

「そうさせてもらうわ。さすがに辛くて」


 普段は姉さんを厳しくしつける母さんも、今ばかりは一緒になってぐったりしているようだった。そういえば、母さんは最近体調が悪そうだけど、大丈夫だろうか。


 そんなことを思っている俺も、竹を編んだ長椅子の腕でゆっくり横になっている。

 この世界では空調の自動調節なんてまだ実現できないし、冷気を放出するような魔道具も日常使いするには魔石の消費が激しすぎる。よほどの金持ち貴族でなければ運用できないだろう。



 そうしてみんなでグダグダと過ごしているところで、リビングの扉が荒々しく開かれた。入ってきたのは、不機嫌そうに顔を歪めたグロン兄さんだ。


「……ただいま」

「おかえり、グロン兄さん。どうだった?」

「どうもこうもない。最悪だ」


 兄さんはそう言って椅子にドンと腰掛けると、苛立った様子で果実水のコップをグイッと傾ける。一緒に帰ってきた父さんは、何も言わずにリビングを出ていった。


 今日は確か、職人街でこれから仕事をする工房の引き渡し日だったはずだ。俺たちが引っ越す前に、王都にいる別の貴族に依頼して用意してもらった、と聞いていたけど。


「最悪な工房だった……?」

「あぁ。建物はいつ潰れてもおかしくないボロ屋でな。集められた奴隷も、逃亡や反逆の焼印が押された前科者、四肢が欠損して職人働きが無理な者なんかが大勢……。おまけにみんな飢えていて、危うく死にかけている奴もいた」

「うわぁ……」


 そんな工房や奴隷を用意したのは、我が家と同じ寄親を持つ下級貴族の家の者だ。成り上がりの我が家が気に食わないのか、おそらくは貴族流の嫌がらせなのだろう。


「あの白豚貴族が……」

「グロン。やめなさい」

「すみません母さん。失礼でしたね、豚に対して」


 母さんがやんわり止めても兄さんの暴言はヒートアップするばかり。よほど腹に据えかねたのだろう。


『革新的な発明をした職人のようですからなぁ、この工房の建て直しもその技術でパパッと済ませられるのではありませんか』

『なかなか王都にいらっしゃらないので、少々奴隷の質が落ちてしまったようですな、ハハハ』


 案内の貴族は悪びれもせず、父さんや兄さんにそんなセリフを言い放ったらしい。


「うちは大工じゃなくて魔道具職人だッ。それに、引っ越しが遅れたぐらいで奴隷の腕や足が欠損するかよ。だいたい、手続きが遅れたのだって絶対にあいつらの差し金だ」


 兄さんは苛ついた様子でガンとテーブルを叩き、部屋を歩き回りながら頭を掻きむしる。あぁ、兄さんはこういう煽りに弱いもんな。


 ミラ姉さんはテーブルから少しだけ顔を上げ、「やめてよ暑苦しい……」と小さくボヤいたあと、エネルギーが枯渇したアンドロイドようにその動作を停止した。


「あの糞貴族、今度会ったら」


 グロン兄さんがそう話しているところへ――


「……そのくらいにしておきなさい、グロン」


 戻ってきたのは父さんだった。

 両手には氷の浮いたグラスを二つ持っている。


 その片方を兄さんに差し出しながら、父さんはゆっくりと椅子に座って静かに話し始めた。


「大丈夫だ、グロン。万事問題はない。そもそも新しい工房は、そこまで急いで利益を上げる必要はないんだ。元の工房でも魔道具の生産は続けているし、魔導インクの利益は今も入り続けている。この屋敷の維持費を入れてもまだまだ余裕はある」


 そう言うと、父さんは手に持ったグラスに口をつけ傾ける。

 そして渋い表情を浮かべたまま、視線を窓の外へとやった。その目は今ここではない、先にあるものを見据えているようだ。


「フゥッ……」


 父さんは息を吐くと、小さく笑って兄さんの方を向く。それは、大樹のようにしっかりと根を張った、頼るべき父親の顔であった。


「……父さん」

「なぁグロン。思い出してくれ。父さんは彼に言ったじゃないか。『あなた方にしていただいた事は決して忘れません』と。それがどういう意味かわかるか?」


 そう言って、座っていた椅子を少しだけ兄さん寄せると、その肩をポンと叩く。


「見返してやるんだ、グロン。お前が成功すればするほど、我が家を冷遇したあいつらの立場は無くなる。奴らがぐうの音も出せないほどの高みへ駆け上がってしまえ。そのための武器は、ずっと学んでいるだろう?」


 父さんは襟に付いた魔銀のピンバッジ――魔道具職人の証を指し示した。

 グロン兄さんの瞳に先程とは違った炎が灯る。


「分かりました、父さん。置かれた状況を嘆いても仕方がありませんし……。今はとにかく前を向いて、一つずつ最善を尽くしていきます」


 兄さんはそう言って深く頷くと、父さんから受け取ったグラスを一気に傾けて飲み干すのだった。



 その夜遅く、寝室で横になっている俺の耳に、妙な話し声が聞こえてきた。


『どうしよう母さん、ほんとどうしよう、貴族社会でやっていける自信が皆無だよぉ……』


 それは母さんに泣きつく父さんの声だった。

 相変わらずだなぁ。


『ほら、落ち着いて。鼻水が出ていますよ』

『うぅ……はぁ、すまん母さん。でも三人ともいい子だもんなぁ。俺が守らなきゃなぁ』

『ふふ。そうですね』


 情けない声色だけれど、いつだって父さんは家族を守るために頑張り続けている。こんな状況であっても、逃げたり投げ出したりなんて発想は、欠片も持っていないみたいだ。

 母さんもきっと、父さんのそんなところに惚れ込んでいるんだろう。優しい声色で父さんの背を撫でる音が聞こえてくる。


 駆け上がってしまえ、か。

 それも一つの解決方法なんだろうな。俺も少しだけ自重するのをやめて、思いつく範囲でいろいろと頑張ってみよう。ちょっと思いついたものがあったんだ。


『そういえば貴方様、もしかすると子供は三人ではなく、四人になったかもしれませんわよ』

『……っ!? 本当か。できたのか……?』

『うふふ。最近の体調を思うと、おそらく――』


 おっと、盗み聞きはここまでにしよう。俺は静かにその場を離れ、布団に入った。前世も含めて経験がないから分からないけれど、弟や妹が生まれるのってどんな気持ちなんだろう。



 王都の生活はそんな風に始まったけど、翌日からはまた新たな日々が待っていた。


 真っ昼間の広い庭に、机や椅子、パラソルなんかが並んでいる。目の前にいるのは、目を三角に尖らせたマナー講師のマリエールさんだ。


 突然貴族になった俺たちは、今までは知らなくて良かったことを早急に学ぶ必要があった。

 と言っても、父さんは元から商売相手に貴族が多かったから、さほど問題はない。母さんなど生まれた家が貴族だから、息を吐くように貴族の作法を身に着けている。


 教育が必要なのは、グロン兄さん、ミラ姉さん、そして俺だ。


「グロン、もっとシャキッと背筋を伸ばしなさい。あぁ、ミラ、座るときは足を開かない。パンツが丸見えです。リカルド、それは女性の座り方です。男性が足を細く長く見せてどうするのです――」


 俺は母さんの振る舞いを参考にしてみたんだけど、どうにも上手くいかず叱られてしまった。

 この世界はなぜか男女で礼儀作法に違いがあるらしい。どういう歴史的経緯でこんな違いが生まれてるんだろうな……そこのところは、マリエールさんに聞いても答えは知らないみたいだけど。


「他でもないメイラからの依頼です。ビシビシやりますから、気を抜かないように。グロン! また背筋が曲がっていますよ」


 そうやって声を荒げるマリエールさんは、聞けば貴族学校での母さんの同級生らしい。

 旦那さんは中級貴族ドルトン家の次男で、今の地位は下級貴族だけど、本家の政治関係の仕事をサポートしながら暮らしているのだという。同じ下級貴族でも、成り上がりの我が家とは格が違うという話だった。


「ミラ、大口をあけてアクビをしない! リカルド、笑うときに手の甲で口元を隠すそれは女性の仕草です! というかどこで覚えたのですかそんなもの!」

「いや、母さんがよくやるから」

「メイラを参考にするのはやめなさい!」


 やはり、母さんを参考にしてもダメらしい。

 なんでだろうな。


 俺が首を傾げている傍ら、ミラ姉さんは大きく手を叩いて納得したように笑い始めた。


「そっかそっか。リカルドやるじゃない。要は母さんのマネっこをすればいいのね」

「ミラ! ほらまた大口をあけて――」

「ふふ、全て分かりましたわ」

「ッ!? 突然優雅に……!」

「うふふ、母さんマネマネ大作戦よ……ですわ」

「くっ……くだらないけどなかなか有効な手ね」


 ミラ姉さんは早くも何かを掴み始めていた。

 要領がいいなぁ。


「わたくし、ミラ・クロムリードですわ」

「なんという、お嬢様感……ッ!」

「おーっほっほっほっほっほっほ」


 高笑いする姉さんに、マリエールさんが驚愕の表情を浮かべる。


 ちなみに、つい先日正式に国から家名を賜ったから、現在の我が家は「クロムリード家」になっている。

 この家名は100年ほど前に断絶した魔道具作りの名家のもので、我が家も母さんから血筋をたどると微かに親戚筋らしい。もっとも、貴族の家は遡ればどこかで必ず親戚になっているものだけど。


「さぁ、わたくしのことはミラお嬢様とお呼び」

「ははぁ、ミラお嬢様ッ!」

「よろしくてよ、よろしくてよ、ほーほほほほ」


 どんどんテンションが上っていくマリエールさんとミラ姉さん。

 すると遠くの方に、こちらへゆっくりと歩いてくる母さんを見つけてしまった。二人はそれに全く気がつくことなく、芝居掛かった会話を延々と続けている。けっこうお調子者だからなぁ、マリエールさん。


 ついに俺たちの横にたどり着いた母さんは、微笑みながら黒いオーラを発し始めた。


「……あら、私ったら、そんな振る舞いをしていたかしら。ねぇ、マリエール。ミラ。ふふふ……」


 楽しそうにしていた二人の顔が一気に、青白く染まっていく。あぁ、この後が怖いなぁ。


 なんだかんだと騒がしい4歳の夏は、こうして過ぎていくのだった。

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